土佐光成 十二ヶ月花鳥画帖 1帖  絹本著色 江戸時代
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表紙
 土佐光成(1647〜1710)は、桃山時代から江戸初期に失っていた宮廷絵所の地位を取り戻し、土佐派を復興した土佐光起の子。延宝9年(1681)、光起の隠居、剃髪に伴って正六位下左近将監に叙され、宮廷絵所絵師となった。元禄9年(1696)には従五位下、刑部権大輔に進んだのち、直後に隠居、剃髪して、絵所絵師の地位を子の光高(光祐)に譲った。
 藤原定家の「詠花鳥和歌各十二首」を題材にして描かれたいわゆる「定家詠月次花鳥和歌図」である。ただし、描かれるのは各月の花もしくは鳥の一方のみであることが基本で、絵とともに仕立てられたと推定される和歌色紙も、各月の花もしくは鳥の一方の和歌のみを書写する(和歌色紙の筆者は不明)。
 江戸時代初期、狩野探幽や土佐光起をはじめとする多くの画家たちが、中世には描かれることがほとんどなかったと考えられるこの「定家詠月次花鳥和歌図」を描きはじめ、それ以降、絵画や工芸品の意匠として多用されるようになった。この画帖に収められる各図の図様は、光起がこの題材を手がけた作品として知られる「十二ヶ月歌意図巻」(東京国立博物館)と酷似する図様や描法を有する作品である。 1月の図の落款にあるとおり、延宝9年(1681)から元禄9年(1696)の間の制作と判断されることから、元禄4年(1691)まで存命した光起の影響下での作画によるものと推定される。

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