其の四





「真田幸村?!」
「お久しゅうございます」
ぺこりと、居住まいを正して礼をされて片倉小十郎はものの見事に固まった。
こんなに度肝を抜かれた顔をする小十郎など滅多にみれない。政宗は意地悪くニヤニヤする。
「冬中stayすることになった。小十郎、こいつの部屋を用意してやってくれ」
動揺中の小十郎に政宗は付け加える。思わず頷きかけて、小十郎は我に返った。
(shit)
惜しい。このままどさくさに紛れて小言をパスしようと思ったが、そこは自制心の塊のような…政宗のこと以外に関して…男の心はすぐに我を取り戻したたようである。
「政宗様、ご説明していただけますね?」
だんだんと低くなる声に、政宗の口元が僅かに引き攣る。
「おいおい、そんな怖い顔すんな。真田幸村が驚くじゃねぇか」
「政宗様! なに故、ここに武田の将が居るのでございまするか!」
「招待した」
「…は?」
聞き間違いなことをたぶん祈っているのだろう。わざと聴こえないフリをしている。政宗は、はっきりと繰り返す。
「冬中。こいつを招待した」
「…あなたという人は!いいですか、真田幸村といえば。先の戦でやりあった武田の将ですぞ。そのような輩を冬中預かるですと? なにをお考えですか!」
「別に、問題ねぇだろ。なぁ、真田幸村?」
政宗は面倒そうに手を振る。問題はありまくりなことは百も承知だ。
話はこれで終わりというように横を通り過ぎようとする政宗に小十郎は、口を開く。
「質ということでしょうか?」
質という言葉に、幸村の肩がビクリと震えた。それを視界の端に止めながら、政宗はきっぱりと言う。
「No。客人だ」
丁重にもてなせよ。と、付け加えると大股でその場を去ってゆく。
「Hey! 付いてきな」
「しょ、承知した」
幸村をつれて政宗は歩いてゆく。その背後で、小十郎がなにか言っているのが聴こえている。小言なのだろうが、聞き流す。その様子を困惑した様子で見やる幸村にも気づかないフリをして政宗は自室を目指した。




部屋に幸村を招じいれて、ぴたりと襖を閉める。今は、まだ小十郎のお小言はいらない。正面に座るように促して、政宗も腰を下ろす。
(夢みてぇだ)
ここは自分の城の自室で、そこに真田幸村がいる。想像したこともない光景に政宗自身が一番動揺している。
「アンタは、本当に冬中ここにいてもいいのか?」
「武士に二言はござらん」
きっぱりという目はどこまでもまっすぐだ。いい目だ。政宗は目を細めた。こんな男に慕われる武田信玄は果報者だ。自分の部下たちも負けぬほど自慢できると政宗は思ったが、それでもやっぱり幸村のような武将を召抱える武田信玄を少しだけ羨ましく思った。それにしても、冬の間ここに留まって、幸村はなにをするつもりなのか。政宗が、武田のものにうっかりでもなにかを漏らす可能性はない。
「お館様は、よくこう言われる」
静かに幸村は言う。
「同じ目線で物事を考えよ。さすれば必ず道は拓ける」
「それが、虎のオッサンの言葉か。いい言葉じゃねぇか」
口に出して、相手に言っては意味はないが。
(アンタは、いつも一生懸命だな)
どれほど武田信玄を敬愛しているか。お館さまと連呼して戦う姿からもわかるが、今の一言でもそれが表れている。
(アンタのその目に俺を映してぇ)
目を細めて彼を見る。会いたいと思った。会ってその後のことなんて考えなかった。会ったら、あのモヤモヤした気持ちも晴れるのではないか。そんな風に思っていた。思った通り。政宗のくさくさした気持ちは、幸村に会えたことですっかりと消え去った。そうしたら、離れたくないと思い、こんな馬鹿なことをしでかした。
(こいつが付いて来たのは、虎のオッサンのため)
決して政宗に興味をもったわけではない。当然だ。政宗は武田信玄の天下統一を阻む存在なのだから。
それが無性に腹立たしかった。
(目の前にいるのにな)
冬の間に幸村の目に政宗を映してみせる。そう決めた。
その幸村は、追いつかぬ様子で部屋の様子をキョロキョロ窺っている。先ほどの凛々しさは微塵も感じられない。それ以上に、好奇心が勝ったようである。
(落ち着きがねぇ)
あの忍とのやり取りでも思ったが、素の彼はこうなのだろう。まるで子どもそのもの反応に笑みが零れた。
「な、なにを笑っておられるのだ」
それに気づいた幸村がむっとした声で言う。
「なんでもねぇよ。アンタ、この部屋が珍しいのか?」
「…そ、そんなことはござらん」
いや、珍しいのだろう。目は相変わらず忙しなく動いている。
(こんなに分かりやすくて武将が務まるのか)
と、さえ思ってしまう。戦に出れば、紅蓮の鬼と言われることをわかっていても、やはり子どもっぽくて政宗の口元から笑みが消えることはなかった。
「そいつは、金平糖だ」
幸村が気になっているのに気づいて、箱を開けて渡してやる。
「これが・・・。綺麗でござるな」
じっくりと観察している。
「やる」
そういうと、一瞬ぱぁ。と、笑顔になりかけて慌てて首を振る。
政宗は堪えきれず笑い声を立てた。
幸村が怒ったのはいうまでもない。

















