2015年4月分
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2015.4.27(月)

前回にひきつづき、さっそく黄金魂の第2話見ました!
フェアリーの監視をかいくぐるのが難しかったのと
心の準備が難しかったのとで、けっきょく視聴は月曜になっちまいました。
しかも実は仕事に行く前にギリギリで見た。電車の中で割と上の空だった。
色々どうかしてる。(笑)

以下は前回と同じく、感想というか印象のようなものの羅列です。順不同。
前回同様、言いたい放題のノークッション、かなりの辛口を含みますので悪しからず。

■物語全体の展開について
・今回は伏線の散りばめ回であると理解しました。ゆえに評価不能。

■世界観について
・第1話で既に黄金聖闘士というキャラを使った異世界RPGであることが判明したので、特段の疑問もツッコミもなし。「村人」や「少年」のベタベタ感も、闘技場の客が観戦のプロすぎることへの違和感も、大事な話はだいたい酒場でやればいいよね的な既視感も、RPGのテンプレだと思えば何の謎もない。
・黄金聖衣を着たり背負ったりしている明らかな余所者が、アスガルドの民草から全く不審者扱いされていないのも、きっとこのRPGがそういうテンプレだからだ。一応、アニメ聖闘士星矢的にはつい最近アスガルドと聖闘士の間で大規模な戦争があって七人の神闘士が全滅したばかりのはずなんだけど、多分この世界ではなかったことになってるんだろう。7人の別人の神闘士たちが普通にいるみたいだし。
・って、そこまでやるならもうアスガルドを利用せずにオリジナル設定でやれば良かったのに。もしもアスガルド萌えでこれまで長年活動してきた人がいらっしゃったとしたならば、今のお気持ちを察するだに余りある。

■全体的なキャラの描かれ方について
・個人的には黄金聖闘士とはもっと浮世離れした存在であるし、キャラ造形のあり方としても浮世離れさせたほうが威厳とか気品とか絶対性とかを描写するのに効果的だと思うのだけど、しかしこういうコンセプトのRPGならばどうしようもあるまい。私のツッコミはすべて無意味だ。

■脚本について
・水くらいそこの暖炉の火で雪を溶かして沸かせばいいのに、何やってんだこの人!と爆笑してしまったせいで、リフィアさんの心の焦りや悲壮感に対して全く共感することができませんでした!ごめんね!
・脚本のせいでピエロになってしまったリフィアさんがものすごく可哀想です!

■アルデバランの角について
・あの角の欠落こそはアルデバランの中に唯一刻まれたサガの乱の刻印であると同時に、アルデバランが星矢たち青銅を認めたという事実の象徴でもあったはずなのに(だからこそ今まで修復されずにきたのだと思うのに)、監督だか誰だか知らんが野暮なことをするね。良かれと思ってやったんだろうが、個人的には「無粋」の一言である。
・でも「過去の聖闘士星矢は忘れてください」という意味のメタメッセージとしてならば、割と良く考えられた演出ではあったと思う。別に誉めちゃいないが。

■アイオリアについて
・リフィアさんが泣こうがわめこうが起きる気配もなかったアイオリアさんだが、ムウさんが研ぎ澄まされた小宇宙とやらを燃やした瞬間、随分と露骨に飛び起きていた。いいのかそれで。私はいいけど。

■ムウ様について
・「これは別世界のRPGですよ!」というメタメッセージが各所から強烈に感じられたおかげで、完全にそういうものとして視聴したので、特に何も言いたいことはありません。そういうRPGなのだと思って視聴しました。個人的に「実験」のシーンにはあまり上品さを感じなかったので目の焦点をぼかして別のこと考えてましたが、まあそういうRPGなら止むを得ません。ちょっとうーんと思うことはあるのですがムウ様のことになると自分の主観が入りすぎてよくわかりません。

■童虎について
・よくわかんなかった。
・とりあえず本来の童虎には、酒を飲んだり闘技場で闘うよりもはるかに生きていることを実感できる瞬間が、山のようにあったはずだと思うのだが、堀内さんがそこのセリフを深刻な感じで言っていたので、ただの伏線かもしれない。
・あと「老師童虎」→「童虎」っていう呼び方もよくわからない。原作では若返り後もシオン以外はみんな普通に老師呼びだったし、別にそれでいいんじゃって思うんだけど。

