■心の欠片■
一. 祭の空気が街を覆い、浮き足だった空気が漂う夏の日。祇園祭―――。 そういう有名なお祭りがまもなくあると千鶴が聞かされたのは、巡察中のことだった。 「だからね、京にはたくさんの人がやってきているんだ。その中に過激な浪士が紛れ込んでいるかもしれないから、面倒だよね」 だから、面倒掛けさせたりしたら、見捨てるよ。と、にっこりと沖田は笑顔で言う。 千鶴が新選組に来た当初ならこの笑顔に怯えたかもしれない。だが、沖田のこれは日常茶飯事であり千鶴もこの頃は幾分余裕をもって対応できるようになった。「はい、その時はそうしてください」 「なんだ、困らないの?つまらないなぁ」 なんとも微妙な返答である。日頃から気になってはいたが、沖田は千鶴を困らせては喜んでいるフシがあるようなのだ。 千鶴は横をのんびりと歩く沖田を見上げた。 「なに?」 「なんでもありません」 下手なことは言えない。千鶴がきゅっと口を閉じると沖田はその口をぎゅっとつまんで引っ張った。 「!!」 「あははは」 なんてことをするのだろうか。ここは天下の往来でしかも巡察中で更に言うなら、大人がやるようなことではない。 「変な顔だよ」 「!!!」 痛い。なんとかしようと手をパタパタしていると、先を行く隊士たちが気づいて振り返り、全員が気の毒そうな目を千鶴に向ける。 視線だけではなく助けて。と、思うけれど沖田の性格を千鶴よりもよくわかっているらしい彼らは助けようとはしない。 千鶴には彼らの気持ちもよくわかる。だがしかし助けて。 「・・・・・ま、千鶴ちゃんが腹の底で僕をどう思おうと関係ないんだけど・・・・・ところで、君。あまり騒ぐと目立つよ?間抜けな顔をそんなに大勢のひとに見せたいのかな?」 笑顔で言われた言葉に千鶴は、ピタリと動きを止めた。 その後しばらく、歩きながら千鶴の口をつまんで遊び続ける沖田の奇行は続いた。ようやく沖田が飽きたのは、屯所のある壬生にだいぶ近くなってからだった。千鶴の唇は真っ赤に腫れ上がり、涙目になった彼女を気の毒そうな目でみやる野郎の集団という不思議な図式の巡察隊はいつものように屯所へと戻って行く。 「じゃあ解散」 沖田の号令に隊士たちは散って行った。 「雪村君、口は大丈夫か?」 「組長も容赦ないなぁ」 「腫れている・・・・・水で冷やしたらいいぞ」 などと、千鶴に声をかけてくれる者もいる。 千鶴は元が女性だから、少年とすると実際の年齢よりももっと下にみられがちである。よって、子供好きな隊士などは何らかの事情があって新選組に預けられ、よりによってあの鬼副長の小姓にさせられている容姿だけなら女の子と間違うぐらい可愛らしい男の子が、かわいそうでならないらしい。 隊士数名に囲まれてしまった千鶴は、意味もなくおろおろしてしまう。 それが可愛らしいのだろう、彼らはその場からなかなか去ってくれない。 女とばれる前になんとか立ち去ろうと焦る千鶴の体が、突然後ろに引っ張られた。 「はっ、原田さん?」 「こいつがどうかしたか?」 千鶴の腹の辺りに手を回し、己の腕の中に引き寄せた原田が隊士たちに声をかけている。 「原田組長、なんでもないんですよ」 千鶴の正面にいる若い隊士が千鶴の腹に回された原田の腕から視線を外さずに答えた。 「巡察中に、雪村君が沖田組長にずっと唇を引っ張られ続けて・・・・・」 (は、恥ずかしい) 淡々と説明されるとなんだか居たたまれない。しかも原田は千鶴を抱き締めたままなものだから、いけない。 赤くなって行く顔を止められないし、原田に抱き締められているから逃げることもできない。 千鶴が気絶しそうになっているのを原田はたぶんわかっているのに、彼の腕が解かれる気配はなかった。 「で、お前らは総司によって散々な目にあったこいつを心配してってか?」 頷く彼らに原田はなるほどなぁ。と、呟いて、千鶴ごとくるりと背を向けた。 「事情はわかった。お前らは心配すんな。こいつのことは俺が面倒みるからよ。土方さんに呼ばれってから、ひとまずは土方さんとこ連れていくわ」 「あ、原田組長!」 千鶴を連れ去る原田にさきほどの隊士が声をかけてきたが、原田は軽く手を上げるだけで千鶴の手を引きどんどん離れてゆく。幹部が暮らす部屋の辺りまで来て、原田は急に立ち止まった。 「やれやれ・・・・・」 原田は、今来た方向を見遣りながら頭をかく。 原田が見かねて千鶴を助けてくれたのは間違いない。 