■キャラトーク・サガ編 聖闘士星矢の陰の主人公。 ドラマ性もテーマ性も極めて濃厚で、実に難しい(そして魅力的な)キャラクターだと思います。強くて美形で前半のラスボスで、あまつさえ双子で二重人格で、善で悪で偽教皇で28歳で。(笑) このキャラがどのくらい魅力的かというと、例えばかつて聖闘士星矢どころかマンガもアニメも一切知らなかった我がマーマが、私が友人から借りて来た『コスモスペシャル』を偶然ぱらぱら見て、黄金12人特集の中から「この人が一番かっこいい」と言って選び出したのが、サガだった。(大爆笑) まずサガというキャラは、役割的にも、『聖闘士星矢』という作品のストーリー自体に対して、とても重要な位置を占めています。 何故って、こやつがいなければそもそもアテナが日本に行くこともなく、城戸光政が100人の子供を聖闘士にしようなどとトチ狂うこともなく、したがって『聖闘士星矢』という物語自体が始まることもなかったであろうから! アテナがずーっとギリシアで育ち、城戸光政は単なる財閥の一総帥であり続け、星矢は日本の孤児院で星華ちゃんと引き離されることもなく一生幸せに暮らしている。……これ、いくらトラブルに巻き込まれるのが得意な星矢であっても、この状況から聖闘士にならなければならなくなるっていう展開は、いくらなんでも不可能なんじゃないかと思う。 そう考えると『聖闘士星矢』はアテナでも星矢自身でもなく、実はサガによって開始されたストーリーとも言えるのです。 しかしながらそんな重要なキャラであるにも関わらず、実は私はかつて一瞬だけ、原作限定で、サガの中のいわゆる「白サガ」の一部分が、そこはかとなく苦手だった時期がありました。 いやあ、というのもですね。原作コミックス13巻の回想シーンの、15歳当時の白サガの顔がものすごくですね。人間っぽくなくてキモチワルかった!(キッパリ!)(断言!)(暴言!)(失礼!) 何というか顔があまりにも「善」すぎて、「うわあこのひと全登場人物の中で一番人間っぽくない!ジャミールの亡霊より人間っぽくない!」と、強烈に思った記憶があるんです。この、陰とか裏とか暗さとかそういうマイナス要素の感情があまりにも存在しなさすぎる笑顔は、いったい何なんだヒエエ怖いよう!と。 ただし現在では、むしろそれこそが彼の本当の悲しさと言うか悲劇性だったのだなあということが、ようやく判るようになりましたけれども。(→詳しくはこちら) (ちなみにアニメの方のサガには全然そんな印象はなくて、どことなく哀愁や憂いを帯びた、切ない感じの表情に描かれていたので、単純に「わあかっこいい!」と思いました)(この違いって、わざとなのかなあ……)(わざとだとしたら私は車田って凄いと逆に思いますが) 以下、非常に独断と偏見に基づいた印象論を述べます。 もし『聖闘士星矢』のストーリーを「十二宮編まで」「ポセイドン編」「ハーデス編」の三つに分けるとしたら、十二宮編までの髪の白いサガは、とても不自然な(ある意味キモチワルイ)顔つきをしております(と私は思う)。 ぶっちゃけ、人間じゃないモノの形をしている。 あまりにも、いい子ちゃん過ぎる。死ぬ時まで、いい子ちゃん過ぎる。個人的な欲望とか執着とか、そういうものの総体としての自分の「地」みたいなものとかが、一切合財、去勢されているような感じがするのです。 なんていうかその、ああ、神様目指しちゃいました系のひとの顔に、すごく似たような不自然さというか……。(カミソリ覚悟で言ってしまうと某真理教団信者とか某整体師に引っかかった某横綱とかの笑顔に対する違和感に似ています) (……あの、私、これでもサガのこと好きです本当です) しかし逆に、突き詰めてしまえば、まさにその「人間じゃないもの」を目指そうとしていた者こそが、他でもない十二宮編までのサガだったのかもしれません。「神のような清らかな男」と人から呼ばれ、恐らく自分でも「神のような清らかな男」を目指し、最終的には実際に神になろうとしてしまった人間、なわけだから。 まあ、もっとも、その割に十二宮編までのサガって、意外と独りよがりな気もするんですけどね。「本当は正義のために尽くしたいのに、黒サガのせいで悪の道に引きずりこまれただけなんですウワアアン!」なんて本人主張してたけど、もし、もしですよ、本当にアテナやアイオロスに対して自分がやってしまった事を心底悔恨していたのなら、彼はもっと早く己の罪をカミングアウトするなりアテナの所在をばらすなり、置手紙を置いて失踪するなり、やろうと思えば何だってできてたはずなのです。 だってあの肉体は24時間365日ずっと黒サガに支配されているわけじゃなくて、白サガが黒サガを打ち負かす時間帯が、絶対にあったはずなんだから。(例えば星矢が教皇の間にたどり着いたあの瞬間には、白サガは一時的にしろ完全に、黒サガの意思に反して、自分の意思だけで行動していました) つーか、そもそも神様っていうものは、本来はとても我がままで独りよがりで恐ろしくて、残酷な存在でもあるもんなんだけどなあ。 ……ということに、しかし、キレイなだけの神様になりたかった彼は多分、恐らく気付いてなかっただろうけど。 気付かないまま、己の人間っぽさを切り捨てることが世界を救うことに繋がるのだと、多分、思っていたんじゃないでしょうか。