■アルデバランについて
・作画が崩れているかどうかとは別の問題として、なぜかこのアニメではアルデバランだけにビジュアル的なかっこよさを感じる。逆にいうとアルデバランにしかビジュアル的なかっこよさを感じなかった。なぜだろうかと理由を考え、黄金聖闘士のキャラデザのせいだと気づいた。他の黄金はみんな等身が小さくて肩幅が狭くて童顔にされているのが、アルデバランだけは唯一、等身が大きく肩幅が広く顔つきも大人に設定されている。210センチ130キロの設定が彼を救ったのだ。おかげでアルデバランだけは今も黄金聖闘士のビジュアル的な威厳を失わずに済んでいる。
・…いや勿論アルデバランがかっこいいという事実に対しては文句ないのだが、でもこんな「他を全部下げることで上がりました」みたいな上げ方もどうよ。今んとこ他の黄金全員モヤシみたいなんだけど、まさか親しみやすさとかを演出したくてこうなったのか。個人的には別に黄金聖闘士に親しみやすさとか求めてないんだが。むしろ親しみやすくないところが魅力なんだが。
・ってそういうコンセプトのRPGに言っても仕方ないか。

■アルデバランの声について
・「グレートホーン!」の言い回しがまさに私の知ってるアルデバランだった。
・玄田さんの声が変わってなさすぎて震えた。
・でも感情の込め方は故意に変えていらしたようにも思う。
・聖域十二宮編の時の「グレートホーン!」よりも感情の起伏をつけて演じておられた。そのことで今回のアルデバランの迷いと余裕のなさを表現したのだろうと思う。
・玄田さんの芸がかなり細かいということを改めて思い知る。

■ムウ様の声について
・山崎さんは多少の滑舌を犠牲にしてでも塩沢さんの声に似せることのほうを選んだのだなあと思った。世の中にはそういう形での想いの見せ方もある。
・個人的には2002年にハーデス12宮編第1話の試写会で天に向かって「かねとー!」と叫んでいた古谷さんと、その姿をそっと見つめながら隣でわらっていた山崎さんの姿を思い出しました。

■アイオリアの声について
・前回以上にアイオリアだった。
・田中さんは声を相当アイオリアに戻してきてる。
・こんな昔の役をこんな大切に再現してくれて本当に嬉しい。

■アイオリアのセリフについて
・個人的に、アイオリアは「ムウ大丈夫か」などという発言はあんまりしなさそうな気がしている。そんなセリフはむしろ同僚に対して失礼だと、アイオリアなら考えるんじゃないかと思う。まあ私の勝手な主観だけど。
・しかしそこの部分について、作画というか絵コンテが「本気&全力で心配してるアイオリア」の絵を出してきてるのに対して、田中さんの声の芝居はできるだけ軽めに抑えたさりげない「大丈夫か」になっていたのが印象に残った。第1話も第2話も、田中さんの芝居と絵コンテの表現がずれてる箇所をたびたび感じる。
・田中さんの中にあるアイオリア像のほうが、私の中にあるアイオリア像には近い。

■ナレーションの声について
・前回以上にテレビアニメの時のナレーションの声になっていた。
・しかもそれでいてちゃんとアイオリアの声にも聞こえた。
・田中秀幸さんへの感動が私の中で止まない。
・しかもその声で「君は小宇宙を感じたことがあるか」とかもうそんなかっこいいアイオリア、燃えざるを得ない。
・しかしこうなるとアイオリアの見た目がモヤシなのがつくづく残念の極みである。
・ぶっちゃけ燃えようとするのに絵が邪魔なので、私は今回「アニメを視聴しながら目の焦点をぼかし、声だけのアイオリアを堪能する」という必殺技を開発した。たとえこの目には見えずとも、私の脳内にはちゃんと8等身かつ大人顔かつ肩幅が普通にあるかっこいいアイオリアの姿が自動再生されるので問題ない。なかなかの快適さである。

■BGMについて
・なんちゃってRPG風味なのは相変わらずだが、それが逆に別世界の設定なんですよ感を演出するのに、ものすごく役立っていると思う。私はこの音楽には本当に助けられている。おかげ様で途上で息絶えることもなく、好きだった声優さんたちの演技を最後まで聞くことができている。感謝の念に堪えない。