「あの、原田さん」 「ん?あー・・・・・心配すんなって、これっぽっちも迷惑だなんて思っちゃいねぇから。それより、総司のやつに唇をつねられたって?見せてみろ」 「えっ」 ぐい。と、正面を向かされ両肩に手を置き顔の高さを合わせて覗き込んでくる。 顔が、近い。普段は見上げてばかりの原田の男らしい端正な顔が、真正面にある。 心の臓が口から飛び出そう。 「あー、こりゃひでぇな。ヒリヒリしねぇか?」 「ど、どちらかといえば、熱くて痒いです」 「・・・・・バカ総司が」 あとで仕返ししといてやっから。と、不吉なことを言いながら目で何かを探している。 千鶴的には少し顔を離してもらえないだろうか。そんなことを思った時だった。 「何をしている」 千鶴は見た。原田の背後に刀の切っ先が。 原田は平然としている。振り返ることもせずに、苦笑いを浮かべた。 「総司の奴に千鶴が酷いことされたから、みてやっていただけだ。危ねぇだろ、千鶴に当たっちまったらどうするんだ」 ようやく千鶴から顔を離し、安心させるように笑ったあと頭にぽん。と、手を置いてから背後を振り返る。原田に隠れて見えなかった彼の背後が千鶴にも見えた。声でわかっていたが斎藤がそこにいた。 「誤解を招くようなことは慎め」 刀を納めながら言う斎藤に原田は眉を片方持ち上げる。 「誤解?・・・・・なるほどなぁ。ま、お前はともかくあいつらには誤解してもらった方がいいか」 「「あいつら?」」 斎藤と千鶴の声が被った。原田は斎藤をちらりとみてから、千鶴に向き直った。 「千鶴、お前はまず口を冷やしてからマジで土方さんが呼んでるから土方さんとこにいけ。冷やすまでそばにいたほうがいいか?」 「いえ、大丈夫です。原田さん、ありがとうございました」 「おう、ちゃんと冷やせよ」 「はい」 土方が呼んでいるのならば急がねばならない。千鶴は二人にぺこり。と、頭を下げると足早にその場を去った。 残ったのは、男二人である。斎藤に話があるのだろう、原田はちょっと俺の部屋に来いと言う。 「左之」 「ここでは話せねぇんだよ。いいから来いって」 そう言って半ば強引に自室に斎藤を引っ張り込んだ原田は、襖をぴったりと閉じると胡座をかいて座る。 正面に腰を下ろすと原田は真剣な顔で口を開いた。 「千鶴が危ねぇ」 「何故そう思う?」 話がまるでみえないが、内容が聞き流すわけにはゆかない。再度訊ねると、原田は先ほど自分が見た光景を話してやった。 千鶴は全くもって気づいていないが、あれは弟みたいな感覚ではなくそういう対象に見られていると。 中には純粋に千鶴を気に入っている隊士もいると原田は言う。挙がった名前に人物を思い浮かべて納得する。よく千鶴が庭で洗濯物をしているときに穏やかな笑顔で手伝ってやっている連中だ。確かに危機的な感じはしない。 だがそうではない者も複数いるのだと原田は言った。その筆頭が一番組にいるという。一番組だから剣の腕もたつし、いくらか己に自信もある。そんな奴が千鶴に邪な想いを抱いていると言うのだ。 「何故、左之はそう感じた?」 「さっき、な。千鶴を奴等の輪から引っ張り出そうとしたときのあいつの目がな・・・・・」 ありゃ、嫉妬の目だぜ。と、断言する。斎藤には何故そこまで言い切れるのか謎だったが原田が言うのだから間違いないのだろう。 確かに、千鶴はそういった対象に見られやすいかもしれない。今更ながら気づく。本当は女性だからその気がなくても、無意識に千鶴の女の部分を嗅ぎ取り、転ぶ輩がいないとはいえない。対外的には男な訳だから性別の壁があるからそちらの心配はしていなかったが迂闊であった。 「ただでさえ、一番隊は総司が千鶴を構い倒しているから危ねぇな」 「我慢できなくなるというのか?」 「あぁ。今は、幹部の・・・・・いや。土方さんの小姓というのが最大の防壁となってるが、何かの拍子に箍が外れてもおかしくねぇよ」 「・・・・・」 なるほど。これは危険だ。あの娘に危機感などというものを期待できるわけもない。大事に育てられすぎて、千鶴はその方面に関して心配になるほど疎かった。 「で、な?斎藤。千鶴の傍に一番いるのはお前だ」 「左之、わかっている。気をくばれというのだな」 「あぁ」 しかし。衆道とは。千鶴は女だというのにおかしな話である。 なんにしろ、間違いが起こってからでは遅いここは自分がしっかりせねばと思う斎藤であった。 → |