私がシオンムウに転んだ理由
――プラトニック編――




◆ステージ1.そもそものきっかけ(そんなに妄想度は高くない…はず)

 そもそもどういう理由でこの二人の関係に転んだのか。
 そういうのって人によって色んな理由があると思うのですが、ここの管理人について言えばたぶん、あの、「ハーデス編で回収されないまま終わってしまった、シオンに対するムウの思いに、きちんとオチをつけてほしい!」という欲求不満が、最初のきっかけだったと思います。

 こちらでもちらりと書いたように、私の場合、そもそもまずアニメからムウ好きでした。
 そしてムウ好きのまま原作へと入り込み、したがって、かなりの思い入れを持ってムウをウォッチしながら、例のハーデス編を読むことになったのでした。

 そ し た ら 。 (ファーストインパクト)

 ハーデス編を知る前までの私は、ムウの冷静沈着で知的な部分に単体で魅力を感じていたのですが、そのキャラ印象が、なんかもうシオンの登場で、一気にガラガラガラと大崩壊していった。(笑)

 なにしろハーデス編のムウときたら、普段あれだけ冷静沈着で揺らがない鉄面皮のくせに、ことシオンに関してだけは、えらいボロボロと私情を見せまくっているし。
 どう見ても他の人に対する態度とシオンに対する態度とが違いすぎるし。
 ぶっちゃけ、シオンのことだけメチャクチャひいきしてるし。
 しかもシオンは裏切り者なのに、自分のこと殺そうとしたのに、それなのに最後まで「我が師シオン」とか言い続けてるし。
 どんだけ盲目なんだっていう話。
 あまつさえあれだけ色々ヒドイことされたくせに、ムウにとってのシオンは別れた後でさえもずっと「大恩ある師」以外の何者でもなく(ミュー戦参照)、最後までそれ以外のものになりえていない。

 ぶっちゃけ、まだヤオイのヤの字も知らなかった当時の私の目にすら、これは、「ああムウってシオンのことほんとに大好きだったんだなー」というふうに映りました。
 ……映りましたよ。映りましたとも。ええ。
 だいたい、ムウというキャラクターは、それまでは完全に冷静沈着で知的な傍観者キャラだったにもかかわらず、ハーデス編冒頭で目の前に現れた謎の男がシオンであるとわかった瞬間から、いやもう面白いほどボロボロと取り乱すわ表情変わるわ感情見せまくるわ、師匠のことに関してだけは最後まで判断力鈍りまくりだわ、挙句の果てに妙な色気まで発散し始めるわ(爆笑)、とにかくイメージ変わるんです。変わりまくりすぎるんです。
 まるで今まで隠れていた本性が初めて顔を出したみたいに。

 というわけであの盛大なキャラ崩壊の有り様(笑)を見るだけでも、私にはムウにとってシオンがどれほど特別な存在だったのか偲ばれてならない。
 つーか、ずばり第一印象、私にはあれが「シオン←ムウ」に見えて見えて仕方が無かった。
 いやもっと言えばぶっちゃけあの原作、少なくとも「シオン←ムウ」の部分だけは、かなり意図的に明確にはっきりと、車○によって公式宣言されているようにすら見える。

 なのに!

 それなのに、ムウのそういった師匠への思いは、作中で報われることは何一つなく、それどころかあの冒頭の白羊宮以降、二度と顔を合わせることもなく、さよならさえも言えないままに、お互いものすごく離れた場所で、それぞれ散って行きやがるんですよ、あいつら! シオンが塵になる瞬間も、ムウは別れの言葉一つ言えないどころか、それと気付くシーンすら描いてもらってないし!
 もうなんか見ててかわいそうというか、あそこまでキャラ崩壊してシオンのことを慕っていたのに、オチが無いんですか!?ええっ!?みたいな。
 よりによって「あの」ムウが、他人のこと無条件に慕って土下座までしたというのに、全然報われないで終わっちゃったよオイ?!みたいな。
 あれだけ色々やっといてここで放置とか、ちょっとこれムウ様めちゃくちゃかわいそうじゃん!?ひどいよシオン!?みたいな。

