葛蛇玉 蛇玉図 1幅  紙本墨画 江戸時代 明和3年(1766) 河合鹿門賛
 葛蛇玉(1735〜80)は、江戸中期の大坂で活躍した画家。橘守国、鶴亭に学び、鯉の画を得意としたといわれる。その遺作は極めて少ないが、早くに紹介された「雪中松に兎・梅に鴉図屏風」(プライス・コレクション)が、江戸中期の水墨画の秀作として、近年とみに評価を高めており、蛇玉に対する注目も集まっている。
 現在紹介されている作品は、いずれも、鶴亭から伝授された沈南蘋の画風に学んだものといえる。沈南蘋は、享保年間に長崎に来舶した中国の職業画人であるが、濃密で明暗を明確に表す彩色、緻密な細部表現による写実的な着色画や、墨の濃淡を強調する片ぼかしなどを多用する水墨画などが、当時の日本で新画風として受け入れられた。長崎滞在時の門弟は、熊斐のみであったが、熊斐の門下からは、沈南蘋の画風を受け継ぐ多くの弟子が生まれ、中でも鶴亭は、京・大坂に沈南蘋の画風を伝える上で、大きな役割を果たした。

 竹に絡まる蛇が口に玉をくわえるという特異な画題の作品である。蛇の傍らには、臨済僧で、のちに相国寺の住持となった維明周奎の賛があり、玉をくわえた蛇からその玉を与えられるという夢を見、目覚めると実際にその玉があったという体験を契機に、号を「蛇玉」と改めたということ記している。この賛は、木版によって刷られており、また、類似する図様、同版の賛がある「蛇玉図」が別に存在する(「若冲ワンダーランド」展〈2009年、MIHO MUSEUM〉に出品)ことから、これらの図は、蛇玉が自らの改号を記念し、それを多くの人々に広報するため、多数制作された類品の一部であると思われる(なお、本図は、伊藤若冲アナザーワールド」展〈静岡県立美術館・千葉市美術館、2010年〉に出品された)。
 なお、維明の署名の末尾の下部には、別本には印があるのに対し、本図には印がない。仔細に観察すると、別本の印は、印を別紙に捺し、それを本紙に張り付けたものであることが分かる。本図には、署名の末尾の下部に方形のシミがあり、本来、本図にも、別紙貼り付けの印があったと思われる。広報のための量産という意図があるにせよ、肉筆画に、木版の賛、別紙貼り付けの印を加えるという作品は、極めて珍しい。
 画は、細筆を多用した丁寧な描写による蛇と、抑揚のある筆致で表わされる風になびく葉や、片ぼかしで所々洞(うろ)まで表わす幹など大胆な描写による竹が、好対照をなす。

 蛇玉は、江戸中期の大坂において、極めて優れた画技を有した沈南蘋系の画家であり、今後、数多くの作品の出現が望まれる。



(注) 本作品の賛者については、このページを作成した2011年当時、維明周としていましたが、その後発表された以下の論考に
   おいて河合鹿門であることが明らかにされました。
    謹んで賛者名を訂正します。

     井上泰至  「闇」の絵師葛蛇玉―『雨月物語』「夢応の鯉魚」の新たな読みへ― 『雅俗』第12号 雅俗の会 2013年
部分1  部分2  部分3    落款・印章

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