■エンディングテーマ
・あんまりまじめに聴いてなかったのだが、歌詞の中に「放課後」とかいう単語が入っていたのだけはどうしても看過できない。
・まあ個人的には放課後にボクたちワタシたちがどうしようが知ったこっちゃないのだが、一応これは聖闘士星矢のエンディングテーマのはずである。いや販促目的のタイアップなのは百も承知だが、それでも一応聖闘士星矢のエンディングテーマとして世に売り、金を払わせる予定の曲のはずである。ならばいったい何がどうして放課後なのか。いったい聖闘士に何の放課後があるというのか。問いたい。問いつめたい。小一時間問いつめたい。新曲を売り出すのに聖闘士星矢の名前を使うのであれば、せめて明らかに世界観が違う曲だけは持ってこないようにするのがプロのアーティストの良心ではあるまいか。それともたまたま手持ちにあった曲があれ一曲だけだったのか。あれ以外の曲は全然なかったのか。それもどうなのか。大丈夫なのか。疑問は尽きない。

<完>


2015.4.23(木)

とうとう黄金魂を見ましたティカですこんばんは。

や、4月11日から配信開始だった事はもちろん承知していたのですけど、
ていうかむしろ去年の10月30日に黄金魂の企画が初めて発表されたのを
当日の夜にはもう知ってたんですけど(爆笑)、
いや、何というか、うん、私個人の問題なんですけど、
自分の中でこのアニメをどこの棚にしまえばよいのかわかんなくてですね。
特に脚本と世界観と設定とキャラ像と作画クオリティに対する不安感が大きくてですね。
情報だけはこまめに収集しつつも、見ようかなあどうしようかなあと迷いながら
ついにこんな日付になってしまった次第です。
というか情報をこまめに収集した結果、余計に迷いが大きくなった感もある。(笑)

でももうすぐ無料配信期間が終わってしまうので
これはいかんと思ってようやく第1話を見てきました!
で、見た結果、なんか自分の中ではすんなりと結論が出ました。
この作品を自分の中のどこの棚にしまえば良いのかわかった気がする。
我が心の平穏は保たれた。
というわけで、しばらく視聴は続けてみようと思います。

以下は第1話の感想というか印象をテキトーに羅列。
もちろんこのティカの超個人的な独断と偏見まみれです。
このサイトではいつものことですが、言いたい放題のノークッション、
かなりの辛口も含みますのであしからず。

・昔のテレビアニメと比べて一番違うと感じたのは、音楽。
・なんか異世界RPGの世界観が強烈に漂っていた。BGMに。
・そのせいで、どうも聖闘士がRPGの世界でプレイしてるように見えて仕方ない。
・そうか異世界ファンタジーか。異世界ファンタジーだと思ってみれば良いのか。
・なるほど黄金聖闘士というキャラクターを使った異世界RPGとして見ればいいんだな。
・それなら見れるぞ。私にも。
・異世界RPGだと思えば多少の作画の変化とか気にならないぞ。
・異世界RPGなんだから多少の設定のおかしさとか気にならないぞ。
・異世界RPGなんだから「ハーデスとの戦いが」「アテナの命が」とか気にならないぞ。
・なんせ異世界RPGだからな!
・そういえば舞台が北欧なのも、意外と異世界PRGの舞台としてははまっているかもな。
・でもこの音楽、どっちかっていうと北欧というよりも、ケルトとかイギリス古楽っぽいテイストなんだよな。
・もうちょっと北欧テイストに寄せればいいのに。

・アイオリアの声優さんが「ライトニング○○!」って叫ぶのがちょう懐かしかった。
・特に最後の「ライトニングプラズマ!」って叫ぶセリフの中の「ライトニング」の部分がかつてのテレビアニメと全く同じだった。
・ちょう懐かしかった。
・しかし雑魚を一掃するのにわざわざ技名のついた技を使うなんてアイオリアらしくない。
・アイオリアなら雑魚は雑魚らしく無言で右腕を一閃しなければ。
・脚本にアイオリア感が足りない。
・百歩譲って雑魚に技を使うにしても、多人数を一掃するならライトニングプラズマだと思う。
・もしかしてライトニングプラズマとライトニングボルトを逆に覚えちゃってる…?
・まいっか。しょうがないか。RPGだし。
・どうせバグでも起こったんだろ。