 つまり当時の私には、何だかムウ様の酷い片想いに見えたんですこの原作。だって、ムウのシオンに対する個人的な想いが、表面的にはまったく欠片も報われないまま、バッサリ終わっているんですもの。
 まあ一応、最後になって、本当はシオンもムウと同じアテナ側だったんだという、聖闘士としての同盟関係まではフォローされたんだけど。
 でも、師としてのシオンの本音の方は、その後もまったく表明されることがなく、その結果、ムウの個人的な思いに対するシオンの「答え」のようなものは、まったくの空白、まったくの謎のまま、オチもつかずに終わってしまっている。作品内では、「明示的には」、まったく描かれていないのです。

 なので、実は私がシオンムウにはまった最初のきっかけは、ムウ様が報われて欲しいです!という、なんというか半分願望というか八つ当たりみたいなものからだったのでした。
 原作で描かれていたムウの想いが強すぎるから、余計にそれが切なくて、だからせめてシオンにも、ムウのことが大切だったのであって欲しかった。ええいムウ様が幸せならそれでいいんだ!ちくしょう!みたいな。うん、今思えば完全に八つ当たりだったと思います。はい。(笑)

 ……でもそんなモヤモヤがきっかけで色々と妄想し始めてしまったのが、底なし沼に足突っ込む原因だったんですよねえ。ははは。



◆ステージ2.考えれば考えるほど原作がシオンムウにしか見えなくなってくる病気 (妄想入ってきました)

 そういうわけで、原作に明記されたことを表面的に客観的にだけ読むならば、このハーデス編、ムウの片想いっぽいよなあと、当時の私には思えたのでした。
 そういう意味ではもしかしたらシオンムウとは、「表面的には片想いに見える原作の関係をどうやって両思いにするか」というところが、各人の腕のふるいどころになってくるような、そんなタイプのカップリングなのかもしれません。

 しかし個人的には何だか、良く考えるにつれてですね。というか、原作を読み込めば読み込むほどにですね。
 微妙に原作者の仕業によって、「シオン→ムウ」の矢印が書けてしまうところが、実は何箇所もある!という気がしてきましてですね。
 つーか普通に両思いなんじゃねこいつら?みたいな気がしてきましてですね。

 だいたいこの師匠、思いっきり目と目で見つめ合いながら、「私はお前が可愛い」とか言っちゃってるしね。土下座自体の解釈だって幾通りでも可能だしね。ていうかこの師匠、デスマスクとアフロディーテを助けもせずに「天かける黄金の羊がなんたらかんたら」とか言って、あまりにも好意的に弟子をガン見していすぎだしね。みたいな。みたいな。その他諸々エトセトラ。
 ……そんなわけで、今となってはこの、一見成り立っていないように見えて実は裏の意味が5万通りくらい読み込めそうなところこそが、シオンムウというカップリングの底なし沼のゆえんではないかとも、思う。

 なので、もしかしたらシオンムウとはむしろ、そもそも原作の二人の間にどっち向きの矢印を何本引くかということ自体が各人の腕のふるいどころであるような、そんなタイプのカップリングなのかもしれません。
 例えば「シオン←ムウ」からスタートした私みたいなタイプの回路もあるだろうけど、逆に「私はお前が可愛い」からスタートして、先に「シオン→ムウ」にハマる回路っていうのも全然ありだと思うわけです。(ていうかむしろ成り立ちますよね。「シオン→ムウ」成り立ちますよね明らかに!)(←落ち着け)

 ちなみに「シオン←ムウ」から入った私の場合、「シオン→ムウ」の矢印を後から補完しなきゃならなかったのですが、個人的なポイントとしては「シオンが本音を隠して行動していた」というのが割と大きかったかな。いやもちろん「私はお前が可愛い」も重大なポイントではあるんですが。(笑)

