【12】
その日。ジャーファルは、シンドバッドに逃げられたことをだいぶ後になって知った。文官たちに任せた自分が馬鹿だった。あの男を逃がすなというのは、文官には難しい話である。武官だったとしても難しいのだ。やはり、離れるべきではなかったのだ。
シンドバッドは本来、政務をあまりおろそかにしない男である。今日だって、きちんとやるべきことは終えているのだが、留守だったときの残務処理がまだ残っており、それを早々に片付けてくださいと伝えておいたのは、今日の朝の話である。それについて、アリババと話す時間が減ると文句を言っていた記憶はあった。だが、政務は大事なことはわかっているようで、仕方がないと肩を落としていたはずだった。
そこで安心した、自分が甘かった。
「シン、どこです!!」
椅子に縛り付けででも、片付けてもらいます。と、笑顔で呟きながらジャーファルは、シンドバッドが立ち寄りそうな場所、つまりはアリババが居そうな場所をしらみつぶしに探して歩いた。
「変ですね」
だが、どんなに探しても城内に二人の姿はない。城の外に出たのかと思ったが、誰もシンドバッドはおろかアリババの姿をみたものがいなかった。最後にアリババが目撃されたのは、彼がよく昼寝をしている中庭であった。アリババは、そこで昼寝をしていたそうだ。そのあと、シンドバッドがそのあたりに足を向けたことまではわかった。
その場所には、当然ながら二人の姿はなかった。ジャーファルは、じっくりと考えた。
(アリババくんと親しくなりたい一心の、下心ありまくりなシンがやりそうなこと……)
まずは、彼の興味のあることで二人きりになれる場所へ連れ出すことだろう。と、なればアリババの興味のあること。それは、シンドバッドの冒険物語だ。アリババのかなり年齢の割に綺麗で純粋なキラキラとした憧れは、ジャーファルも知っているところだ。あの男が、それを利用しないはずはない。
「と、なると……あのガラクタ部屋ですか?」
まさか、あのガラクタ部屋で不埒な行為に耽っているのではないのか。アリババをあの部屋に誘いこみ、言葉巧みに服を脱がせ、その場に押し倒し。いけないことを……。あの男なら、やる。間違いなくやる。なんてことだろう。あのかわいいアリババが、シンドバッドの毒牙にかかってしまうなんて。
くわっ! と、ジャーファルの目が見開いた。
「シン、首を洗って待ってろよ」
いたいけな少年になんてことを。ジャーファルはシンドバッドのガラクタ部屋へと急ぐ。
自分の王に首を洗って待っていろとは恐ろしい言葉を吐きながら、ジャーファルは突き進む。意外と思い込むと、一直線なジャーファルは悪い大人に辱められたかもしれない少年を救うべく迷うことなく、ガラクタ部屋の扉を押した。扉は、抵抗なく開き、勢いよく彼はその部屋に飛び込んだ。
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「ねぇ、アリババくん。この愛の力ってなんだと思う?」
「っ」
うなじに息を吹きかけるように囁くと、アリババがびくんと震えた。
これは、何かが変わった。そう感じずにはいられなかった。さっきは、いきなり違う。なんて叫ぶから何事かと思ったが、どうやらアリババは遅まきながらシンドバッドの気持ちと自分の気持ちに気が付いたようである。アリババの気持ちの方にはやや自信がない。彼の場合、恋愛そのものがまだ想像の中の出来事で、こんな風に接されたことも皆無だろうから、その場を支配する空気に支配されているだけなのかもしれない。もしそうだったとしても、少なくともシンドバッドの意図には気が付いた。だから、過剰に反応してしまうようだ。
さらに、この様子ではそれを嫌だとは思っていないように思える。
(いい傾向だ)
ここは、おしていいだろうか。シンドバッドは、自分の腕の中で小さくなっているアリババを更に引き寄せた。すると、アリババが息を飲む。彼の顔は真っ赤だ。
「ここに入る前に壁に書いてあった、あの言葉。延々と続くこの回廊を走るだけでは、生きて帰ることができないという意味だったんだと思う。愛の力で扉が開く。愛の力……これを考えたのは、ランプの精だ。ランプの精は、俺やアリババくんにとっては昔話として有名だったね。ランプの魔神はどんなのだった?」
アリババを抱いたまま、シンドバッドは壁に寄りかかりそのまま座り込んだ。アリババも抵抗することなく、シンドバッドの膝の上に座ってしまう。背後から緩く抱くと、ようやくアリババがほっと息を吐いた。だが、緊張を解くにはまだ早いだろう。やはり、アリババはまだまだ子どもだ。
彼は、こうしてシンドバッドの腕の中だし、シンドバッドの体の上に抱きあげられた状態だ。このままいろいろな場所に手を這わせることもできるし、口づけることだって可能だというのに。実際にそうしてみようか。と、シンドバッドは少しだけ思う。だが、すぐにそれはアリババを怖がらせるだけだと思い直す。怖がらせたいわけではない。シンドバッドは緩くアリババを拘束したまま、少しだけ苦笑いを浮かべた。
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