■心の欠片■

 三




斎藤の隊務だと言い張る行動は、翌日以降も続いた。とにかく斎藤がぴったりと千鶴にくっついているものだから、千鶴はやたらと緊張してしまい毎日ぐったりである。
異性に免疫はないが、まるで興味がないわけでもない。まして斎藤は千鶴からみて素敵な男性である。緊張するなという方が無理であった。
そんな千鶴の様子に斎藤も気づき、疲れているのかと問うがまさか斎藤がくっついているから緊張してしまうなどとは言えない。
言えば、斎藤を困らせてしまう。斎藤は、好きで千鶴にくっついているわけではないのだ。
彼にとって、これは任務なのである。なぜ千鶴にくっついているのが任務なのかはわからないが、きっと監視の一環なのだろう。
これは、もう。乙女としては贅沢な悩みなんだと思うことにするしかない。
だが千鶴は開き直れなかった。だって、斎藤との距離が近すぎてとにかく恥ずかしい。
千鶴は斎藤に気づかれぬようさりげなく赤くなった顔をそらした。







その様子を一方は頭を抱えて、一方は苦笑いで見守る者たちがいた。土方と原田である。
「お前、斎藤に何て言いやがったんだ?」
「千鶴があっちの意味で危ねぇから気を配れとは、言ったな」
「・・・で、あれか?」
原田は苦笑いで頷く。原田にしてもまさかこうくるとは予想外だった。
あれなら自分で守ってやればよかったと流石の原田でも思ってしまう。
気を配れとは言った。千鶴が男に変な対象で見られているとも言った。原田が一番組の連中から千鶴を引き離したとき彼らに誤解をさせるようなことをしたことも案外いい方法かもなとも言ったかもしれない。
だからといって初な娘に日々緊張を与えろとは言ってない。あれでは千鶴は毎日緊張しっぱなしである。もし自分がくっつく方ならやはり千鶴は可愛いから、抱き締めてやりたくなるだろう。彼女は年頃の娘らしく恥じらって真っ赤になってしまうだろうが、原田の場合は普段から千鶴をかまっているから千鶴にも耐性がついているのでまだいい。彼女もしばらくすれば、落ち着いてくれるはずだ。いや、自分ならもっと千鶴にわからぬように相手を牽制したかもしれない。
だが、斎藤は違う。普段から堅苦しい物言いといい、何かと隊務と口走る真面目な斎藤。斎藤の身辺から浮わついた話が出た試しはない。彼女が戸惑うのは当たり前だ。
しかし。
原田は口許を僅かに緩ませた。
「なんだよ」
土方が敏感に反応する。原田に対して土方はえらく不機嫌だった。
「いや、あの斎藤が相手を牽制するのにわざわざ誤解を招く方法をとるとは思わなくってな」
「・・・・だから問題なんだよ」
土方が呟くように言う。やれやれ、土方はすっかり千鶴の保護者気取りなんだなと原田は思った。恋愛感情に向かわない辺りが、土方らしい。
千鶴に直接は優しくない彼は素直ではない性格そのままに、実に分かりにくい方法で千鶴を庇い続けていることを知る人間は事情を知る幹部の中でも少数だった。事情を知らない幹部たちの前で、堂々と千鶴を小姓にして何が悪いと開き直りとしか思えない一言を言い放ったのは記憶に新しい。
(ま、あの斎藤がだけに心配にもなるか)
微笑ましくはあるのだが。
「で、あいつらの努力は報われてんのか?」
過激浪士の動きが活発になっている今、土方は忙しい。いつまでも彼らにだけ気を配ってられない土方は照れる千鶴と真顔の斎藤に視線をあてたまま訊ねた。
「流石に気づいたらしいぜ?斎藤をちらちら見てやがるから間違いねぇな。ついでに総司が隊務だと言い張る斎藤をからかってあそんでやがる」
千鶴は知らないとはいえ、彼女の身がある意味危険ではあるから邪魔はしないようだが、千鶴をからかって遊べないことが不満らしくそれを斎藤で晴らしているようだ。
「総司は放っておけ。ま、ややこしいことにならないなら、それでいい」
と、言いつつ原田を睨む。
(俺が逃げたことを根にもってやがんな、土方さん)
原田は苦笑いを浮かべた。確かに、原田があのまま引き受けた方が話は早かった。すでに斎藤が話をややこしくしているのも確かである。
「ま、俺も気を付けるさ」
原田の返事に土方は当たり前だと言って去っていった。
去っていく土方を見送ってから原田は再び、微笑ましい二人に目を戻す。
(こういう事は急展開と相場が決まっているが、さて。いつ爆発するかだな。奴かそれとも斎藤か。斎藤のやつは、無意識に事態を悪化させることをしそうではあるか・・・真面目故に極端から極端に走るからな。ま。なんにせよ、千鶴が傷つかないようにしてやらねぇと)
いざとなったら、『両方』殴り倒して千鶴を守ればいいか。と、原田は物騒なことを考えてしばらく飲み歩くのを我慢しようと考えていた。






