森狙仙 岩上双猿図  1幅  紙本著色 江戸時代
 森狙仙(1747〜1821)は、江戸後期の大坂で活躍した画家。初め山本(あるいは勝部)如春斎から狩野派の画法を学んだが、その後、長崎派、あるいは円山応挙の画風などを学び、写生派に転じた。狙仙以降、森派は、大坂を代表する写生画派として、明治期まで活躍した。
 動物画に優れ、特に繊細な毛描きによる猿の描写で、猿を描かせては並ぶものなき名手といわれた。初め「祖仙」と号したが、文化4年(1807)頃、おそらく同年の還暦を機に「狙仙」と改めた。
 
 本図は、岩上に座る2匹の猿を描く。岩の傍らには羊歯が生い茂る。
 落款の書体から、制作時期は40代前半以前の若年期と判断される。印章の朱文方印「祖仙之印」は、狙仙が、兄の森周峰、甥で養子の森徹山との合作で制作した「釈迦三尊図」(西福寺)に用いたものと同一のもので、その使用例は極めて稀である。
 なお、本図の箱には、蓋表に「森狙仙猿 聴雨堂主人」の箱書がある。明治24年(1891)、稲茂登長三郎(号聴雨堂主人)の日本絵画コレクションを紹介するために、日本画家渡辺省亭が刊行した『聴雨堂書画図録』に掲載される「森狙仙母子猿図」と本図は酷似しており、おそらく同図であろうと思われる。
部分1  部分2 部分3 部分4 部分5 落款印章・箱書

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