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危なかった。




政宗は、逃げるようにして幸村のそばから離れると、そのまま頭を冷やすために今の時間は誰もいないであろう鍛錬上へと足を向けた。
冷え切った空気が動揺した心を静めてくれるだろう。そう考えて、ひんやりとした板張りの部屋に足を進めた。
真ん中まで歩いていって、大きく息を吐く。
白い息が一瞬政宗の顔の前に広がって、消えた。
(手が出かけた)
いつもの政宗なら、気にすることなく本能に従って手を伸ばし、手折ってしまったに違いなかった。
相手が、男な時点で、手折るなどとは言わないのかもしれなかったが。






だが、相手はあの真田幸村だ。
強引に手に入れて、果たして満足するかと問われれば、否である。
前に同じ事を思ったはすだ。幸村が政宗の手を握って逃げ出したあの日だ。
だからこそ、政宗に対して妙な感情を持っているように見える幸村に気づかせようと遠回りなことをし始めたのだ。
(自覚するってぇのは、怖ぇな)
思うよりも、先に体が動いてしまう。押さえつける自信があったというのに、この始末。待つつもりだった。
待って待って。
最終的に、幸村のほうから政宗の懐に飛び込んでくるように仕向けるつもりだった。実際、幸村は着実に自分の気持ちに気づき始めている。
それが、真か。それとも、この奥州で気を許せるのが政宗一人という特殊な状況のせいなのかは判然としないが、政宗にとってはそれはどうでもよいことだった。彼が己の手へと落ちてきてくれさえすれば、それで満足だった。
押して押しまくっても、きっと幸村は逃げてしまう。
何事があっても堂々と受けて立つのが真田幸村であろううが、恋愛に関してはからきし駄目なようだ。
先ほども、少し微妙なところに触れただけで顔は、真っ赤。動揺のあまり、声は上擦る。呼吸も止まる。動きは、なんだかおかしい。
(わかりやすいったらねぇ)
思い出して、くすり。と、笑う。


戦場では見せることのないあの、顔。
笑った顔。
膨れた顔。
困った顔。
恥しがる顔。


どこをとっても、かわいい。
もっと見たい。
政宗だけのものしたい。
今は、着物で隠されたあの肌に政宗のものであるという印をつけて、二度とその肌を晒せないようにしてしまいたいと思ってしまうなど、恋といわずして、なんというのか。政宗の中には、それ以外の言葉は持ち合わせていなかった。
恋。なんて、言葉を自分が吐く日が来ることがあったのか、我ながらおかしくてたまらないとは思うけれど。




(違うか)
恋。なんて浮ついたものとも、違うのかもしれない。
では、なんだ。そう、問われても明確な答えなどないのだけれども、浮ついた心ではないことは確かだった。浮ついているのならば、もっと積極的にいっている。幸村が逃げようと嫌がろうと捕まえて抱きしめて自分の気持ちを通す。政宗の性格上、そうしている。そうしなかったとしても、ふわふわとした気持ちになっても妙に浮かれていたり落ち込んでみたりするのが、恋だ。だが、政宗には一切そういうことはない。
ただ、幸村の気持ちが追いつくのを待ちたかった。なぜ待ちたいのかは正直なところよくわからなかった。
思い当たるとすれば。
(あいつの目に俺が映りてぇ)
信玄でもなく、猿飛でもなく。自分だけを幸村の意思で映してもらいたいとは思う。いつも、幸村の頭の中には、お館さまである武田信玄が住んでいた。同じ位置に置けとはいわない。いや、同じ位置では困る。だが、別の特別な位置を占めたいと思うことは、果たしていけないことだろうか。
わかってはいるのだ。
幸村は、敵国の武将で、政宗は討つべき相手であるということも。
万が一、想いが成就しても雪が溶ければこの関係も終わってしまうということも。
それでも、一瞬だけでも政宗だけをあの瞳に映したい。
(まだ、時間はある)
雪解けはまだ先だ。
そこまで考えて、政宗は顔を顰めた。不安要素を思い出したのだ。




(俺は、あいつを手放せるのか?)



春になれば、幸村は奥州を去ってゆく。だから、このままでよいのではないかとも思わないでもない。
幸村は、たとえ政宗と気持ちが通じ合ったとしても、信玄の下へ帰ってゆくだろう。あの男にとって信玄とは絶対の存在だからだ。
政宗が、もし。逆に今の幸村のような状況になり幸村と気持ちが通じ合ったとしても、奥州に帰るだろう。
政宗にとって、奥州とは守るべき国であり、基盤であり自分の国だからだ。わかっているからこそ、自分はいいわけをしているのかもしれない。




手を出してしまえば。
手放せなくなるに決まっていた。
手を出さなければ。
想いは届かなかったと、気持ちの整理ができるに違いないから。




(怖いのか・・・)
不意に笑いがこみ上げてきて、政宗はクククと、笑う。
それ以前に、まだ幸村が本当に己の手の中に転がり込んでくる要素があるかどうかも不確定だ。
先回りして、恐れて不安になって、自分は本当に愚か者だ。
手を出して、嫌われるのも本当は怖い。
待つといえば、格好がよいが、本音はそこではないのか。自虐的な思考は留まることを知らず政宗の心を侵食して塗りつぶしてゆく。



「雪解け、か」



本来、喜ぶべき春の訪れを、怖いと思ったのはこれがはじめてであった。








20.8.30.
さらに激遅い更新で。しかも、今回はキリがよかったので少し短いです。すみません・・・。
次回。少し表でお話がすすんで、一話分裏になります。


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