「雪村」


その日の晩のことだった。千鶴は食事の後始末を手伝ってから、自室に戻るべく歩き出そうとしていきなり現れた斎藤に捕まった。
手首を捕まれ斎藤の傍に引かれる。
「さ、斎藤さん・・・?」
驚いて、思わずかたまると斎藤が少しだけ居心地悪そうに目を逸らした。
「強く引きすぎたな、すまない。雪村、このあと少しだけ時間はあるか」
「はい」
「ついて来い」
そういって斎藤は千鶴の腕を掴んだままずんずん奥へと進んでいく。斎藤は庭に降りて千鶴を草の覆い繁る暗がりへと連れ込んだ。
ここに何があるんだろうか。不思議に思って斎藤の顔を見上げると、斎藤はひどく困ったというような顔をしていた。
千鶴を静かに見下ろして、ひどく何かを躊躇っている。
「あの、斎藤さん?」
呼び掛けると、斎藤は千鶴をじっと見つめて大きく息を吐いた。それから、心を決めたというように頷いたあと千鶴の両肩に手をかけ、千鶴の顔を覗き込んだ。
「雪村。これから話すことをよく聞いて欲しい」
(?!)
彼は真剣だった。故に千鶴は離れて欲しいとはとても言えない。
「あんたは全くもって気づいていないかもしれないが、あんたにとてつもない危機が迫っている。何がとは言えんのだが、あんたにとってはかなりの危険だと言える。最近、不逞浪士の活動も活発故に常に俺があんたに付いているという訳にもいかん。本当はあんたには伝えぬ方がよいのだろうと思う。しかし、もし伝えなかったことで知らずに危地に飛び込んでしまうこともあるかもしれない。そうならぬようにするためにも、話すことにした。もし、俺がいないときに危機に直面したときは躊躇わず他の幹部を頼れ。あんたは隊士ではないのだから後傷など気にせず全力で逃げろ」
わかったか。というように、斎藤の顔がますます近付いた。あまりの至近距離で千鶴は、頷くことすらできなかった。頷いたら斎藤にぶつかってしまう。それ以前に千鶴は完全に頭が真っ白になっていて指一本すら動かせなくなっていた。
暗がりだというのに、斎藤の顔がはっきり見える。普段は長めの前髪に隠された目がまっすぐに千鶴を見つめていた。斎藤が話せば、彼の吐息が千鶴の顔にかかった。
(!!!)
息が止まったような気がする。いや、止まった。あまりのことに息をするのを千鶴は忘れていた。
ドクン。と、心臓が跳ねた。千鶴の頬は熱を持ち、恥ずかしさのあまり目が潤む。千鶴は、耐えられずに目を伏せた。
「・・・雪村?」
なおも千鶴の顔を覗き込もうとする斎藤に、このままでは気絶してしまいそうで、少しだけ離れてくださいと告げようと彼に目を合わせた。すると、先程まで冷静だった斎藤が僅かに目を見開いて息を飲んだ。
「・・・・ッ、すまない!」
バッ、と後ろに飛び退いて斎藤は目を逸らす。
二人の間になんとも言い難い沈黙が落ちた。
互いに反対方向を必死に凝視している様はあまりに滑稽でもし二人を見ているものがいたら、初々しいことだと苦笑いを浮かべたことだろう。しかし、千鶴には互いの姿がどう見えるかなどということまで頭が回るはずもなく大混乱のまま、どうしたらよいかわからずしゃがみこんだ。


なに、これ。
何が起きたの。


斎藤はただ一生懸命真剣に千鶴に危機とやらを知らせてくれていただけなのに。何かが、おかしい。
斎藤がなんだか知らない男の人のようだった。怖いようで、少しだけ違う感覚に千鶴は戸惑った。こんな感覚を千鶴は知らない。
千鶴は首まで真っ赤になっていた。よくわからぬが、堪らなく恥ずかしかった。今は、斎藤と顔を合わせられない。無理。絶対無理。どうしたらよいかわからず千鶴は、赤い顔を膝に埋めた。



べし。



いきなり聴こえた音に千鶴は驚いて赤い顔のまま振り返る。
「原田さん・・・」
そこには斎藤の頭を力一杯叩いたらしい原田がいた。
「痛い」
「あたりめぇだ、痛いように叩いたんだよ!」
「何故」
「なにゆえじゃねぇよ」
再び容赦ない手刀が斎藤の頭に振り落とされた。
「左之、意味がわからん」
「・・・ったく、お前は・・・。千鶴、大丈夫か?おっきな目が潤んじまって・・・ほら、もう大丈夫だ」
原田は千鶴の前にしゃがみこむと千鶴の頭を撫でながら、千鶴の目尻に溜まった涙を拭った。
ほっ。と、する。思わず小さく息を吐くと原田が苦笑いを浮かべた。千鶴を優しく立たせてから振りかえる。
「斎藤、やりすぎだ」
「なにがだ。俺はただ、雪村自身に自覚を促していただけで他意はない」
その言葉に原田は一瞬絶句してから、ため息をついた。
「じゃあ何でこんな暗がりに千鶴を連れ込んだんだ」
「それは、情報の漏洩を防ぐためだ」
真顔である。
原田が頭痛いというような顔つきで千鶴を引き寄せて、歩き出す。千鶴は斎藤の話が終わってないのではないかと彼を振り返った。
斎藤と目が合った。



「!!」



互いにバッ、とそらしたのは何故か。その時の千鶴にはまだよくわからなかった。
ただ、やけに顔が熱いのはたぶん夏の暑さのせいではないことだけはよくわかってはいた。





   





 
次回から急展開です(笑)
いきなり池田屋に突入します。
読んでくださってありがとうございました!