一.




「政宗はいつになったら我らの地に来るのだ?」
「今すぐがよい、すぐにじゃ」
「そうじゃ、そうじゃ。そなたは人間のくせに人が嫌いであろう?」


小さな影のようなモノがいくつか揺らめいては消える。また浮かび上がって、踊るように跳ねた。
それらが浮かぶたびに、声は聴こえた。奇妙な声だった。子ども声のようであり、そうでないようでもあり。時には若い女性のようであるかと思えば、年老いた男のもののようでもある。
普通ならば、この現象に腰を抜かしたり僧侶や陰陽師を呼ぶと騒ぐところであろう。だが、同じ室内で暇潰しとばかりに書物に目を通す男は面倒そうに影を一瞥するだけであった。
「政宗よ」
「聞いておるのか?」
影たちは苛立ったように訊ねた。
「No、行かねぇよ。第一、人間がお前らあやかしの世界に行ったら死ぬだろうが」
「死ぬ? 死ぬとはなんじゃ」
「俺が消えるってことだ」
「なんと! それは困る。我らの贄を与える者がいなくなるぞ」
「困る、困るぞ」
「……あのな……俺の存在意義はそれだけか」
好き放題言うあやかしたちに呆れつつ、政宗は緩く笑った。
こいつらは、無邪気でいい。そこが気に入っていた。周りの貴族たちのように、やたらと回りくどい物言いをしたり、腹の探り合いなどをしなくていい。だからこそ政宗は彼らが政宗の屋敷に住まうことを許していた。
それ故に。
屋敷から怪音がしたとか、魑魅魍魎が出入りしているとか主の伊達政宗は人ではなく実はあやかし者である等、色々言われているらしいが気にもならない。
噂ゆえに面倒な付き合いに顔を出さずに済むならそれに越したことはないし別に出世したいとも思わない。気楽な今の身分に政宗は満足していた。
「政宗、やはりそなたはここに居れ」
「そうじゃ、それがよい」
先程から政宗のそばで好き勝手話している影たちをなんと呼ぶか政宗も知らない。ある日現れて、自分達が見えるくせにまったく動じない政宗に興味を持ったのかそのまま居ついている。政宗の屋敷にはそんなものたちが多かった。
影たちの意味があるようであまりないお喋りはまだ続く。それを聞き流しながら政宗は書物に目を落とした時であった。
「たのもう」
若い男の声が門のあたりから聞こえた。
すると、影たちがぎゃっ。と、叫んでぽん。と、消えた。その様子を見て政宗はうんざりとした顔つきをした。
またか。
あやかし屋敷と揶揄されているせいか、修験者だとか陰陽師などと自称するものたちがよくやってくるのだ。だいたいは偽坊主、偽陰陽師だったから軽く驚かす程度で逃げ出したが、今回はどうか。
このまま無視するのも手だが、無断で上がられるのも困る。何故なら、政宗の屋敷は本物のあやかし屋敷だったからだ。政宗が追い出さないのをいいことに、京中のあやかしたちが寄り集まる集会所のようになっていた。彼らは別に悪さをするわけではない。ただ、集まってわいわいとやっているだけである。
億劫だと思いながら、政宗は書物を投げ出し応対するために部屋を出て行った。



「伊達政宗殿であろうか」
「YES」
「それがし、真田幸村と申す。この度は貴殿にお願いしたきことがあり参った所存」
「願いだと?」
修行の一環としてこの屋敷のあやかしを差し出せなんていうなら全力で断るところだが、目の前の男はどこからみても人畜無害にしか見えなかった。さらにいうなら、陰陽師にも僧侶にも見えない。どこにでもいる若者以外の何者でもない。
「左様。貴殿はあやかしに精通していると聞いた。そこで……折り入ってお願いがござる……」
そう言って、相手はひどくなにかを躊躇っていた。言いだそうとしてやめて。それから、首をブンブンと横に振る。そうして、雑念を去れとばかりにパン。と、自分で自分の顔を叩いた。なんだか、見ていて面白い男だった。なにやら必死な様子がまたかわいらしい。年の頃は政宗とそう変わらないだろうが、この男はずいぶんと内面に幼さを残しているように見えた。普段、裏表が激しい同僚たちばかりをみていた政宗には新鮮で、珍しく話を聞いてやろうという気になっていた。
「その……貴殿はもしかしたら、非常に不本意であるかもしれぬが、それがしも背に腹は代えられなく。それゆえに貴殿に恥を忍んでお願いしたい!」
「……いや、まだ内容を聞いてねぇよ」
いきなり、核心を語らず土下座されても困る。すると、幸村はハッとしたように顔をあげた。その顔に思わず笑ってしまうと幸村はムッとしたような顔をした。
「悪い。で、何を頼みたいんだ? ずいぶんと躊躇っていたようだが」
そう尋ねれば、幸村はきゅ。と、唇を噛んだ。それから、ゆっくりと大きな声で言った。



「それがしの式になってくだされっっ」



幸村はガバリ。と、頭を下げた。そのまま喋りはじめた。
「武田一門に幼少の頃より預けられ、ゆくゆくは一門の者として悪霊払いの仕事を任されるようになるはずであった。しかし、どんなに修行しても一向に……。それがしには…あやかしがまったく見えぬ! しかし、貴殿は人として暮らしているだけあってそれがしにも見える。貴殿以外に頼める方はおらんのだ」
致命的である。
だが、政宗は残念なことに人間だった。見えるのは当り前である。
「無理だ」
「なにゆえでございまするかっ。この幸村、願いを叶えてくださるならばなんだってする覚悟」
無理だと再度言うと相手は悄然と項垂れた。なんだかあまりにもしょんぼりしているので、つい政宗はしゃがみこんで幸村の頭に手を乗せた。幸村が上目遣いに政宗を見た。
(かわいい、犬みたいだ)
失礼な感想を抱きながら、あまり考えもせずに口が勝手に動いていた。
「……あのな、よくきけ。俺は紛うことなき人間だ」
「?!」
幸村の目が驚きに見開かれた。
「だが、もしかしたらここで暮らせばアンタにもあやかしが見えるようになるかもしれない」
「まことにござりますかっ」
ガバッ。と、しがみつく幸村に押し倒されそうになりながら政宗は言った。
「ならないかもしれないが……この屋敷には京中のあやかし者がやってくる。一人ぐらい見える奴がいるかもしれねぇぞ?」
どうする。と、問うと幸村は何度もコクコクと頷いた。
「よろしくお頼み申す!」
「ああ……まずは鼻水と涙を拭こうな……」


なぜ俺はこんな提案をしているんだろう。と、政宗は思いながら背後を振り返った。


「政宗が人間を連れ込んだぞ」
「連れ込んだ」


影たちが、ひょこりひょこり現れ、ぽん。と、また消えた。






2011.5.21.更新

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