■心の欠片■

 




「千鶴です」
男にしては高めの声に土方は、筆を止める。筆を置いてくるりと体を反転させた。
「入れ」
「失礼します」
「・・・どうしたんだ?」
「い、いえ・・・あの」
入ってきた千鶴にいきなり土方が尋ねてしまったのも無理もない。
呼んだのは土方だから、用件を尋ねるべきは千鶴なのだが目の前の千鶴は顔半分を手拭いで覆ってしまっているのだ。明らかに不自然である。
「なんだ、風邪でもひきやがったのか?」
土方の問いに千鶴は首を振り、少し迷うような素振りを見せてから手拭いを退けた。
半分泣きそうな顔で土方を見上げた千鶴の主に鼻から下に土方は唖然とした。
千鶴の口のまわりが真っ赤になっている。思わず笑いの発作が沸き上がったが、年頃の娘相手なんだからと慌ててそれを飲み込んだ。コホン。と、咳払いをひとつ。なるべく千鶴の顔を見ないようにして尋ねる。
「何があった」
「沖田さんが、」
千鶴の説明に土方は脱力した。
ないだろ、それは。どこのお子さまだよというツッコミから始まって、巡察の道中だからまた新選組の評判が・・・と、頭が痛くなった。あれの考えることはたまに突拍子もなさすぎる。何がしたかったんだ、あいつは。
千鶴も千鶴だ。どうにかして逃れる手はあったはずだ。例えば、沖田が剣豪といえども相手は男なのだから、急所を狙えば怯むだろうに。まぁ、育ちのよい千鶴に男の股間を蹴り上げるなんて真似はできないのはわかっている。それにしたって、これはないのではないか。まわりの隊士たちは何をやっていたのだ。良識ある大人ならガキの口をつねって喜んでいる馬鹿な大人を止めて当然だろうが。沖田が組長であっても止めるべきだ。
土方は眉間にこれでもかという程の皺をつくってため息をついた。
「冷やしてりゃ治る程度だな?」
「は、はい」
「ったく、あの野郎・・・総司には俺から言っておくが、お前も嫌なときはきっぱり断れ」
「・・・はい」
土方は、また深いため息をついた。沖田が真っ黒な笑みで千鶴に何かをいえば、断るなんてことはできないだろう。
これは斎藤あたりに頑張ってもらうしかないか。土方はまたもため息をついた。
「あの、土方さん。用件というのは?」
土方のため息をばかりの沈黙に耐えかねた千鶴が問う。
「ああ、忘れるところだった。お前、その。何だ」
用件が用件だけに言いよどむ。そういえば、呼びにやった原田がいないことに気付き土方は内心舌打ちをした。
「?」
かわいらしく小首を傾げる千鶴に土方は遠い目になる。なぜ、自分はこんな純粋な娘にあのようなことを確かめねばならぬのだ。
しかし、他に適任がいないのもまた事実。井上や近藤に知られれば、彼らは怒り狂うことは必至。怒れる近藤が千鶴相手に知らんでもいいことを口走る可能性がある。近藤たちがダメなら山南か。案外適任に見えてなんとなくその後が危ういような気がするからダメだった。千鶴がというよりも原田が懸念した通りだとして相手の男の命が危ない。貴重な人材が減るのは今の状況では少々惜しい。世話役の斎藤もダメだ。忘れがちだが、奴はまだ若い。千鶴の相手と考えたとき、似合いの年齢である彼には荷が重すぎる。第一、あの朴念仁に任せられる訳がない。遠回しに少女が怯えぬように聞き出すなんて不可能だ。
だから土方は原田が戻ってくることを期待した。やつは千鶴の中で優しいお兄さんという地位を獲得している。あれならばうまく聞き出してくれるに違いない。そもそも言い出したのは原田なのだ。だが、奴は逃げた。千鶴に嫌われるのが嫌だったに違いない。おのれ。
やはりここは土方が言うしかない。だが、この娘にどうやって何も悟らせずに尋ねるかが問題である。
(綱道さん。アンタを恨むぜ)
「土方さん?」
千鶴の声にハッと我にかえった土方は気が進まないが尋ねはじめた。




