■ちょっと詳しくキャラ分析・アルデバラン編




 既にこちらで大まかなキャラ印象として書いたように、私は個人的にアルデバランという人に、明るく影のない裏表の無さを感じています。そしてもし思い違いでなければ、巷でもアルデバランは「いいひと」というイメージで描写されることが多いように思います。

 しかし、いったいそれは何故なのでしょうか。

 いやもちろん、十二宮編での星矢とのエピソードやムウとのやりとり、ポセイドン編で星矢たち4人を護衛していた彼の描写からも、実直で人柄のいい奴だという印象は出てくるに違いありません。つまり原作で明示的に書かれていた人柄の描写が、アルデバランのキャラ構築にあたっての最大の根拠であることは確かでしょう。

 しかし、ここではあえて考えてみたいと思うのです。
 実はそれだけではないんじゃあないか。

 例えば瞬などを見ると明らかなのですが、原作では明らかに100%素直で優しい少年だという描かれ方をしていたとしても、それをパロディ的に読み込もうとするならば、そのキャラクターに腹黒さを読み込むこと自体は、ちっとも不可能ではないのです。(実際にもそういう二次創作は可能だと思うし、見たこともありますし、自分でも書こうと思えば書けると思う。)つまり、原作での「人柄の」描かれ方だけでは、そのキャラが読み手からももっぱら「いいひと」だと解釈される保証にはならないのです。
 なのにアルデバランに限っては、「実はあの笑顔の下では色々考えていて」とか「実は心の底には誰にも言えない葛藤を抱えていて」とか「実は暗い過去があって」とかいう話が全然沸き起こってこない。
 いったいそれは、なぜなのか。

 個人的に考えてみたところ、もしかしたらそれは、『聖闘士星矢』のストーリーにおいてアルデバランというキャラクターが占めている、(ある意味)特異なポジションから来ているのではないかと思います。というのも、白銀や青銅その他のキャラまで含めてしまうと目立ちませんが、黄金聖闘士だけに限って見てみると、彼の立つ位置は一見地味でありながら、実はかなり他とは違った特殊なもののように思われるのです。

 では、原作における黄金聖闘士アルデバランの特異性とは何か。
 語弊を怖れずに一言で答えるならば、それはきっと、サガの乱によって傷ついていないということだと思います。

 いやもちろん、アルデバランだって間接的に色々見聞きして、色々思ったり感じたりしていたのは確かでしょう。実際、教皇について良からぬ噂を聞いているという話は、金牛宮の戦いの後でムウともしていたりしました。
 しかしそれでも、例えば直接殺されたアイオロスやその弟であるアイオリア、また師匠を殺されたムウや親友を殺された童虎と比べてしまえば、サガの乱によってアルデバランが受けたダメージは、やはり決して大きいとは言えないと思うのです。ましてや加害者本人であるサガや、加害者側に自覚的に加わっていたデスマスク・アフロディーテ・シュラのように、重い負のイメージをまとうことなどはまったくありません。しかもカミュのように、加害者側ではないにもかかわらず戦いの中で死ぬ、という悲劇性も全然ない。

 さらに言えば、実際の十二宮での戦いに、アルデバランがどう関わったかということ自体を見ても、彼は至って全く健康的なのです。もうほんとに健全さの鏡のような人です。さすが少年漫画の登場人物!とさえ感じます。だって、「おまえたちの心意気に感動した!通れー!」っつうわけですよ。もう見事なまでに陰がないじゃないですか。からりと明るくいさぎよく、湿っぽさなんか露ほどもない。「ああ、私自身の命をかけてこの弟子を…」とか全然ない!(笑)

 もちろん、表立って描かれることがなかっただけで、実はもしかしたら彼にも色々あったのかもしれない。その可能性を捨てきれるわけではありません。それでも、原作の描写から読み取ることのできる限りではやはり、サガの乱がアルデバランから奪ったものは、あの黄金の角一本のみなのです。(そして、だからこそ、あの角はその後二度と修復されることが無かったのだと思います。)

 このように見てくると、サガの乱、そして十二宮の戦いを通じてアルデバランは、(心身ともに)直接的な傷を負うことが無かったキャラとして位置づけられるのではないかと思います。そしてサガの乱によって影を背負うことが無かったからこそ、この人には暗いイメージが絡み付いてこないのではないかと感じます。さらにそれは、もしかしたら、サガの乱への巻き込まれ方が軽かったという印象にもつながっており、その結果、「アルデバランは聖域や聖闘士世界の中心からは比較的離れたところにいる人なのだ」という無意識のイメージを、読み手に与えてしまっているのかもしれません。(そして、だからこそアルデバランという人は微妙に常識人で、一般社会でも生きていけそうなキャラに思えてしまうのかもしれません。)(そう言えば彼の出身地・修行地も、一人だけ他の黄金聖闘士からものすごく遠く離れていて特殊ですね。)

 というわけで、十二宮編におけるこのような立ち位置が、アルデバランのキャライメージを底辺で支えているのかもしれないなあと思うわけなのでした。(実はちょっとだけ似たタイプにミロがいると思うのですが、彼はまた少し事情が違うので後述。)



 さて、このように管理人は、アルデバランは(いい意味で)陰のない人だと思っています。そして裏表のない人だと思っています。しかしそれは、「まっすぐ」とはちょっとだけ違います。そこには「まっすぐ」という言葉が喚起する、方向性のイメージはありません。私の中ではアルデバランはあくまでも「まっすぐなひと」ではなく、「裏表が無いひと」なのです。

 おそらくそれは彼が、原作の中で、特定の方向への主義主張を、特に表明していなかったからだと思います。原作内で明示されていた彼の心情は、どちらかと言うと「自分たちの後継者である星矢たちを認め(十二宮編)、彼らを守る(ポセイドン編冒頭)」という、守りの姿勢に近かった気がします。十二宮編における、「教皇に付くか、アテナに付くか」という壮大な問いについてさえ、教皇が偽者であるということがはっきりと暴露されるまでは、アルデバランがはっきりとした答えを表明することはありませんでした。

 しかも、彼はまた同時に、せっかちなキャラとしても描かれていませんでした。星矢との戦いを途中で自分からやめたことからも、争うイメージがいささか弱い。もっともそれこそが、どこか温厚なアルデバランのキャライメージにもつながっているのだろうと思いますが。(ちなみにミロは、アルデバランと同じように陰の無さを感じはするのだが、彼よりももっと、どこか特定の方向を目指している・向かっているという「まっすぐ」のイメージが強いと感じます。)

 もし仮に原作で、アルデバランの主張や過去や内心が、もっと描写されていたのならば、アルデバランのキャライメージも、今のような形にはなっていなかったかもしれません。

 あ、でも一応断っておくと、裏表がないということの、良い意味での具現がアルデバランだと思うので、私はまったく今のままでいいと思っているのですよ。上記のことが決して薄っぺらいという印象にはつながらない、それこそがアルデバランの人徳というか、特異な長所なのだという気がしています。



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Written by T'ika/〜2005.12.12