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触れた手は、暖かかった。







走り去ってしまった幸村を追いかけるか否か迷って、政宗は行き場を失った手を前髪にやってくしゃりとやる。
そのまま手で顔を覆って、溜息をついた。
ひどく、驚いた。
いきなり、己の手に幸村のそれが触れたから。
敵将の手が政宗の手に触れたから、警戒した。と、いうのではなくもちろん、その優しい暖かみに驚いたのだ。
幸村の手も政宗の手も。戦う男のそれそのもので、柔らかみなどというものは一切ない。にも関わらず、その手がひどく優しかったと思ったのは、気のせいではないだろう。
会話の流れで、つい本音を漏らした。
冬は、好きではない。
理由はいろいろある。だが、それを誰かに吐露する気は政宗には毛頭なかった。政宗自身が思うことは、この際いい。
(真田幸村)
その名を呼び、彼が触れた手にそっと己のそれを乗せた。我ながら馬鹿なことを。と、すぐに政宗は自嘲的な笑みを零す。
そのまま政宗は、雪で埋め尽くされた庭を眺めた。
白いそれは、触れば冷たさに身を震わせるというのに、ふわりとしていて暖かそうに見えた。
思えば、そんな雪も好きではなかった。
いや、自分の過去に大好きだったというものもあまり多くはないのかもしれない。かわりに長じて、得たものはたくさんあるが。
過去なんて所詮、過ぎ去ったものでしかない。そう、政宗は思っている。どんなに悲しく辛くても、それをどこかにしまって鍵をかけてしまっているからこその考えだったとしても、自分には振り返る必要が今はないもので、今はただ前へ進むことだけを思っていればいいことだ。
そこまで考えて、なにを今更。と、政宗はふん。と、鼻を鳴らした。
つい。と、視線を先ほどまで真田幸村が座っていた場所に移す。そこには、当然ながら会いたかった人物はいない。今はどこで唸っているのか。
(うぉぉぉぉとかぬぉぉぉぉぉとか。奇声を上げて、埋まってるんじゃねぇのか?)
想像に難くない。わかりやすい。と、政宗は小さく笑った。本当に、真田幸村という男は、見ていて飽きない。
どこまでも純粋で真面目でまっすぐで。全力以外に選択肢はないのか。と、問いただしたくなるようなほどにいつも全力だ。戦場でも暑苦しい男だと思ったが、日常でもそうだったようで、事あるごとに真田幸村は賑やかだ。だが一方で、悩むときも全力のようではあったが。
(悩むなんざ、猿にでもさせておけばいいんだよ)
当人が聞いたら怒り出しそうなことを思いながら政宗は、立ち上がる。すっかり冷え切ってしまった茶を見下ろして、また笑った。
(やられてる)
なにに。などとは、具体的には言えない。いや、言ってはいけない。
だが、今日は姿を見れただけでよしとしよう。そう考えて、今更の考えだな。と、考えを改めた。
(もう、手遅れだな)








庭が見えるその場に再び腰を下ろした。
彼の存在が自分のなかで、どんな成長を遂げたのかを冷静に思い返すと、政宗自身驚きを隠せない。どこでどう間違ってとは、自分でも思う。
ただの好敵手だった。実力もさることながら、戦いへの執着心もなにもかも。
戦場で彼と対峙する瞬間、己の身分も立場もなにもかも忘れることができた。ただ目の前の男だけが政宗のすべてとなる。
その一瞬がとても楽しく心地よいものであった。
それは、命をかけたことであったが、政宗は幸村にそういった意味でかなりの好意を持っていた。それだけだと思ってた。
つい、政務に嫌気がさすと、真田幸村を思い出し。彼との戦いを思い返して、じっとしていられなくて脱走する。
ただ単純に好敵手との戦いを望んでのことだと思っていた。


だが。
(俺は、自分のterritoryにやつを引き込んだ)
それも強引な手法で。なぜとは思った。そんな己の行動に驚きもしたが。
鈍いフリをしていただけだった。すぐにわかった。
(なぁ、もしも俺が)
思っていることを告げたら、あれはどうするだろうか。
固まるか。
真っ赤になって破廉恥と叫ぶか。
いや、理解できないで真顔で意味を問うかもしれない。
くすくすと笑い声を立てて、そのままバタリ。と、仰向けに倒れた。



「・・・アンタは想像もしてねぇだろうけど、な?」



だが、少々あっちも妙な感情を持っているようではあるが。あの様子では素でわかっていないのだろうし。だったら。
(強引に開かせちまうのも、なんだな)
イロイロなものを。
冬の冷たい空気が、今はとても心地がよい。
政宗は目を閉じた。















