九.
政宗は一人、鬼がいると噂の京の外れにある小さな祠に向けて馬を走らせていた。幸村を置いてきたのは他でもない。屋敷のあやかしたちに泣き付かれたからである。
佐助の登場は、政宗が思っていた以上にあやかしたちには脅威だったらしい。あの武田の者が来たと怯えた彼らは武田の後継ぎ予定の幸村を手放したがらなかったのだ。これがいればあいつらは何もしないに違いない。とは、幸村と一番心を通わせたのかもしれない一葉の言である。あやかしたちの言葉を解しない幸村は純粋にあやかしたちに頼りにされたらしいことを喜んでいたが、要は人質である。いざとなれば、幸村を前面に押し出して散らされるのを防ぐつもりらしい。
そんな訳で、政宗はぶらりと一人やってきていた。
馬を適当な場所に止め、木に手綱を巻き付け歩きだす。周囲の気配は平穏そのものであった。嫌な感じもしなければ、寒気もしない。悪いモノはいないように思えた。
林を抜け、少し開けたところまで出てきた。すると、前方に小さな祠があった。
「ここか。鬼がいるには、ずいぶんと小せぇな」
ゆっくりと進む。その間も、あやかしの姿は見えなかった。
祠の前で立ち止まった。そこで、政宗は片眉を少しだけ跳ね上げた。
「Hey、そんなところで昼寝なんぞしてると罰があたるぞ?」
祠の横に凭れかかるようにして銀髪の片目を隠した男が目を閉じている。容姿は人目を引いた。半身を露わにし、筋肉質の体が惜しげもなくさらけ出されている。その男の脇には大きな銛のような武器が置かれていた。政宗は、男を静かに観察した。
(雰囲気が人じゃぁねぇな)
かといって、あやかしでもない。限りなく人に近いが異質。そんな印象を受けた。だが、嫌な感じはしない。だからこそ、政宗は男がこちらを見るのをずっと待っていた。この男は、政宗の声がたぶん聴こえているのだ。
「……人間か? それにしちゃぁ」
男が祠に凭れかかったまま、目を開け視線だけを政宗に向けて言った。その目はとても澄んだ目をしていた。
「俺は人間だ。まぁ、少し変わってるがな。アンタに近いほうに知り合いが多いからな」
「ほぉ? 俺が誰かわかっていやがるのか」
政宗は懐から煙管を取り出すとそれを咥えた。
二人して、それきり黙ってしまった。互いに、相手に興味を覚えているのは確かであった。
(誰かわかって……やはりこいつが鬼)
煙管を玩びながら政宗は考えた。たぶんこの男が佐助の言う鬼だ。鬼は容姿の整った者が多いと聞く。その容姿で人を誑かし、魂を取ると言われている。それゆえに、悪しき者だと決めつけられて人間によって迫害されている。いや、されていた。それゆえに、鬼は姿を消し人里には現れなくなったと聞いたことがある。鬼ならば、人間に恨みはあるかもしれない。
あやかしたちを攫い何かを為そうとしている男鬼。何が目的だろうか。
見たところ、世の中に混乱を起こすのを好むというようにも見えない。
「アンタ。武田の者か」
どうでもよさそうに鬼が言った。政宗は頭を振った。
「違うなら……何しに来た。事と次第によっちゃぁ」
男の雰囲気がガラリと変わった。獰猛な気配に政宗は顔をあげた。だが、なおも煙管を玩ぶことはやめなかった。口許が笑みの形を取った。どうやら、この鬼。ずいぶんとまっすぐな気性らしい。ならば、方法は簡単だ。政宗は、まず自分自身に興味をもたせることにした。