「千鶴。お前、最近・・・平隊士に虐められたりしてねぇか」
本当は、抱きつかれたとか変な風に触られたとかを知りたいが、言えるわけがない。千鶴はちょっと考えてから不思議そうな顔をして首を横に振った。
「ありません。あまり幹部の皆様以外にはお会いしませんし」
なるほど。千鶴にはまったくあいつらは気付かれていないようだ。千鶴の場合、気付いていたらすぐわかるだろうからわかりやすい行動に出ているとは思えなかったが。
今は祇園祭が近いということで京中が浮き足立っている時期である。色々と気を引き締めねばならぬ時期だ。まして夏の暑さにまいり腹痛を訴える隊士が多い今現在。千鶴のことまで気を回していられるかといえばそんな余裕はない。
問題がなければいいのだ。原田が考えすぎなのだろうと、土方はこの件を無理矢理終わらせることにした。
「ないなら、いい」
なおも不思議そうな千鶴を追い出して土方はやりかけの仕事に目を向けた。






(土方さんはなにがいいたかったのかな)
自室に戻って濡らした手拭いで口元を冷やしながら千鶴は首を傾げた。
親切な者ならいる。真っ先に頭に浮かんだのは、沖田率いる一番組の若い隊士だ。今さら名前を知らないなどと言えぬままの彼は、何かと千鶴を気遣ってくれていた。彼はとても優しい。千鶴が不思議な立場にいることを何となく理解している平隊士たちは千鶴を避ける。最近は少し打ち解けるようになった隊士もいるにはいるが、皆どこか一線を引いて接してきていた。千鶴には知られてはならぬことがあるから、好都合なのだが彼だけは違った。
「あまり親しくなっては、よくないよね」
女だと知られれば大変だ。気を引き締めないと。きっと土方は遠回しに平隊士と親しくなりすぎるなといいたかったに違いない。



「雪村、今いいか?」
「はい、どうぞ」
斎藤だ。てっきり正面に腰を下ろすと思っていた斎藤がそのまま何故か千鶴の隣に腰をおろす。隣に座るぐらいはよくあることだが、千鶴はあまりのことに完全に固まってしまった。
(ぴったりくっついている!)
何故、こんなにも隙間なくくっつく必要があるのか。斎藤をうかがうと彼もなにやら非常に困惑している顔つきで千鶴の顔を見ないまま、喋りだした。
「アンタには迷惑かもしれんが、これは任務だと思って耐えてくれ。別に俺がアンタに対してこうしたいと思っているわけではない・・・いや、別に嫌だというわけでは・・・な、何でもない。要は、そうだな。ハッキリ理由は明かせぬがアンタのためには一番なんだ、わかってくれ」
全然わからない。斎藤に何か問おうとすると彼は千鶴の口を黙れというように手で塞ぐ。
そのまま斎藤は千鶴の顔に己の顔を寄せて話し出す。顔が近い。千鶴は息が苦しいのと気恥ずかしいのとで目眩がした。
「しばらく、俺と行動を共にしてもらう。父親を探しに巡察に同行するのは今まで通りで構わん。それ以外は共に・・・どうした?」
ようやく千鶴の様子に気がついた斎藤は千鶴の口から手を退けた。千鶴は思わず息を深く吸って吐き出した。千鶴の息がまともに斎藤にかかって、今度は斎藤が凍りついた。



「・・・・」
「・・・・」


しばし、二人は互いの唇が触れてしまいそうな距離で見つめあった。千鶴はこの間、呼吸すら忘れた。
藍色の瞳に吸い込まれそうだとぼんやりと思ったとき、斎藤が我にかえったらしく、後ろに飛び退いた。
「と、とにかく。しばらくは我慢しろ」
「は、はい」
微妙な空気が室内に漂ったまま、隊務があるからと斎藤は去っていた。




残された千鶴は、土方といい斎藤といい。何をいいたいのかさっぱりわからず、ひたすらに困っていた。




   



 

普通の原作沿いじゃなくてすみません。しかも笑い方向になっている…!
池田屋事件は斎藤さんはまったく活躍しないのですが、新選組にとっては一番の晴れ舞台なものなんですよね。なんとか題材にしたいなと・・思ってます。 今回さすがに長すぎました。ここまで読んでくださってありがとうございました!