■秘める恋■

 六.



千鶴は、本当に何も知らないらしい。
気まぐれを装って、千鶴の部屋にやってきた原田は確信した。
今、千鶴はふらりとやってきた原田に向かって真剣な面持ちで悩みごとを打ち明けていた。忙しい原田の大事な時間を割いてもらうのは申し訳ない。そう謝る千鶴に、原田は笑いながら気にするなと言った。千鶴は気にしすぎである。
今、原田は千鶴の隣で胡坐をかいて座り、千鶴が淹れた茶を飲みながら話しをきいていた。千鶴の顔は本当に真剣そのものであった。だが、話している内容が内容だけにかわいらしくて仕方なく、原田はついつい緩みそうになる口元を引き締めることに苦労していた。



斎藤のことであった。
千鶴はようやく斎藤がおかしいことに気がついたようだ。赤い顔をして千鶴が説明することによると、斎藤が突然千鶴の手を握りしめて何かを必死に考え込んでいたかと思えば、突然手を離し謝りながら風のように去って行ったのだという。千鶴にすればさぞかし困惑したことだろう。周りからみれば、ほほえましいが。
まさか斎藤が千鶴相手に遅い春なのだと告げるわけにもいかないから、どうしたものか。
原田はとりあえず、ズズッと茶を啜った。
(見るからに不器用だからなぁ)
もちろん、斎藤がである。
あの男。この期に及んで千鶴が不審に思っているなどとは、欠片も思っていないであろう。そう、斎藤一という男は奇跡的なほど鈍感な男であった。



モテるのにモテない。
あの男はそうなのだ。女子の繊細な心などというものとは縁遠すぎる。と、いうか考えたこともないかもしれない。だからこそ、勘違いもされやすいのだが本人がなんとも思っていない以上どうしようもない。今まで、それが原因で年頃の娘に想いを寄せられてもまったく気づかないあの鈍感さに救われていることに本人が気づくことはないだろう。
原田としては、男の恋愛などに興味はないのでどうでもよかったのであるが相手は千鶴である。かわいい千鶴が相手なのだ。
原田は、ちらっ。と、千鶴を見た。
千鶴が不思議そうに小首を傾げた。
(かわいいよな、そりゃあの朴念仁でも転ぶってもんだ)
容姿もいい。気立てもいい。しかも、斎藤に千鶴はよくなついていて自分のうしろをちょこちょこ付いてくるんだから、惚れるなっていうほうが無理である。
少なくても原田が斎藤の立場だったらそうなる。間違いない。
原田からみて、千鶴もまんざらではない。
まんざらどころか淡い恋心を抱いているのは間違いないだろう。
そうでなければ、あんなに嬉しそうな顔をするはずがない。千鶴はいい子だから、幹部の誰が来ても嬉しそうな顔をする。だが、斎藤の時はその顔の種類が違う。
少女はどんなときにだって、特別な相手には別格の笑顔を浮かべるものなのである。
故に、仕方ない。
原田にとって千鶴は妹のようなものであった。妹というものは、やがてどこかの男に攫われるものである。いや、これは父親の気分だろうか。そこまで千鶴と自分の年齢は開いてないだろうと、自分で考えて彼は憮然とした。
「原田さん、あの……私」
原田の顔つきに勘違いしたのだろう千鶴が申し訳なさそうな顔をした。
「違ぇよ。なんにも迷惑だと思っちゃいねぇって。なぁ、千鶴。斎藤の件については、少しだけこの俺に任せちゃくれないか? 下手に騒いでややこしいことになっても困るだろう。あいつもあいつなりに色々あるんだろうよ。な?」
本当なら、今すぐ斎藤の首根っこ掴んでここまで引きずってきたいところだが。相手が千鶴だけに、なにか確証を得ない限りそれはできない。



なにしろ、かわいい妹分だから。



「でも、ご迷惑では」
「迷惑じゃねぇよ。あいつが変なのは、俺も気になってはいたんだ。だから、な?」
難しいだろうが、今まで通りにしてろと告げると、千鶴はぎこちなく頷いた。
原田は気分を和らげてやろうと、千鶴の頭に手を伸ばし彼女の小さな頭を撫でてやった。
千鶴が少しだけ恥ずかしそうに頬を染めながらはにかんだ。
(かわいい)
やっぱり斎藤を助けてやるのをやめようかと原田が思いかけたとき、何かが二人の間をすり抜けた。



「?!」
「原田さん?」
何だ今のは。不思議そうに原田を見上げる千鶴を引き寄せて背後に庇いながら、原田は鋭い目で妙な気配の発生源を睨みつけた。
異様な空気だった。思わず鳥肌が立ってしまった。
「原田さん、どうかしたんですか?」
「いや、何でもねぇ。茶、ごちそうさん」
盆に湯呑を戻して原田は立ち上がった。千鶴を安心させようと原田はもう一度千鶴の頭を撫でてやってから、部屋を出た。
左右を窺う。
人の気配はない。
(確かにあのとき、何者かの気配を感じた。しかも、なにか尋常じゃねぇ感じのおぞましい気配だ)
全身を舐めまわされたような感覚を思いだして原田は身震いした。
「これが土方さんが言っていた妙な気配ってやつか?」
なるほど、こいつは問題だ。
原田は、改めて最初に気配を感じた方向に目をやった。



そこは、新選組の幹部でも局長や副長らが寝泊まりする部屋の方向である。
一般の隊士では立ち入りがひどく制限されている方向だ。
(幹部の誰かなのか?)
一人、一人。顔を思い浮かべてある人物で原田の思考が止まった。
「まさかな……いくらなんでもな」
残念な嗜好の持ち主だが、覗き見趣味まではないだろう。
ないない。と、原田は首を振った。
「確証がねぇうちは手の打ちようもない、か。まずは斎藤だな」
やれやれと肩をすくめながら、原田は斎藤がいるはずの稽古場の方へ歩き出した。



その時。ある部屋の障子が少しだけ開いた。
「んふ。フフフ……」
そこから聴こえた不気味な笑い声は、外の風の音にかき消されて原田の耳には届かなかった。



  




  ご、ご無沙汰しました・・・。
またお付き合いしてくださると嬉しいです。
はやく斎藤さんと千鶴ちゃんをセットで登場させたいです。
ありがとうございました。