(政務はもうよいのであろうか?)
心の準備が!
幸村は焦った。
政宗の手をとってしまったあの事件の日の翌日から、政宗が幸村の元を訪れる回数が明らかに増えた。
まだ自分の中で消化しきれていないことが満載なのに、それを考える暇もなく伊達政宗は幸村の前に現れるのだ。
それも、かなりどうでもいい用事が多い。
茶菓子と共に現れる伊達政宗。今日も、だ。
「そのらいばるというのは、なんという意味でござるか?」
「rival、アンタと俺の関係のことだ」
「・・・はぁ・・・あっ! それは某の煎餅でござるよ、政宗殿」
さりげなく奪われそうになったものを引き寄せて、幸村は政宗を叱る。
「sorry、いつまでも残ってるからいらねぇのかと思った」
「ぬ。これは大事にとっておいたものでござるよ!」
「ならしまっとけ」
ここに。と、つん。と、着物の合わせをつつかれて、思わず声をあげそうになる。
(いやいや。なんでそこで声があがりそうになるのだ)
わけがわからん。と、幸村は慌てて首を横に振る。



「An? どうした」
「のわっ!」
盛大にひっくり返る。
―――っ」
ガン。と、いう音が響いたと同時に頭がグワングワンする。
「・・・・なにやってんだ・・・・」
呆れた声に恥しさで逃げたくなる。
(顔が近すぎた)
あの整った顔が至近距離にあるとどうにも駄目なのだ。ほぼ本能で逃げなければと思ってしまうのだから仕方がない。
理由はよくわからないが、息が止まりそうになるからだ。
大変危険である。
心の臓も苦しくなる。早鐘のように鳴るとかいう以前に、止まりそうなる。
(某を陥れたいのであろうか、政宗殿は)
どんなたくらみが。そう思うも、意識していない行動だったら恥しくて死にたい気分になるのは、幸村だったので口にはしない。
「ぬ、ぬかった」
気持ちを引き締めねば。と、思い呟いたら、政宗が。
「意味わからねぇ!」
と、笑い崩れた。いいだけ笑われて、むっとする。
むっとしたまま、煎餅をバリバリほおばっていると、笑いをようやく納めた政宗が、まったく。と、いうように息を吐いた。


「瘤になるんじゃねぇのか? ここ」
「っ」
なにをする。と、叫べたらどんなによかっただろう。ごく自然な様子で幸村の後頭部に手を伸ばし、そこを優しくさする。
少しだけ痛みが走って、眉をしかめると。
「小十郎に冷やすものを用意させる」
と、いってすっと立ち上がった。
その間も幸村の脳内は大混乱に陥っていた。
(し、心の臓が・・・!)
なにゆえだ。政宗が頭を打ったのを心配しているだけなのに。
近寄ったとき鼻をかすめた政宗の匂いだとか、触れた指先の感触だとか。いつもよりも近くに聞こえる声だとか。

全部全部。


(お館さま!!!)
意味もなく主を呼んだ。
答えてくれるはずもなかったが。






政宗が戻ってくるまでの少しの間。
幸村はずきずきする頭で必死に考えあぐねていた。
(どうしよう。どうすればよいのだ。静まれ、わが心臓!)
再び大きく仰け反った。その瞬間。
「っっ」
ガン。と、いう音がして再び激しく頭を打ち付けた。あまりの痛さに思わずうずくまる。
「・・・・ほんの少しの間も、アンタはじっとしてられねぇのかよ・・・ったく」
涙目のまま顔をあげると、心の底から呆れたという顔の政宗が濡れた布を持って立っていて。
「ほら、そこにうつぶせに寝ろ」
「・・・自分で」
「寝ろ」
ぐい。と、押されて畳の上にうつぶせに寝かされる。すぐにひんやりとしたものがあてられた。
(きもちいい)
目を瞑って大人しくしていると、さわ。と、頭を優しくなでられた。
「大人しくしとけよ」
優しい声音に再び心臓が跳ねた。
(政宗殿は、優しい)
それに引き換え、己の情けなさといったら。
畳に顔を擦りつけた。そこはザラザラとしていて少々痛い。でも、このぐらいが今の幸村にはちょうどよくて。


「目が離せねぇ、な」
「?」
顔も伏せているので政宗の様子はわからない。





「政宗殿?」





ここに来て、開口一番。伊達殿ではたくさんいるから名で呼べといわれて呼ぶようになったその名を呼んだ。
「・・・悪ぃ・・・急用を思い出した」
少し焦ったような声音で政宗は告げると慌しく部屋を出てゆく。
「?」
用事ならば、仕方がないのではあるが。
どうしても、寂しいと思ってしまうのはなにゆえであろうか。いまだ痛む頭で幸村はそんなことをぼんやりと思った。









20.5.16.
激遅い更新で・・・(土下座)
ようやく恋っぽくなってきたような。幸村の心のよりどころはお館様。

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