【2】



「アリババくん、アリババくん」



 アリババの肩を揺する。布越しに感じたのは彼の細さであった。王宮剣術を学んだアリババは剣を扱う上での最低限の筋肉はある。だが、細い。おそらくアリババの体質なのだろうと思う。
まぁ、シンドバッドからみればアリババの華奢な体つきは好みであるから、ときめいただけであった。 剣の師匠たるシャルルカンあたりからすれば不満なのだろうが。とにかく、かわいいアリババをシンドバッドは揺り起す。
「ん……、んぅ」
 鼻にかかった唸り声のような、ため息のような声に思わず息を飲んだ。違う場面で聞きたい声は反則だろうと思いながらも、シンドバッドは顔には出さずアリババを起こす。
 やがて、アリババは薄らと目を開けた。寝起きで焦点が合っていないのか、ぼんやりと辺りを見回しながら、手の甲でごしごしと目を擦る。その一連の動作がとても幼く見えて、シンドバッドの微笑を誘った。
「アリババくん、おはよう」
「……っっ、シンドバッドさん?!」
 アリババが、驚いて目を見開いた。寝起きのせいか目尻に少しだけ涙が溜っていた。その涙を吸いたい。それからおはようのキスをして、抱きしめて。妄想ばかりが頭の中を駆け巡る。本当に、どうしてくれようかとシンドバッドが内心で悶絶しているのを知らないアリババは、慌てて飛び起きてそのままの勢いで居住まいを正した。
「あの、すみません。俺、こんな中庭で寝ちゃってて…」
「いやいや、昼寝を咎めようと思ったわけじゃないよ。ただ、もう夕暮れ刻だから風邪を引くといけないと思ってね。それにしても、よく寝てたね。そんなにこの中庭は気持ちがいいのか?」
 シンドバッドが言うと、アリババは顔を赤くした。素直なその反応が実に初々しい。シンドバッドは目を細めた。
「今度、俺も寝てみよう。だが、もう駄目だな。間もなく夜になる。アリババくん、どのくらい寝ていたんだい? 腹は減ってないか?」
 シンドバッドは、慌てて立ち上がったアリババに合わせて立ち上がった。
「腹は……減ってませんけど……」
 アリババが琥珀色の瞳を向けた。シンドバッドが腹を空かしているならという気遣いが見えて好ましい。
「俺も腹は減ってないんだ。どうだろう、ちょっと面白い場所に行ってみないか?」
 目も覚めると思うよ。と、続けるとアリババはまた頬を赤くした。かわいらしい反応を引き出せたことに満足したシンドバッドはポンポンとアリババの頭を軽く撫でてから歩き出す。すると、アリババも小走りで追いかけてきた。今日もなんとかアリババとの時間を過ごすことができそうだ。
「シンドバッドさん、面白い場所って」
「んー。行けばわかるさ」
 なおも問うアリババがシンドバッドに纏わりついてくる。だが、シンドバッドは笑うだけで答えてはやらない。
 そうこうしているうちに、シンドバッドは自分の寝所があるあたりと通り過ぎ、ある一室の前で足を止めた。
「ここ、ですか?」
「ああ」
 シンドバッドはアリババににっこりと笑いかけた。それから、懐にしまってあった鍵を取り出し錠を開ける。
「さぁ、入って」
 ギィィィ。と、いう鈍い音を立てて扉が開いた。





「わぁ……!」
 予想通りの反応をアリババがしたことにシンドバッドは満足する。そこは、前に連れて行った宝物庫とは違う部屋であった。ここには主に価値は高くはないがシンドバッドが特に気に入ったものたちが置かれていた。
 ジャーファルあたりには、ガラクタばっか。と、小言を言われるがこういう眉唾ものの楽しさは何物にも代えがたい。
「君なら、わかると思ったよ。たとえば、この鏡」
 シンドバッドは、古い鏡を取り出した。見た目、非常に汚く古びたただの鏡だ。だが、これはシンドバッドの書いた書物では喋る魔法の鏡として登場している。
 もちろん、アリババは気づいた。素早くアリババは駆け寄って、それを覗き込む。その目は好奇心でキラキラと光り、顔は興奮で少し赤みが差している。
「魔神の鏡ですね!」
「そう。こっちは、魔法のナイフ」
 こっちは、ただの錆びれたナイフだ。だが、アリババは食いついた。好きに見ていいよというと、アリババは好奇心いっぱいの顔つきでお宝に飛び付いた。これは、魔法の指輪。これは、あの冒険でみつけた生きている宝箱と、アリババの口からはシンドバッドが驚くほど細かい物語の一部分が飛び出してゆく。
(アリババくんは、本当に好きなんだな)
 自分の創作物をここまで愛してくれていることが嬉しい。小さなアリババが、シンドバッドの冒険を読んで楽しげにしている様子を想像した。それは、実にかわいらしく微笑ましい。できることなら、実際にそれを目撃し、添い寝をしながら読み聞かせをしてやりたかった。そんなことを思いながらアリババの行動を見守っていると、不意にアリババの動きが止まる。ひょこ。と、彼のひと房だけ立っている髪の毛が揺れた。
「どうした?」
 シンドバッドが覗き込むと、アリババが首だけ捻ってこちらを見た。
「シンドバッドさん、これは?」
「ん? ……いや、それは俺も記憶がないな。こっちに貸してくれ」
「わかりました」
 アリババがみつけたのは、古いランプだった。もうずっと砂に埋もれていたかのような汚れがこびりつき、何の装飾もなく実にみすぼらしいランプだった。こんなものをシンドバッドがここに放り込んだ記憶はない。
 首を捻った。
「シンドバッドさんも記憶がないものなんて、あるんですか? ここに」
 アリババが不安げに言った。
「いや、それはないはずなんだが。とにかく、何かよくないものであるといけない。ヤムライハにみてもらおう」
「そうですね」
 しかし、汚い。実に、汚い。アリババの手も少し土で汚れている。それを拭いてやろうとシンドバッドはランプを片手で掴み、アリババの手を取った。
「シンドバッドさん?」
「手が汚れている。俺の服で悪いが拭いたらいい」
「えっ、それは申し訳ないです!」
「気にするな。服は洗濯をすればいいのだから」
 恐縮するアリババの手を取り、シンドバッドは手を拭いてやる。だが、片手ではよく拭いてやることができず、シンドバッドは無意識にランプを掴んだ手で、布を抑え、アリババの手を拭った。


その時である。


「何だっ!」
「えっ!」

 





 初出:2012.10.21.〜2012.11.04.Pixivにて公開
 サイト掲載:2012.11.10.