3宅徳平

堺市宅醸春軒所蔵品入札(第一回) 大正2年6月1日 大阪美術倶楽部
堺市宅醸春軒所蔵品入札(第二回) 大正2年6月14日 大阪美術倶楽部

 宅家は、江戸時代以来、泉州堺において、銘酒「沢亀」の醸造元として繁栄した旧家である。明治以降、当主の宅徳平は、家業を宅合名会社として、その近代化を図るとともに、その資産を、電鉄、銀行事業等に投資し、浪速銀行、大阪貯蓄銀行、南海鉄道などの取締役を務めた。
 同家は、江戸時代以来の富商であり、江戸時代京都、大坂画壇の画家たちの作品を数多く所蔵していたと思われるが、徳平自身は、茶道に精通し、明治期に茶道具等の作品を数多く蒐集したと目される。
 宅家の2回の売立は、徳平の養女とめの実父で、明治期の名古屋を代表する財界人であった奥田正香の債務分担のために実施されたと、高橋箒庵は伝えている(『近世移動史』慶文堂 昭和4年)。