■秘める恋■

 七



読みたい。



この欲求は、もはや抑えがたいものとなって斎藤を突き動かす原動力となっていた。
だが、斎藤自身は土方の命を受けて伊東らの動きを内偵するという任務に就いているつもりであった。伊東がこの素晴らしき書物を使って平隊士の心をがっちりと掴んでいるのは間違いなかった。このままいけば、隊士の大量離脱という最悪の事態を迎えかねない。まだ、伊東が離隊するかはわからないが大方その方向に動いていることは把握していた。これは一刻を争うことである。
故に、この書物の作者である桃色衛士が何者かを探る必要があった。だが、これは容易に割れた。なにしろ、このようなものを作りそうな人間が隊内に一人しかいなかったからだ。
様々な角度から検証し、探りを入れて斎藤はようやく自分の疑いが確信に変わったことを判断し、計画を実行に移そうと決心したのである。



新選組のために、自分は体を張って監視をするのだと……誰かに行動の理由を尋ねられたら斎藤は真顔で答えるだろう。事実、斎藤は真剣にそう信じているのだから他に答えようがなかった。だから、斎藤は何一つ迷うことなく己に正直に行動を起こした。
手っ取り早く、伊東本人に会うことにしたのである。
斎藤が愛読者だと知れば、伊東が斎藤への警戒を幾分かは解くかもしれない。そうすれば、もっと内偵もしやすくなる。狙いは、そこであった。
すべては、任務のため。
決して、作中の千鶴と斎藤が結ばれる為に伊東を脅迫するためではない。あくまで彼の行動を監視するためである。と、斎藤は誰に言うわけでもない言い訳を心のなかで呟いた。
この時点で、すでに後ろめたいと思っているということに彼が斎藤一ゆえに気づくことはなかった。



「では、貴方。作中だけでも結ばれたいと言いますの?」
「い、いや。そこまでは……」
ただ、自分は。自分自身が登場している書物を読んだ。それに驚いたが、作中の雪村千鶴と斎藤一の今後が気になると言っただけだのだが。説明しようにも、伊東の食いつきっぷりが激しすぎて斎藤はそれを告げることができなかった。
敢えて距離をとって座ったはずなのに、伊東はこれでもかというほど身を乗り出して、斎藤の顔に己のそれを近づけて覗き込んでいた。顔が近すぎる。伊東の息遣いまで感じそうな距離には、流石の斎藤も耐えきれず顔をそむけた。
そんな斎藤のあからさまな態度に伊東は全く反応しなかった。
どうやら、彼は今。とても忙しいようだ。
先ほどから、あらあらあら。と、感心している様子である。おそらく伊東の脳内では、様々な妄想が駆け巡っていて、現実世界において相対している斎藤の存在など忘れてしまっているようであった。
どこを見ているのかいまいち不明な伊東の目は爛々と輝き、時折唇がモゴモゴと動いたかと思うと嬉しげに笑みの形を作ったりしている。
怖い。
おそらく斎藤にとっては初めての恐怖心であった。どんなに強面で凶悪な相手と対峙しても得られぬだろう恐怖というものを体験したような気がしていた。
世の中には、違う意味で恐ろしいものがあったのだと斎藤は学んだ。土方がなにゆえある瞬間に伊東から全力で逃げるのか不思議に思っていたのだが、なるほどこういうことか。
斎藤は失礼千万なことを考えつつ、伊東の反応を再び窺う。
彼は、未だに妄想の楽園へ旅立ったままのようである。そのことをいいことに、斎藤は体を思いきり後ろに引いて座り直した。安全だと思われる距離に陣取った斎藤は、二人の距離を今度は詰められぬように間に『秘める恋』を置いてみた。これで、よい。と、斎藤が安心したとき、計ったように伊東が妄想の楽園から帰還した。