・全体的に作画いまいち。
・作画の崩れも大概だけど、それはもういい。今更言わない。(昔のTVアニメも大概だった)
・だが作画のコンセプトが聖闘士星矢とズレてるのは如何かと思う。
・全体的にキャラの顔が童顔で等身が低くて肩幅が狭い。
・結果、見た目が幼すぎる。威厳と気高さが足りない。フランクさだけが増している。
・そんな威厳の足りない黄金聖闘士なんて嫌だ。
・別に北斗の拳にしろと言ってるわけじゃない。そんな極端なことは望んでない。でもせめて少しくらいは大人っぽさとか劇画テイストとかを混ぜこんでくれ。いちおう聖闘士星矢なんだし。
・あとヒルダ様がなんかほっぺふくれてた。童女だった。きもい。それヒルダ様ちゃう。
・でも声はヒルダ様だった。麗しかった。声だけは。
・でもフレア様の存在感のなさに泣いた。どうしてアスガルドの存亡にかかわることをポッと出の侍女に託すんだろう。熱い姉妹の絆で結ばれたはずの妹のフレア様はどちらへ。
・姿だけは見えてたから余計にそう思う。

・全体的に脚本いまいち。
・そもそもが「ハーデスとの聖戦でアテナも地球全体もかなりヤバい所なのにアスガルドなんかにかまけてる黄金聖闘士」という無理のありまくりな設定なんだから、もっと工夫して「強制的にムリヤリ巻き込まれてます感」を出せばいいのに。
・例えばアイオリアが行き倒れてるのはいいとしても、牢屋とか食事屋とかのシーンはいらん。
・むしろ意識戻ってフラフラ歩いてるところで「いきなり追っ手から逃げているリフィアさんと鉢合わせになる→何が何だかわからないけど女が襲われてるなら助けるのが当然!→助ける」くらいのスピード感とアイオリア感がほしかった。
・話の展開としてもそうした方が自然だったと思う。
・だってアニメ内で「アテナの危機が」とか「ハーデスとの戦いが」とか「日食が」とか説明しちゃってるんだから、そりゃあそんな説明の後に食事屋のシーンなんか入れちゃったら、視聴者は当然「ステーキ食ってる場合か!」って思うよ。思いますよ。つっこみますよ。当然ですよ。
・牢屋を出た後も「ちんたら歩いてる場合か!」「走れよ!」って思いますよ。
・てゆーか原作のアイオリアならこれ、牢屋ぶっこわしたあと10秒でリフィアさんにお別れして、1秒後には既に光速のスピードで走り去ってるんじゃないか?だってアテナの危機なんだぜ?しかもアイオリアなんだぜ?
・というようなツッコミを避けるためにも、脚本の展開としては、アスガルドの現状とか黄金が蘇った理由とかは「リフィアさんの身上話をじっくり聞く」なんて形じゃなくて、神闘士との戦いの中で自然とわかる形にすればよかったのではないだろうかと、個人的には思うのだが、いかがか。
・それともこれはRPGだから牢屋と食事屋のシーンは絶対に不可欠だったとでもいうのだろうか。馬鹿な。

・あと「アスガルドの大地の力の影響で聖闘士は不利になる」って設定は、ハーデス城の結界みたいな機能をつけることで黄金聖闘士がピンチになるという状況を作りたかったんだと思うんだけど、だったらアイオリアが行き倒れてる時に「体が重い」「なぜだ」「ハーデス城の時そっくりだ」とか何とかそういう意味のことを、ひとことでもいいから言わせておけばよかったのに。
・黄金聖闘士が全力で神闘士と戦っていきなり負けたらそりゃあ視聴者びっくりするよ。当然だよ。「ハア?」っていうよ。
・後になってから「アスガルドの大地が」ってフォロー入れるくらいなら、最初から伏線貼っとけよ。物語の説得力が全然違ってくるよ。
・しかしだからといって、たかだか神闘士ごときに、黄金聖闘士が神聖衣を…?(ゴゴゴゴゴ)
・というふうに視聴者としては反射的に思っちゃうんですけど、まあそういうRPGだからいいのか。仕様なのか。もともとそういうコンセプトのゲームなのか。じゃあ仕方ねえ。
・しかしそれにしても脚本次第ではもうちょっと何とかなっただろうに。
・たとえ聖闘士星矢とは別世界のRPGだったとしても、脚本は大事だと思う。

