其の三



合戦から一月が過ぎた。
季節は冬へと変わりつつあった。


政宗は、溜まりに溜まった書類を片付けるべく、机へと向かっている。
(だりぃ)
政をおろそかにするつもりはない。
自分の立場というものを知っているし、政宗の目指すものは民が戦乱に巻きこまれるようなことがない世の中だ。
平和な城下が政宗の自慢であり、安定した奥州の民の暮らしを約束することが己の務めだとも思っている。
だが、それと目の前の退屈な作業は別だった。
なによりも、政宗のもとにまでやってくるものは、書類上の決裁のみのようなものだ。
毎日、それを眺めて片付けてゆくのは体を動かすことが好きな政宗にとっては苦痛以外のなにものでもない。
(終わる気配がねぇ)
自分の横にうず高く積まれた紙の山をみて、げんなりする。今日の朝。政宗も怯えるほどの爽やかな笑顔の小十郎が政宗の首根っこを掴んでこの部屋に閉じ込めたのは、記憶に新しい。
気配からして、どうも入口には護衛という名の監視役が何名かついていることが知れた。
小さく舌打を打つ。政宗自身がサボりにサボった結果というものだが、それでもやっぱり面倒なものは面倒だった。


「…やめた」
ぽい。と、筆を放り投げ、そのままごろりと横になる。
横になればなるだけ、仕事がたまっていくこともわかっているが、気が進まないのだから仕方がない。
(どうも、すっきりしねぇ)
あの地震で引き分けとなった戦からずっと、政宗の心は晴れなかった。次へ次へと進むことを好む政宗にしては珍しいことだった。
たかが、合戦一つ。しかも、被害がでる前の退却。それもお互いに、である。気に病むことなど一つもない。春になればまた合戦の準備をして打って出る。この群雄割拠の世に、勢力拡大と勢力安定。この二つを手に入れるには、戦で勝ちを納める以外にない。だから、甲斐とも再び刃を交える日は遠くはないというのに。
(赤)
武田の赤。
いや、真田の赤。
紅蓮の鬼の姿を政宗はあの瞬間、その目に捉えていた。


見間違えることのない赤い鬼。
戦場の華。
真田幸村。




幸村の姿を見た瞬間、全身の血が踊った。それは、武士として強敵に出会えた歓喜のようであり、違うともいえた。心が震えた。そう思った。あの時、政宗には、目の前に真田幸村しかいないように見えていた。あと少しで会える。そう思った瞬間、地面が揺れた。伸ばした手は、かの武将には届かなかった…。
(真田幸村)
甲斐の虎の一武将に過ぎない若武者になぜここまで心惹かれるのか。正直、政宗自身。戸惑いを隠せない。
強い武将なら他にもいる。
軍神上杉謙信、甲斐の虎武田信玄、魔王、織田信長。他にもたくさん。倒すべき相手だと認識はしても、真田幸村のように歓喜にうち震えることはない。
(あいつは、俺だけが倒せる男)
自分こそが、あの男の目に映ることに相応しい。そう思って、政宗は笑いたくなった。
なにをそこまで真田幸村に執着するのか。理由なんてなかった。出会った瞬間に、この男は俺だけのもの。そう思ってしまったのだから仕方がない。なんだかんだと理由をつけても、それは言い訳でしかないのだろう。
(まるで恋だ)
いや、まるでではない。紛れもなくだった。好適手に対する想いは、恋と似ている。そういったのは、誰だったか。
言いえて妙だ。と、政宗は笑った。相手を求めて、相手に飢える。こんな感情は恋と同じだ。ただ違うのは、相手を仕合うことを望むこの一点のみ。
「真田、か」
ぎゅ。と、力を込めて握りこんだ。爪が食い込んで、皮膚を貫く。ピリ。と、した痛みとともに滲みでるのは、紅色。
それをペロリ。と、舐めてもう一度政宗は小さく笑った。
「アンタに、会いてぇ」
その呟きは、誰にも届くことはなかった。











