■月の影 1■




日中、あれほどに苦しめられた気温は夜になってようやく和らぎ、幾分過ごしやすくなった夜。幸村は人が出てゆく気配に目を覚ました。
(・・・何事であろうか)
そっと寝所を抜け出し、気配を感じた方向に足を向けた。


音を立てぬようにそっと近づく。すると、幸村の寝所と反対側の部屋の障子が中途半端に開いているのが見えた。おそらくその部屋から人が出て行ったのだろと見当をつけたところで、幸村の眉に皺が寄った。
と、いうのも。その部屋に寝泊まりしているはずの人間は、本来こんな夜中に勝手に出て行っていい人物ではなかったからだ。
真田家的にも、相手の国的にも絶対によくないだろう。なぜならば、そこには奥州筆頭の伊達政宗が休んでいるはずだからである。
(政宗殿の身になにか起きたのでは)
だとすれば、大事。幸村は慌てて、近寄って行ってひとこえかけて部屋を検めた。
だが、そこに政宗の姿はない。あるのは、もぬけの殻の寝床のみだった。
では、政宗はどこへ・・・?
幸村は、辺りを見回した。人の影は見当たらない。どうも庭にはいないようである。
これはいよいよ由々しき事態である。
佐助を呼ぼうとして、幸村は慌てて口をつぐんだ。早まってはいけない。
厠に行っただけとかだったら、佐助に怒られる。これは、まず確認しなければ。幸村は、そっと政宗の部屋を離れて、厠へと向かった。


「月夜、でござるか」

その途中。廊下に差し込む淡い光に誘われるように幸村は、足を止めて空を見上げた。淡くぼんやりと光る月は柔らかな光を地上へ注ぎ込んでいる。
その月に寄り添うように、細い雲がかかりなんとも言えず綺麗だ。
しばし、政宗を探すのを止めて月を見上げていた幸村であったが、はっとする。
誰かが、今。視界の端を掠めた。
(政宗殿でござろうか?)
幸村は慌てて、中庭に出て視界を掠めた人物が通ったと思われる場所に近づいてゆく。
気配を殺して、ゆっくりと進むと、敷地を抜けて裏手にある山へと続く山道へと出た。

はて。こんな夜中に何をするつもりのだろうか。いよいよもってあやしい。と、幸村は用心して進む。
だが、なんの妨害もなく山道を登り切り、見晴らしのよいところまでのぼってきたところで、影の正体を彼は見た。


政宗、だった。

寝巻代わりの着物姿のまま、草履をつっかけぼんやりと空を見上げていた。こんな夜更けにどうしたのだろうか。声をかけるかかけまいか幸村が迷っていると、政宗が振り向く。
その顔は、逆光になってよく見えないので、彼が笑っているのか怒っているのか幸村にはわからなかった。

「どうした、アンタも月を見にきたのか?」
「そ、そうでござる」

違うけれど、とっさに頷くと政宗はすぐに背を向けた。
いてもいい。と、いうことらしい。
幸村は、少しだけ迷ってからゆっくりと政宗の隣まで歩いて行って、彼に並ぶ。


政宗は、幸村に注意を払わない。ただひたすら月を見上げいる。その目はどこまでも、穏やかだ。
目を細めて一心に月を見上げている顔は、ひどく優しくて常の彼からは想像できなかった。
幸村の知っている政宗は、自信家でいつも強気で、部下思いのとにかく強い男という印象であったのに、今の彼は少し違う。
うまくはいえないけれど・・・。その違う政宗が、妙に気になった。
彼の普段はどんなのだろう。と、不意に思う。自分は戦場での政宗しか知らぬ。
故に、彼が本当はどんな人物なのかということはまるで知らないのだということに、唐突に気付いた。
そのことに少なからず衝撃を受けたことに内心驚いた。
(なにゆえ)
今は、こうやって互いの住まいを行き来する仲ではあるが、武田と奥州の友好関係が崩れれば敵味方になるような浅い縁でしかないというのに。
でも、政宗とともにいることはとても楽しく、幸村は初めて得た友だとさえ思っていた。
その友の本当の姿を知らないことが、嫌だったのか。そうに違いないと、納得しつつも何か違うのではないかと幸村は思った。


月を眺めるフリをして幸村は隣に立つ政宗を盗み見た。
彼は、なおも一心に月を見上げている。淡い月の光のせいで、薄暗い夜のなかで白い着物姿の政宗がぼう。と、浮かび上がっている。
淡い光を浴びた政宗は、ひどく綺麗で・・・、男子に綺麗もなにもないだろうと思うのに、目が離せない。
穏やかに笑うその顔に引き寄せられて、政宗が幸村の視線に気がついて幸村に向き直るまでぼうっ。と、していた。
「どうした?」
「な、なんでもござらん!」
少し首を傾げて、穏やかに笑いながら問う顔に、幸村は赤くなる。
なんだろう、胸がバクバクと言っている。政宗に突然話しかけられたからであろうか。誤魔化すように慌てて顔をあげると、政宗が目を細めて幸村を見つめていることに気付き、動きが止まった。


「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」


2人の間の空気が突然重くなったような気がする。
政宗の視線が自分に刺さっている。その視線の強さに、幸村は息が止まりそうになった。
どうして、政宗はそんな目をするのだろうか。
なにゆえ、自分は政宗の目から視線を外せないのか。
そう思うのに、尋ねることもできずに馬鹿のように幸村は立ち尽くしている。
凍りついてしまった幸村に、政宗は口の端を僅かに持ち上げ幸村の手をゆっくりと握った。
「!!」
びくっ。と、したのは驚きだったのか、別のものだったのか幸村自身にもよくわからなかった。
だが、何かが己のなかを走り抜たの感じる。なんだろうか。
政宗をそっと窺えば、彼は幸村を見ることなく再び顔をあげて月を眺めていた。ただ、握りしめた手の熱が幸村の手に伝わっていて、その熱を意識するとそこから熱が伝播するように体が熱くなってゆく。


「政宗殿、」
「幸村、月が綺麗だ」


ぎゅ。と、握られた手に力がこもる。無意識に、幸村を握り返す。
心の臓の鼓動が速まってゆく。頬が熱い。


これは、なんだろう。

決して嫌ではない。この感覚。
手放したくなくて、政宗が幸村の手から己の手を引き、もう戻ろうと言いだすまで幸村は真っ赤な顔をしたまま政宗と手を繋ぎつづけた。


「・・・・・なにゆえ」


政宗と別れ、自室に戻り寝床に横になっても幸村は、政宗の手の感触を忘れられずにいる。
それを思い出して、頬を赤らめながら幸村は息を吐く。

どうして、政宗は手をつないできたのだろうか。
その理由を知りたいと、思った。







ブログ掲載 2010.07.23.
サイト再録 2010.08.23.

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