・で、次回予告を見た感じ、次の犠牲者はムウ様か…
・たかが神闘士ごときにボコボコにされるとかほんと勘弁してほしいけど、まあそういう仕様のRPGなんだもんなあ。
・はあ…
・でもムウ様をかませ犬にしたら絶対許さんから覚えておけ。(←誰宛)
※要するに私はムウ様に関して既にもうそういう覚悟をしています!(←涙目)
※だって楽観的な予想が覆されたら悲しいけど、悲観的な予想が覆されたら嬉しいもんな!(←震え声)

・アイオロス兄さんのことを回想するシーンでアイオリアが「一言でもいいから事情を話してくれれば俺も兄さんの力になれたのに(意訳)」みたいなことを言っていたのは、今まで語られることのなかった原作のアイオリアさんの心情を現しているようで、個人的にはしんみりきました。
・そのシーンの田中さんの演じ方もなんかしんみりきた。敢えて抑え気味に、静かに、黄金聖闘士のイメージを崩さない程度の上品な感情のこめ方で、アイオリアというキャラクターの深みや過去や心情などなど、そういうものを大切にしながら演じてくださっているのが伝わってきた。
・それが個人的には感無量でした。
・でもワタシ的には、原作を読む限り、赤ん坊のアテナを抱えたアイオロス兄さんってどう考えてもアイオリアさんの所に立ち寄る余裕なんてなかったんじゃないかと思うんだよなあ。なのでセリフはいいんだけど、あそこの絵面にはどうしても違和感ぬぐえないんだよなあ。
・立ち寄ったんなら事情しゃべれよ兄さん。むしろ事情をしゃべらない理由が皆無だよ。脚本だか監督だか知らないけどちゃんとそこまで考えてあのシーン入れたのかよ。

以上。
もやもやと視聴を迷っていたせいでこの日記も何をどう書けばよいのかわからず
お留守気味になってしまいましたが、
まあこんな感じで私の中では落ち着きました!
そしてさっそく今週末が気になります!
主にムウ様的な意味で!
<完>

***
なお「異世界ファンタジー」「異世界RPG」については
もちろん私の独断と偏見による印象なんで、違うんじゃって方もいると思いますけど
個人的にはリフィアさんのキャラデザとか、食堂とか牢屋とか、BGMのテイストとかで
けっこう強めに感じました。
うーん。なんで異世界RPGなんだろう。
もしかして「ギリシア=異世界」「アテナの聖闘士=ファンタジー」
「聖闘士星矢=異世界ファンタジー」とか思われちゃったんだろうか。
うーん。私には思いつかないタイプの解釈だ。


2015.4.6(月)

シオンムウの日ですねおめでとう!
私は相変わらず不良で何一つ用意することができなくて
非常に心苦しいのですが、シオンムウ愛だけは胸に満ち溢れております。

お祝い代わりに桜の写真!
 

実は先週、貴鬼さんの誕生日の日に、
根性で始発(ほぼ)に乗って上野公園の桜を見に行きました。
なぜそんな時間なのかというと
私はシオンの誕生日の日に、夜桜の経験によって
人間が宴会をする時間帯に桜を撮りに行ってはいけない
という事実を学んだのでした。
なので早朝を狙ってみたのでした。
しかし甘かった。
私が間違っていた。
早朝の上野公園は深夜と同じくらいただれてました。
なぜかというと、早朝だというのに
人がたくさん横たわっているのです。
宴会客が、酒を枕に、あちこちで、
花見用ビニールシートの上に転がっているのです。
果たしてこの人たちは、早朝の花見のために深夜から場所取りをしているのか、
それとも昨日酔っぱらったままそのまま帰れなくなってここで寝ているのか、
微妙に興味がわいたのですがまあちょっと話しかけられるような雰囲気ではありませんでした。
だから仕方なく地面をぶっちぎって上空の桜だけ撮ってきました。
天気が悪かったのが痛恨の極みですが
見事に満開でした。
シオンムウにはこの写真だけプレゼントしよう。そうしよう。
足元の死屍累々は無かったことにしてさしあげよう。

昨日のパラ銀にも残念ながら遊びに行けず仕舞いでしたが
いずれそのうちまたぜひいつか、
シオンムウ本を漁りに行きたき所存。


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