滑り出しは順調であった。佐助の報告で、政宗の元に武田信玄から数日後に書状が届き、冬の間の幸村の滞在が両国の間で正式に取り交わされた。どんなことになっているのかは、幸村は知らない。こうなった以上、武田と不用意に文をやり取りするわけにもいかなかった。余計な誤解を招くことは避けねばならなかったからだ。同盟国でもないし、幸村は質でもなければ、捕虜でもない。不思議な身分であり不安定な身分であることは承知している。だからこそ、あまり刺激すするようなことは避けねばならなかった。
だが、ほぼ政宗の思いつきとしか思えない事態に小言を言いながらも、片倉小十郎は幸村に快適な生活を保障し、気を使って政宗の居室からもそう遠くはないが、あまり家人の出入りが多くないちょっとした離れのような場所を幸村の居室と決めてくれた。
城の者も親切だし、それなりに楽しい毎日を送っている。当の目的の政宗はやはり一国一城の主だけに政が忙しく常に一緒というわけにはいかなかったが。




「静かでござるな」
パタン。と、読みかけの書物を閉じて幸村は庭に目をやる。深々と降る雪は音もなく、舞い落ちて白く広がった景色に溶け込んでゆく。
ふわふわと舞うそれは、甘いような気がするのに冷たく手のひらに乗せればあっという間に消えてしまう。
雪は決して珍しいものではなかった。信州も雪深い土地だ。冬になれば、雪で世界は閉ざされる。
だが、こんな風にぼんやりと雪景色を眺めていたことがあっただろうか。いや、なかった。
冬は冬で。寒風に負けぬ体づくりをと鍛錬をしに雪が積もる庭に飛び出て、佐助にあれやこれやと小言を言われたり、色々と幸村の周囲ハいつも賑やかだ。
だが、ここには真田の家の者はいないし、佐助もいない。一人だ。
幸村が、政宗について奥州へとやってきてからだいぶ経った。季節は本格的に冬となり、信州よりずっと北の奥州はもっと深い雪に閉ざされた。火鉢のそばで手を擦り合わせながら幸村は目を閉じる。
(政宗殿ともう三日もお会いしておらぬ)
どんなに忙しくても、毎日1度は顔を出してくれていた。憎まれ口ばかりたたくからついついムキになってしまうのだが、それでも楽しそうに政宗は笑う。しかも一言もそんなことを言ってはいないのに、顔を出したあと。幸村が不便を覚えたものはすぐに改まっているのだ。
(政宗殿は、お優しい方だ)
意外だった。戦場の様子からは想像もつかなかった。もっと殿様然とした方なのだろうと思っていた。だが、本当の彼は部下思いで、国思いで、なによりも人の気持ちがよくわかる優しい心根の持ち主だった。忙しいのに、毎日1度は顔を出すのも、奥州で一人ぼっちで過ごしている幸村を思ってのことだろう。
この城の者は、人がいい。だが、やはり幸村は余所者なのだ。鍛錬で一緒に汗を流してもどうしてもやっぱり幸村は敵国の将であり、一人なのだ。冬の間。政宗の下で彼の人となりを見、春以降の武田にとって有害なのかどうなのか。見極めようとやってきたのだから、今の状態に異存はない。だが、本当は幸村だって自分がやっていることが果たしてお館さまのためになると信じているわけではなかった。
(なぜ、付いてきてしまったのか)
佐助の言い分が正しいことなんて、あの時に判っていた。それでも、政宗の思いも寄らぬ言葉に飛びついたのはなぜだろうか。その答えが未だに幸村は出せていなかった。
その政宗の訪問が、三日前からぴたりとやんだ。
理由は誰も告げてはくれない。この離れにやってきて、そんな話をしてくれるのは、片倉小十郎ぐらいである。だが、彼は政宗と違って幸村とは明確な距離を置いている。親しすぎず疎遠すぎず。監視するにはちょうどいい距離を保っている。
奥州にとって、いや伊達政宗にとって有害であれば政宗の客であろうとなんだろうと斬る覚悟を鈍らせないためなのだろうことは幸村にもよくわかった。
(某は、なにをしたいのであろう)
目を開く。相変わらず雪は深々と降り続いている。
幸村は再び目の前の書物を開いた。開いただけで目は字を追ってはいない。ただ、この書物を貸してくれた人物。伊達政宗のことばかりをぼんやりと考えて、己の気持ちのわけのわからなさに、変なうめき声をちいさく上げた。









金平糖。蘭丸くんだけじゃなくて、幸村も似たような反応をするかなと・・・・高級品ですよ。
(20.1.19.)