「物騒だな、おい。別に俺はアンタと一戦交えようってわけじゃねぇよ。アンタ、藤影っていうあやかしを知らねぇか」
単刀直入に言った。すると、相手が目を細めて起き上った。
「あぁ? テメェ、そいつに何の用だ」
引っかかった。案外、正直な奴である。
「一葉」
「は?」
政宗は一言だけ言った。この場に藤影はいないだろう。
「屋敷で待つ」
「は? 意味わかんねぇんだけど。おい、人間!」
政宗は鬼の呼びかけに振り返った。
「伊達政宗だ」
名を告げて、手をひらひらと振った。なおも自分を呼ぶ鬼を無視し、馬をつないであった場所まで戻って来た。
馬に跨った。背後を振り返るが、鬼が追ってくる様子はない。
(あいつが藤影を傍に置いているならば、一葉というのがあやかしの名前だということに気づくだろう。そして、俺のこともあやかしたちから聞くに違いない。屋敷に遅かれ早かれやってくることになる)
確実にあれは、藤影を知っていた。ならばここを糸口にするしかないだろう。
(来い)
政宗は願った。それから、屋敷のある京の方に目をやって小さく笑った。
(今頃邸の中は、大騒ぎだろうな)
どう考えても、面白いことになっているに決まっている。
早く見たいなと思いながら、政宗は京へと走り去って行った。
「は、離れられよ!」
何故、このようなことになったのだ。と、幸村は叫びたかった。一緒に鬼に会いに行く気満々だった幸村が置いて行かれてから数刻。幸村は政宗を見送った庭先から未だに動けないでいた。
「いやぁ、旦那。ものすごい霊媒体質だったんだね。俺様尊敬しちゃう」
ニヤニヤとしているのは幸村の従者である佐助である。完全に面白がっている。助けろと先ほどから目で訴えているのに、まったく動く気配がないどころか、この邸の主が出かけたことをいいことにゴロリと横になって、幸村が未だに交流できてもいないあやかしたちに満面の笑みで挨拶などをしている。
「霊媒体質などではないっ。某が思うに、佐助が居るから怯えておるだけではないのかっ」
「俺様こんなに人畜無害な人のよさそうな男前ですよ? 嫌だなぁ、怯えるわけないって」
ね。と、かわいらしく佐助は幸村が密かに黒助と呼んでいる黒いモヤモヤとしたあやかしに同意を求めている。黒助はびっくりしたように小さく跳ねあがり、ぽんと飛んで逃げてゆく。
「あ〜らら。逃げちゃった。しっかし、本当にここ。すごいですねぇ。あやかし屋敷とはよく言ったものだよ。ものすごい数がいる」
「そのようなことは、今はどうでもよい。佐助、なんとかせぬかっ」
幸村は必死の形相で言った。あやかしに好かれるのは嬉しい。今まで一度もないことだった。政宗のように彼らと心を通わし、仲間であると思って欲しいのは嘘いつわりのない気持ちである。だがしかし。このような状態になっていいとは言っていない。
「一葉殿。まず某の頭から退いていただけぬか。貴殿がそこにおられると、某、動くことがままならぬ。更に、あやかしの皆の者。それがしの体をはじめ、両手両足にしがみ付かないでくだされ。思い。痛い。そして苦しい!」
懇願してみるが、あやかしたちはぎゅうぎゅうと抱きつくだけである。わらわらと幸村にむらがるあやかしたちの目は佐助に向けられている。言葉がわからないから何を言っているか分からないが、佐助がそれを見て面白がりつつ苦笑いなのは、何かかわいらしいことを言っているに違いない。
(某は苦しいだけなのか!)
