■秘める恋■
九. 俺は、とうとう土方さんの逆鱗に触れるようなことをしたのか。 思い当たることがありすぎてどれだかわからねぇ……って、いやいや。そんな訳ないだろ。最近はめっきりと落ち着いてるはずだ。 だがありゃ、どう見ても俺を目指してるよな。原田って言ってるし。まさか腹だと叫んでる訳もねぇし。 つまり、俺の人生ここまでということか。 嫁さんもらいたかったぜ。 千鶴みたいなかわいい嫁さんがな。 しかしさすが土方さんだ、いい走りっぷりだぜ。 などと、原田は迫りくる修羅をみつめながらそんなことを思った。人間心底驚くと変に落ち着くらしい。 迫りくる修羅が原田を掴み、鬼の住まいに引きずり込まれる間、原田はやけに冷静に自分をそう分析していた。 目の前の修羅。いや、土方は寝間着のまま爆走したせいで着衣は乱れ、髪も整えなかったのだろう乱れに乱れまくっている。これはこれで妙な色気があってその道の男たちや女にはたまらないだろう。しかも、この部屋には寝乱れた床があるときたもんだ。しかし、残念ながら原田にはその手の趣味がなかったので、何だか病んでやがるとやや引いただけであった。 目の前で土方はすっかり荒くなってしまった息を整えている。しばらくかかりそうだったので、原田の方から話を切り出す。 「なぁ、土方さん。俺、何かしたか。思い当たらねぇんだが」 何かやらかしたのなら謝ったもん勝ちである。だが、土方は鋭く原田を一瞥しただけだった。 違うのか。だったら何だと思っていると、ようやく息を整えた土方がどっかりと胡座をかいて座り込み、膝に手を当てて原田の方に身を乗り出した。もう新選組を結成してからとりつくろっているお行儀が良い副長様はどこにもいないことに原田は気付いた。 「折り入って相談してぇことがある」 言葉的にはお願いをしているが、断った場合確実に殺られる。異様な気迫を感じて流石の原田も腰が引けた。 「どうしたって言うんだ、土方さん。俺でよけりゃ話ぐらいなら」 「本当だな?!」 話ぐらいならいつでもきくと言うつもりが、最後まで言わせてもらえなかった。 土方は原田の肩を鷲掴みにしている。原田は何やら尋常ではない悩みを抱えているらしいことだけはよくわかった。 何せ顔が必死だ。こんな土方は、初めてみる。 「あ、あぁ」 原田が引きぎみに頷くと土方は安心したかのように、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。それから、深いため息を吐いた。やや俯き気味のまま、半分ヤケクソ気味な口調で相談事を切り出した。 「お前、前に俺が千鶴が関係して何事か起きてるっていう話を覚えてるか? あと斎藤の様子がおかしいとも話したんだが」 覚えている。頷くと土方は安心したように小さく息を吐いた。 「続報だよ、続報。原田、お前が千鶴を心配してすぐにあいつに会いに行ったあとお前自身も妙な視線を感じると言ったな。原因がわかった」 妙な視線。千鶴の部屋で感じたあれは異様としか言いようがなかった。殺気ではないが異常に注目されているという感じなのだが、それがどうにも鳥肌が立つような気持ちの悪さだった。その後も千鶴と一緒の時はいくつかの視線に気付いた。原田は千鶴をよく構うからわかったことがあったのだが、とりあえずは土方の話を聞こうと黙っていた。 「これを、見ろ」 土方が敷き布団の下から出したのは一度激しく捻られぐちゃぐちゃになった感がある書物だ。 「秘める恋?」 何かの物語であるようだ。題字にはこう書いてある。土方が差し出してきたということは読めということだ。 原田は表紙を開いた。一度土方を見るが、彼は目を逸らしていた。どうやら苦悩の原因はこれのようだ。 読み進める。出だしの三行で目を剥いた。パラパラと急いで先を読んでみる。 「……。おいおい、こいつは……」 ある意味、禁断の世にも恐ろしい本だった。原田は愕然とした面持ちで土方をみつめた。土方は疲れた顔して原田をみた。 「この桃色衛士については目星……。いや、下手人はわかっている。だが大っぴらに取っ捕まえる訳にはいかねぇんだ」 「どういうことだよ、土方さん」 是非とも最優先で捕まえてもらいたいと思って訊ねると、土方は実に嫌そうに顔をしかめた。 「こいつは例の高笑いだ」 「…・・ああ、そいつは無理だな」 二人して遠い目になった。確かに、書きそうだ。妄想しそうだ。それでもって文才もありそうだ。 しかしなんだってこんなものを書いてしまったんだ。 やはり、土方が変に逃げまくっているせいではないのか。軽く土方を睨むと、自覚があるのか土方は目をそらした。 「俺らが変に隊内で注目されているのはこれが原因か。