(あいつら、なにしてやがるんだ?)
政宗は、興味を引かれてその場に身を潜ませた。
ここは、甲斐と奥州の国境。
赤色の戦装束に身を包んだ若者と、迷彩色の忍装束の忍者が睨み合っていた。
一方は、げんなりした顔で。もう一方は、頬を膨らませて。
「だからってね。旦那。ちょっと考えてみてよ。俺様は、なにも意地悪して一人で奥州まで来てるんじゃないんだってば」
「佐助ばかり不公平ではござらんか」
「不公平って…この間も、そんなことで上杉の偵察に付いてきたよね。そのあとの騒ぎを忘れてませんよね? いい加減にわかってよ。俺様の任務は忍の仕事なの。旦那は武将でしょう? 戦で戦功あげるのが、旦那の仕事」
わかってよ。と、いう忍の顔は疲れている。なんでこんな基本的なことを説明せねばならんのか。と、その疲れた顔が雄弁に語っていた。
「わかっておる。が、佐助。戦はしばらくないではないか」
「そりゃ、冬になるから…って、これとそれは別でしょう」
「別ではござらん」
不毛なやり取りがずっと続いている。異様に長い間この主従はここで言い争いをしているのだ。
どう考えても、佐助が正論で幸村のそれは駄々っ子のようなものである。見ていて微笑ましかった。
「あのね。旦那。旦那は、大将に上田の城を預けられてるんでしょう? その旦那がこんなところに来て城を空けていいわけないでしょう。なにが不満なの。俺様はちゃんと毎日の団子の手配もした。傍仕えに旦那の就寝起床時間もちゃんと教えたし、旦那の好物も賄いに徹底したし、旦那の鍛錬のために、屈強な忍を置いてきたし、大将にいつでも会えるように、伝令用の忍も用意したでしょう?」
普通、そこまでするか。と、いう用意周到さである。
「某は、お館様のお役に立ちたいでござる! 佐助ばかりずるいでござるよ」
むすっとする顔は、まだ幼さが残っていて少年らしさが残っている。佐助は、ヤレヤレというように肩をすくめた。
「だからといって…誰だ!」
はっとして振り返る。佐助は、素早くクナイを取り出して、森の中へ投げつける。
カキン。と、それを払い除けた。相変わらず憎たらしいほど正確だ。
政宗は口の端を少し持ち上げた。ガサガサと草を掻き分け、姿を現す。
「猿。忍の割に、気づくのが遅かったな」
「変なところで止めないでよ。俺様の名前は猿飛だって何度も言ってるでしょう? 旦那こそ、一人でこんなとこで何してんのさ」
「An? 俺の領地でどこにいようと勝手だろうが」
そう言いながらも、政宗は己の強運に内心苦笑いである。城を抜け出したのは、単なる思い付きだった。護衛役をちょっと眠らせて、小十郎が気づく前に一人、馬で南下したのに一欠けらの計画性もなかった。ただ城で腐っているのに嫌気がさして、真田幸村に会ってやろうと思い付いただけである。
そうしたら、国境で真田主従に出会った。
気配に敏い忍も真田の暴走を止めようと必死な余りに政宗の気配に気づくことが遅れたらしかった。



「伊達…、政宗、どの」
呆然とした声に、政宗は振り返る。そこには、会いたくてたまらなかった幸村がいた。
その顔は、きょとんとして本当に幼い。政宗は思わず、というように小さく笑った。
「Hey、真田幸村。アンタ、虎のオッサンの役に立ちてぇんだったな?」
「?」
ニヤ。と、笑うと猿飛が嫌そうに顔を顰めた。嫌な予感がしているらしい。勘がいいことで。政宗は目を細めた。
「猿。てめぇは、奥州の動向を探りにきやがったんだろう。冬を越えて伊達がどう動くのかによって、武田の出方も変わってくるからな」
「だとしたら」
佐助が身構える。横で幸村もようやく我に返ったようで身構えた。政宗は薄く笑った。
政宗に交戦の意思はない。思い付くままに、口を開いた。
「そうだな。ここでお前らとヤり合ってもいいが…。真田幸村。アンタの虎のオッサンへの忠義に免じて、譲ってやるよ」
「? 意味わからないんだけど?」
佐助が反応する。
「わからねぇか? お前らを招待してやるよ。米沢城へ」
「はぁ?!」
幸村と佐助の声が重なる。驚くだろうとも。政宗も内心、同意する。言った自分に驚いているのだ。小十郎がなんていうか考えただけでもげんなりするが、これは好機だ。
「俺を冬中観察すりゃいいじゃねぇか。俺の行状を観察した上で、雪解けとともに甲斐に帰り、戦の準備をするなり好きにすればいい。奥州の冬は雪に閉ざされる。どちらにしろ、偵察に一度こっちに来れば、春まで足止めだ。違うか?」
佐助だけならば、そんなこともないのだろうが。政宗は敢えてそこには触れずに言う。案の定、佐助は顔を顰めている。
「どうする? ここで大人しく俺の提案に乗るか…それともここで争うか」
どちらでもいいぜ。と、いうように促すと、これまで沈黙を守っていた幸村が顔を上げた。



「ご一緒させていただく」



「ちょっ、旦那!」
「佐助は帰るでござるよ。お館さまにご報告申し上げよ」
「は? 無茶苦茶言ってるのわかってる? 受ける旦那も旦那だけど、提案する竜の旦那も旦那だって。どこの世に、敵を冬中城に連れ込む殿様がいるってのさ。ここは、俺様たちが大人しく帰るからさ、な。それでいいだろ? 第一、竜の旦那にとって利益が一つもないじゃない」
「あるぜ」
そういって、政宗は幸村の肩を引き寄せた。
「冬は暇でしょうがねぇんだ。アンタがいりゃぁ、退屈とは無縁だろうからな」
「それだけ?!」
「Yes。悪いか?」
「悪いか? って、アンタ…」
呆れ顔の佐助に政宗は心のなかで、あんたが正論だ。と、付け加えた。
(まったく、俺も何がしたいんだか)
小十郎にどう言い訳しようと考えあぐねる政宗の横で、幸村は一人。
「お館様。真田幸村、必ずやお役に立って見せます!」
未だに、監視というより、自ら捕虜になったも同然なことに気づいていない様子である。
そんな単純な幸村に苦笑いを浮かべながら、政宗は踵を返す。
「決まりだな。行くぞ、ついてこい。真田幸村」
「承知した」
「え? いやマジで? ちょっとぉぉぉ、マズイって旦那!」
三者三様の想いを抱えて、米沢城へとその足を向けたのであった










展開を早めてみた。次回から、ダテサナな話になるかと思います。
(20.1.7.)