悔しい。苦しいだけで、彼らが何を話しているのかもわからない。なのに、佐助はわかるようだ。そんなことしないって。だとか。へぇ、君たちお家はここなの。とか暢気に話している。
「そういうことだから、うちの旦那を解放してくんない? 君たちを狩りに来たんじゃないよ」
佐助がにっこりと笑うと、戸惑った空気が辺りに流れた。
「そ、そうだ。某も保障するでござるよ」
すると、あやかしたちの目が一斉に幸村を見上げた。幸村は引き攣った笑顔を浮かべた。苦しい、もう息がもたない。そう思いながらも根性で笑顔を保っていると、ぽろん。ぽろん。と、あやかしたちが離れ始めて行った。よかった。このまま両手が自由になれば、頭上に君臨している一葉を退かせることができると思った時である。
「まぁ、命令があれば狩っちゃうかもしれないけど」
佐助が笑顔でとんでもないことを言った。
「!!」
「ぐふゅ」
ものすごい勢いであやかしたちは幸村に張り付いた。そのうちの一匹が幸村の顔にビタン。と、くっついた。苦しい、息が息が。と、悶えていると門の方から、政宗の爆笑が響いてきた。
「!!」
幸村は見事に放りだされた。あやかしたちは、大挙して政宗の元へと走り去り残されたのは、その反動で幸村の頭上から落ちてきて慌てて掴んだ一葉のみである。
「……」
一葉が、幸村に目を向けた。これは、慰めてくれているのであろうか。
「一葉殿は、いいあやかしにござるな」
感激した幸村がうっかりと涙しそうになったとき。
「幸村、一葉が早く俺のとこに連れて行けと怒鳴っているぞ」
政宗の非情な言葉が胸に突き刺さった。
笑い崩れる佐助。政宗に群がるあやかし屋敷のあやかしたち。
「ひどいでござるぅぅぅぅ!!!」
幸村の絶叫が響き渡ったのは言うまでもない。
日が落ちて、空には月が上りあやかしたちの好む闇夜が空を覆った頃、政宗は幸村とまだ滞在している佐助を自室に呼びだした。
「鬼に会った」
政宗は今日あったことを話して聞かせてくれた。鬼に会ったこと。藤影の名を出して様子を探ったこと。鬼に名を告げ、屋敷に来いと言ったこと。政宗は、どこか楽しそうにしている。
「政宗殿は、その鬼が悪しき存在ではないとお考えで?」
「ああ、あいつはちょっと面白そうだったぞ」
政宗は機嫌がよさそうだった。どんな鬼だったのだろか。人間にはそっけない政宗。
あやかしには元々優しいが、鬼は見た目が人間そっくりだという。
なんとなく、本当になんとなく何だが面白くない。
(何故面白くないのだろうか)
自分の心がよくわからず幸村が内心首を傾げた。
そんな幸村の様子に気づことなく政宗と佐助は鬼について話を進めていた。
「やっぱり悪い鬼じゃないのか」
「ああ、確実とは言えないが違うな」
「なるほどねえ。ま、それがわかれば御の字だよ。さてと、俺様は帰りますかね」
よっこいしょ。と、言って佐助が立ち上がった。その気配ではっとする。顔を上げると、佐助が幸村の顔をみて苦笑いを浮かべた。
「旦那、俺様帰るけど。いい。ちゃぁんと、貞操守りなさいよ」
「は?」
首を傾げると、佐助は忠告はしましたからね。と、言いながら庭の方へ降りてゆく。
「やはり、鬼にやられたというのは、嘘なんだな?」
政宗が言った。すると佐助が頷いた。
「そ。最初からちょっとあやしいと思ってたんだよね。鬼が何か騒ぎを起こしてるみたいなのもわかったけど、それは旦那たちに任せた。じゃぁね」
シュ。と、いう音がして佐助が消えた。残されたのは、幸村と政宗である。
政宗は腕組をしたまま何やら考え込んでいた。
「政宗殿?」
「ん? いや……。猿の言うことは気にするな。それよりも、鬼だ。いつくるかだな」
幸村も頷く。二人して、庭から見える夜空を見上げた。
(鬼。どのような御仁なのであろうか)
なにはともあれ、藤影がみつかればいい。そんなことを考えて幸村は目を閉じた。
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お久しぶりすぎて読んでくださっている方がいらっしゃるか不安でなりませんが第九話です。ってこの文章第八話でも書きましたね…。
鬼が出てきました。もう一人でてきます。こっちは鬼じゃなく、人っぽいあやかしが出て参ります。あの極道な方が。
読んでくださってありがとうございました。
2012.3.14.サイトに掲載
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