「いいわ、よくってよ! そうね、確かに秘める恋ならばその通り」
伊東がかわいらしくもない声を乙女のように弾まして言った。
「確かに雪村君は美少年ですわ。ここにきて驚きましたの。まさかこのような掃き……コホン。このような場所にあんな美少年と美青年がいるとはこの私でも予想がつきませんでしたわ」
美青年のほうは多少口が悪いが、美少年は完璧。と、うっとりとした口調で伊東は続けた。
当然だと思った。
伊東が理想とする美少年とは、作中の雪村千鶴なのだろう。健気で一途で穢れを知らない乙女のような少年。それならば、現実の雪村千鶴は完璧なはずだ。なぜならば、彼女は真実穢れなき純真な乙女そのものなのだから。
(副長という絶対の防壁がなければ手を出そうとしていたのではないのか?)
あまりに美少年雪村を熱く語る伊東に斎藤は改めて土方の偉大さを思い知った。
あの方は容姿だけで、コレから千鶴を守ったのだ。あの顔は、ただ女に騒がれるだけの代物ではなかったのだ。
美男の顔面恐るべし。
さすがは、土方歳三。斎藤は、土方に対する尊敬がより深まったと感じた。
土方のおかげで千鶴の貞操は守られたわけだが、この伊東がそう簡単に諦めたとは思えなかった。だが、副長である土方はあらゆる意味で強敵だった。土方のことだ、時には自分の容姿さえ利用したことだろう。伊東にすれば、手が届きそうなところにまたとない逸材が二人もいるというのにどちらも手に入らない。実に不本意な状態だったに違いない。だからこそ、書物にしたのだ。己の欲望を満たすために。それが思いのほか面白く、また周囲も面白がったためにどんどん広がった。と、いうところであろう。
「でも……、斎藤君。貴方も悪くはなくてよ?」
「は?」
斎藤がすっかり自分の考えに没頭している間に、何か話しかけられたらしい。最後の一文だけが耳に入って斎藤は意味がわからず首を傾げた。
何が、悪くないのだろうか。
斎藤は、伊東を見た。伊東は、やけに満面の笑みである。
「……」
斎藤は目を逸らした。剣客たるもの、敵前で相手の目から視線を逸らすなどやってはならないことではあるのだが何故だか逸らさずににはいられなかった。
質問をするな。と、己に言い聞かせた。理由はわからんが、質問したが最後。知らなくてもよい扉を無理矢理開かされる恐れがある。それだけはとてつもなく嫌だった。恐怖さえ覚える。
斎藤が懸命に黙っていると、伊東は何かを勝手に納得してふふふ。と、笑った。
扇子で口許を隠して笑う様子は見ようよっては上品なのだが、みているこちらの顔が引き攣ってしまうのはどうしてか。
それは、相手が伊東参謀だからだ。と、斎藤は納得することにした。
「わかったわ。よくってよ。この伊東、斎藤君の純愛の応援をしましてよ! 桃色衛士とは懇意の仲のこの私が力になりましょう。安心なさい」
いや、本人だろう。
突っ込みたい気持ちを抑え込んで斎藤は黙って頭を下げた。
その後、伊東は今後の相談もあるからと局長や副長に黙って会合を持とうと言いだした。
この出来事をきっかけに斎藤を自分の懐に引き込もうとも思っているらしい。
(好都合だ)
やはり、内偵しやすくなったなと斎藤は無表情のまま考えた。
そんな無表情の斎藤に伊東は満面の笑みで。
「はい、最新作。今回は、波乱の新章よ!」
「ありがたく…」
作者から直接渡された最新作を斎藤は、しっかりとしまいこみ伊東の私室を辞す。
そのまま直行したのは、副長である土方の部屋ではなく斎藤の自室である。


(波乱の新章だと……)


まさか雪村が手籠にされるのではと斎藤の心は乱れに乱れまくった。早く確認せねば。そのことばかりが気になって、万事に冷静でよく細かいことにも気がつく内偵向きのこの男は、まことにらしくなく室内がほんの少しだけ微妙に違っていたことには気づかなかった。
そわそわと落ち着きなく机に向かい、部屋へ向かってくる人間の気配がないことを確認してから、斎藤は新作を開いた。
相変わらず美麗な文章である。読みやすいので、どんどん読み進めていって、斎藤は愕然とした顔つきで凍りついた。
その手はプルプルと震え、強く握られた書物に皺が寄った。

「……左之だと……?!」

新たなる男の出現である。
よりによって、あの色男原田左之助である。あまりの強敵に斎藤は気絶しそうになった。どう考えても、相手は百戦錬磨だ。



千鶴が、喰われる




咄嗟に思ったのは、このことだった。
斎藤は、書物をいつもの場所にしまいこむと慌てて部屋を出て行った。向かう場所は、道場である。
(まずは、落ち着くのだ。物語の中での話だ。ここは稽古でもして冷静になる必要があるだろう。左之に限ってそのようなことは……)
平常心という言葉が完全に消え失せてしまっていた斎藤は、珍しく気づかなかった。
彼が部屋を出たと同時に、何者かが斎藤の部屋に滑り込んだのを。

「……鉢合わせなどしてしまっては、大変なことになるところだった。副長、恨みますよ」

山崎は、斎藤の部屋を見回しある個所に眼を止めた。
「先ほど探しきれなかったのは、ここか……。君を信じたい」
祈るような気持ちで、山崎はそこを漁った。その手が途中で止まり、がっくりとうなだれた。やや力なく持ち上げたのは、数冊の『秘める恋』である。それを適当に選んで山崎は本当に何気なく開いた。
その目が大きく開かれた。驚きのあまり、書物を取り落とすも彼はそんなことに気がつく余裕はなかった。
この書物を愛読してるだけならまだかわいかった。
斎藤は重症だ。
もう、自分には無理だ。
関りたくない。



「こんな…、こんなことをしてしまうなんて、どこまで貴方は雪村千鶴君が大好きなのですか……」
素直に求婚すればいいじゃないですか。きっと喜びますよ。と、言ってあげたらいいのだろうか。
山崎は頭が痛かった。

その日の夕方。
あの鬼副長が倒れたという事件が屯所内を駆け巡った。



  



 す、すみません…。