ま、相手が千鶴だから悪い気はしねぇが……。嫁入り前の若い娘がこんなものに……ダメだろ。と、いうかしゅ」 「口に出して言うなよ、原田」 土方が鋭い声で遮った。そうだった、土方が死ぬほど大嫌いな風習だ。原田は肩を竦めた。 「つまり、土方さんの相談はこれか?」 書物を闇に葬れということか。だったら山崎や斎藤が適任だろう。だが土方は首を横に振る。 「違う。確かにこれがらみといやぁこれがらみだが。実はな……」 土方は語り出した。あの生真面目な斎藤の大暴走話を。 ポツリ、ポツリと話す土方はひどく疲れていて普段の男っ振りからは信じられないほど弱っていた。 確かに、頭痛い話だった。斎藤はどこへ向かおうとしているのか。原田は額に手を当てた。 千鶴が初恋の相手なのだろう斎藤のいささか遅すぎる淡い恋については微笑ましい。 だが。その行動にはさすがの原田も唖然とした。 「なんつーか、斎藤。必死すぎるな」 「だろ?」 しかも斎藤のことだから素で任務の一環とか思っているはずだ。 「逃げてぇ」 土方が言った。 確かに、土方にしたら信頼する若い部下が、土方が目に入れても痛くないほど可愛いがっている少女に懸想したあげく、おぞましい男色小説しかも実在の人物を取り扱った妄想文を愛読し、さらに訂正を加えて己が恋人の座におさまって悦に入ってる。斎藤よ、目を冷ませと叱るのがいいのか。この男はヤバいと千鶴を遠ざけるのがいいのか。 土方が倒れたのも、わかる。 気の毒だと思いながら土方をみると、例の本を握りしめたまま天井を呆けたようにみつめていた。 (あぁ、土方さんが壊れちまった) この男をここまで壊滅的にするとは、斎藤の天然ぶりも凄まじい。 困って原田を巻き添えにしたのは明らかだった。 「土方さんよ、アンタはどうする気だ? 斎藤に千鶴を嫁にやるつもりか? それともけしからんと思ってんのか?」 原田の問いに土方はぼんやりと言った。 「俺は、どう綱道さんに謝罪すりゃいいんだろうな……。近藤さんにバレた時、どう思いとどまらせればいいんだろうな……。斎藤が千鶴を嫁にというなら、千鶴さえよけりゃ考えねぇことはねぇよ。だが今のアイツでいいのか? ダメだろ、少なくても俺ぁそんなことになったら現状では、千鶴を連れてどこまでも逃げるぞ。それに、あんな腐ったものに千鶴を出されたこと自体問題だ。責任はどう取ればいい? 千鶴を俺がもらえばいいのか? さらに斎藤。あいつは任務の一環だと本気で信じてやがる。下手に刺激なんかしてみろ。真面目故にどう転ぶか想像できねぇ。天然だしな」 あぁぁぁ。と、土方は頭を抱えた。 「原田」 いきなり低い声で名を呼ばれた。嫌な予感がした。 「千鶴を頼む。この際手段は問わねぇ。何としてもあの腐れバカどもから純潔を守れ。俺は、斎藤をなんとかまっとうな道に戻す」 原田は顔を引きつらせた。確実にそんなことをすれば、斎藤に殺られる。 だが、千鶴が汚されるのは許せない。 腕組みをして考え込む。 「土方さんは斎藤を引き戻す秘策があるのか?」 「あぁ、取っておきのがな。妄想だけしていても本人には届かねぇってことをきっちり教えてやる」 ふふふ。と、笑う土方は何だか怖い。原田は少しだけ土方と距離をあけながら詳細を問う。 「原田、こいつは俺かお前にしかできねぇ。元遊び人だけができる秘策だ」 ニヤリと笑う土方が話した策に原田は苦笑いをした。 「わかったよ。他でもない土方さんの頼みだ。しっかりフラれ男になってやるよ」 了承した原田は土方と膝を付き合わせて作戦を練り始めた。それは詳細にわたり、日暮れまでかかる。 ようやく話がまとまり原田は部屋を出て行く。 「んじゃ、土方さん。あんまり無理するなよ、腰。千鶴と俺が泣くぜ?」 「おう」 原田は廊下を行く。誰かに異様に観察されているのはわかっていた。 うまく消している気配がひとつと気持ち悪い桃色の気配がひとつ。 さぁ、書きやがれ。思い悩みやがれ。と、原田はニヤリとした。 原田も土方も男色は大嫌いだ。だが相手が少女。つまり、女性なら色事は大歓迎である。 色々匂わせればいいだけだ。相手は食いつく。そこで現実と物語。両方から斎藤を揺さぶる。それが土方の狙いだった。 (土方さんよ、アンタが言う通り近藤さんが気づく前に片を着けねぇとな) 腹を切って詫びると切腹しかねない。 気合いを入れるように原田はぎゅっと拳を握った。 目指すは千鶴の部屋である。 「千鶴、いるか?」 → |
お久しぶりです。お話がやっと動きはじめました。 長いよ、長いよ私……。 次回、秘める恋(桃色さんの書物の方)大変な方向に向かいます。 ここまで読んでくださってありがとうございました。 2012.04.13. |