(なので、あのまま神様的な白サガが教皇になっていたら世界は平和だったかと言うと、私はそうは思いません。きっとキレイじゃないものの存在を一切許さない、怖い世界になっていたような気がする) そしてそういう考えだったからこそ、ああいう異常なまでに潔癖な(と言っていいだろう)「善」の人格を演じ続けるなんていう、吐き気のしそうな選択を、彼はやってしまったんだろうと思う……。 ……と、いうわけで。 原作における十二宮編までのサガが、私はこっそり苦手だった時期があったのですが。 しかし。 実はポセイドン編に突入して、カノンの回想シーンに出て来たサガを見た瞬間、私は物凄く、安心しました。いやあ、安心した。 何がって、この回想シーンのサガ、全然キモチワルクなかった。 だってこのひと、髪の毛が白いままで黄金聖衣着て、思いっきり生身の弟ボコってるよ!神様のような清らかな男とか言っちゃって!アンタそれ、髪の毛、白いままだよ!(大爆笑) カノンの証言からすると、当時既に悪人格の方も目覚めていたようですので、「まだ白と黒に分離する前だった」とかいうわけでもないはずです。つまり、これ、完全に、白い方のサガ。いい子ちゃんの顔やってた方の、サガ。みんなに「善」と思われていた方の、サガ。 あー、そっか。あのいい子ちゃん顔とか、みんなの前で「神のような男」を演じてたのとか、ぜんぶ、そっか。イイ格好したかっただけなんだな! 単にイイ格好してたかっただけなんだな! 可愛いやつめ! 15歳! ……と、思いました(笑)。 なんというか、このカノンとのエピソードのお陰でいっぺんに、私には十二宮編での「善サガ」の作り笑顔でさえもが、ものすごい「人間」に見えるようになったのです。 そしてカノンの存在を加味して考えると、髪が白い時であっても、実はサガもとても人間になるというか、カノンの前ではどうしようもなく人間であったというか。 きっとこれが彼の地だったんだろうな、と。 だから、次期教皇がアイオロスに決まったことよりも、実はむしろカノンを自分の前から排除することによって、サガは歯止めが利かなくなったのではないかなあとも思うのです。 あのスニオン岬にカノンを封じ込めることによって、サガは同時に自分の「人間」の部分をも、最終的に封じ込めてしまったんじゃないだろうか、と。 そういうわけで、私の中のサガという人は。 黒サガの存在に苦しみながらも、どうしても自分からは罪を申告できなかったあたりが人間っぽいと思う。素手のカノンを黄金聖衣フル装備でボコボコにして、結構卑劣なことやってるあたりが人間っぽいと思う。 そして実はそれこそが彼がほんの僅かに垣間見せた、本当のかつての素顔だったのじゃないだろうかと思う。 そしてそれは同時に、彼が神様でも聖人でもない「人間」であり、欲も陰もある愛しい存在だったということの、証だったのではないだろうか、とも。 己の卑怯な部分=人間っぽさを見ようとせず、否定し消し去っていた十二宮編のサガは、どこか作り物の匂いがしていました。生き物っぽくなくて、奇妙に不自然。でもそれはサガの嫌な部分というよりも、本当の意味で悲しい部分だったんじゃないかと、今では私も思うのです。 だって人間の卑怯な部分とか、個人的な欲望とか執着とかって、悪いだけのものではなくて、人が人である限り絶対に必要なものでもあると思うんだよなあ。それに気が付きさえすれば、サガは何にもつらくなかったんじゃないかなあ。 ちなみに、その不自然さというか罪業のようなものを、サガが本当の意味で清算できたのは、実は十二宮編のラストの自殺シーンではなくて、ハーデス編だったのではないかなという気がします。 私は良い意味で驚いたのですが、ハーデス編での彼は、何だかアウフヘーベンぽかったというか、十二宮編でのどさくさを通過し終えることでようやく、白と黒の世界を乗り越えたのだなという印象が、すごく、した。 なぜなら、アテナへの反逆者として復活したハーデス編のサガは、黒サガにそそのかされて偽の教皇をやっていた時の白サガとは違って、一度も自分のための言い訳をしなかったからです。自分がいい子ちゃんのままでいることなんか、全然考えていなかった。そこが、十二宮編の頃のサガと比べて、決定的に圧倒的に異なっていた。 だからこそ、とてもカッコいい。 それは十二宮編の段階で既に一度、泥にまみれるだけまみれてしまった、その後だったからかも、しれません。 いずれにせよハーデス編のサガは、白でもなく黒でもなく、汚れにまみれて、裏もエゴも執着もあれば、ちっぽけな良心や希望もあって、そうして怒ったり泣いたり喜んだりしていた。 それは神でも悪魔でもない人間の、あるべき姿だと思うのです。 白と黒を分離したことから、大罪を犯してしまった彼の悲劇。 だから恐らく彼はハーデス編で「灰色」になることで、本当の意味での贖罪を終えたのではないかという気もします。 そういうわけで、ハーデス編のサガが一番、「自然」に見えて、私は好きです。バランスが取れているとでも、言いましょうか。そこに至るまでの彼の遍歴も哀しみも、全部ひっくるめて、カッコいいと思う。 ようやくそこまでたどり着いたんだねえ。そんな感じ。 |
Written by T'ika/〜2007.10.31