 というのも、そもそもあのシオンはハーデス軍の監視の中でお芝居していたわけなんだから、きっとムウに対する態度も本来はもう少し違った感じだったんじゃないかと思うんですよ。
 第一、あれだけムウから慕われている以上、本当は弟子に対して普通に優しい人だったんじゃないのかという気もするし(たとえわかりにくい形だったとしても)。ムウ自身が「我が大恩ある師」だと言っていて、その上あの老師までもが「シオンはムウの大恩ある師」って言ってるんだから、それって普通に考えて、普通に大恩ある師だったんじゃないのか?みたいな。
 車田マンガって割と素直なので、こういう描写のされ方をしている人って、実はかなりの確率でいい人なんじゃないかと思うんです。至極、素直に。

 ていうかシオンって実は、他人のために泣く人なんですよ。本当はめちゃくちゃいい人だと思うんですよ。
 だって、アテナ神殿ですべてが明らかになった時、「サガたちの苦しみ」のことしか星矢たちに言わないんだもんこの人。自分の苦しみのことだって言っていいはずなのに、「サガたちの苦しみがお前たちにわかるか!」とか言って、他人の苦しみのことしか言わないんだもんこの人。そんで涙を流すんだもん、この人。自分だって苦しかったはずなのにさ!

 なので私が見た原作シオンは、実は基本的&本質的に結構まっとうで誠実な人です。そして、ムウの知っている師としてのシオンもきっと、本当はそうだったんじゃないかと思うのです。だからこそあれほど弟子から尊敬されているんだと思うのです。いささか盲目的とも言えるほどに。
 (いやもちろん同時に、かなり破壊的で、かなり強烈で、かなり悠然としてて余裕綽々でプライド高い人なんじゃないかとも思うのですが。あの原作描写を見る限り。笑)

 (ちなみに上記のことに加えて、あとシオンとムウの会話において使用される特定の言葉使いのパターンも個人的にはかなりポイント高いのですが、これについてはちゃんと説明が必要なのでいつか詳しく更新したいと思います。)

 なんにせよ、アテナ神殿で最後に見せたあの顔のせいで、「この人ずっと本心が言えなかったんだ!」ってことがわかってしまったため、シオンについてはついつい、「描かれていなかったもの」を物凄く想像してしまう管理人なのでありました。
 もしこのサイトのシオンが、いささか繊細で良い人すぎるように見えることがあるとしたら、それは多分そういう理由だと思います。



◆3.そんなこんなで末期的症状(=現在)

 とまあ、だいたい以上のような遍歴をたどって、ふらふらとシオンムウに萌え始めたわけなのですが。(長かった…)
 しかしながら、(今までこれだけ口を極めてシオンとムウの間の矢印が双方向的だということを主張してきたくせにここでこんなことを言うのも非常にアレなんですが、)実は最近では、むしろすれ違っているのが萌えなんじゃないか!という末期的症状を呈しつつもある私です。(お前…)
 ……いや、シオンムウ病が進行しすぎたせいで今やあまりにも原作がシオンムウにしか見えないがために(爆笑)、もはやこいつらの矢印が双方向なのは私の中で決定となってしまって、その前提の上での、すれ違い萌えというか、切なさ萌えというか、まあその、ははは。

 いや、だって、原作内ではっきりとラブラブになってたら、読者の妄想の余地が無くてつまんないと思うんですよ。逆にもうご馳走様!結構です!ってなっちゃうと思うんですよ。
 だからシオンムウは原作によって説明されつくしていないところがむしろいいと思うんですよ。
 その描かれていない行間で、おまえら、いったい、何があった!!みたいなところがむしろいいと思うんですよ。
 でも、それは決して何も描かれていないというわけではなくて、むしろはっきりとは描写されていないくせにすごく意味深なヒントだけはあちこちにいっぱい散りばめられている!というこの絶妙のバランスと緊迫感なんかもう、奇跡としか思えないわけですよ。ええ。

 そういうわけで、原作内で一見すれ違いに見えるところがむしろ萌えです。あの切ない関係がむしろ萌えです。フォローされないまま終わってしまったところすらもはやむしろ萌えです。でも双方向も萌えです。片想いも萌えです。両思いも萌えです。シオンムウ終わりません。終わりが見えません。奥が深いです。深すぎです。はっは。
 というわけで、今回の結論。

 シオンムウは深いヨ!

 ……終わる。(ムリヤリ)




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Written by T'ika /2008.2.2