其の二







(伊達政宗)
幸村は、上田城へと帰還する道すがらずっと同じ名前を頭の中で繰り返していた。彼のそばに、忍の姿はない。あとで、幸村の敬愛する主君、武田信玄に忍としての任務を与えられたのだということを信玄自身から聞いていた。それが、いささか悔しい。
城主として、地震の被害など確かめねばならぬことがあるのはわかっている。
馬上の人となり周囲の被害に心を痛めてはいても、幸村の心は依然として戦場にあった。
(伊達殿は、某に気づいたでござろうか)
気づいていないかもしれぬ。だが、あのまま走ってゆけば伊達政宗と接触を図れただろう。あのとき、幸村の心は燃えに燃えていた。
川中島で出会いを果たした幸村の好敵手、伊達政宗。
彼と戦えると思ったときに、突然。地が、踊った。
(やっと再戦を果たせると思ったのだ)
何度かあった、対決の時。だが、すべて中途で流れてしまっている。それが残念でならぬ。
(楽しみが先に延びたと思っておればよいのであろうか)
幸村は、しゅん。と、項垂れた。此度は、一言も話さなかったことがなぜだか無性に悔しい。だが、ここではっとする。今日の幸村の脳内はとても活発だ。難しい顔をして馬を走らせているものだから、幸村に付き従う真田隊の面々は不思議そうに主君の顔をみていることにも気づいていない。
(なぜ、伊達政宗殿だけがこんなにも気になるのであろうな)
猛者なら他にもいる。上田城に乱入した挙句、佐助を殴りそばを食べて帰っていった前田慶次。戦国最強の本田忠勝。幸村と実力が近いものなら他にもいる。にも関わらず、幸村が燃えるのは伊達政宗なのだ。
幸村は、馬上から少しだけ後ろを振り返った。
(伊達殿…)


声は出ず。ただ、なぜこんなにも宿敵だけを未だに気にしてしまうのかそればかりが不思議であった。






上田に帰還した。城下はあまり問題がないようにみえた。地震で倒壊した家屋も少なく、人的被害も物質的被害もさほどではないようでほっと胸を撫で下ろす。だが、貧しい層が住んでいる箇所では違うだろう。なにかしらの手助けはしなければならない。幸村は、内政に明るくはないのだが、幸村がなにか言うまえに、集まった文官たちがあっというまに指示をだし、動き出してゆく。
戦場では有能な彼ではあるが、内政にはほとんど無知といってよかったので、幸村は有能な部下に任せて、自室に下がった。
(佐助はいないのであったな)
このままここで、手伝いもせずにいてよいものか。それはそれで落ち着かない。
肉体労働にでようと、部屋を飛び出しかけて、幸村はあ。と、間抜けな声を出した。

「佐助は、伊達殿のところに行った…?」

間違いないだろう。停戦の協定を結ぶことなく終わった此度の戦。地震があった戦地は甲斐の国のほうが近場であるから、奥州の伊達軍はすぐに建て直しをはかり、南下してくるだろうと思われた。季節も、差し迫っている。冬になれば戦はできない。雪深いのは奥州も甲斐も同じ。その前によりよい条件で停戦協定を結びたいというのは、武田にしても伊達にしても思うところは同じである。
そのぐらいのことは、幸村でもわかる。ゆえに、佐助は奥州の動きをみるために、派遣されたに違いない。
(お館さまは、民想いのお方だ。戦はしばらくないであろうな)
そうなると、伊達政宗に会うこともしばらくないということになる。



 がっかりした。



それから、なぜがっかりするのか不思議であった。春になれば、停戦協定などあってもなくてもきっとまた争いの日々に身を投じることになる。天下を狙う以上、武田も伊達もぶつからぬはずはないのだ。きっと、そう遠くない未来に伊達政宗とは戦場で再会する。でも、それが遠すぎて幸村を失望させた。
「なにを、そんなに焦っているのだ」
伊達政宗は逃げない。あの男は、そう簡単には死なない。幸村との再戦を望むのは彼も同じ。ならば、必ずや戦う機会は訪れる。
(伊達政宗)
名を呼んでみる。すると、妙に落ち着かない。
これは、疲れているのだろうか。いや、戦場で完全燃焼できなかったせいに違いない。そう、結論付けた。
(…甘いものでも食べて、落ち着かねば)
佐助がいたら、落ち着いていても甘味でしょうが。と、いいそうなことを考えた。
















森の中を黒い影が走る。佐助である。忍の足は常人のそれとは異なる。風のように飛ぶように走るその佐助の姿を見るものはいない。いたとしても、人間と認識することもなかったであろう。それぐらいに忍の動きは速かった。
(そろそろ、竜の旦那たちに追いついてもいいはずだ)
そう思っていると、佐助の向かう先に馬の嘶きと、多くの人の気配を感じた。
(さっすが、俺様。計算通り)
軽口を叩きながら、佐助は気配をより薄くしてその集団へと近づいていく。
佐助がぴたりと動きを止めた。佐助が止まったのはいい具合に葉の繁った大木の上だ。眼下に見えるのは、馬を走らせ領地へと急ぐ青い軍。伊達軍である。
伊達政宗はその先頭を、どうやって馬を操作しているのかわかぬが、手綱を持たずに腕組したままかなりの速度で馬を走らせている。
(大将のアレもすごいけど、竜の旦那のこれもすごいよね)
ややズレたところで佐助は感心する。それから、ニィ。と、笑って彼らに気づかれぬように絶妙な距離であとを追う。
(奥州まで止まらない気なのか…暴走軍ってのは、本当だね。こりゃ)
武田は見かけはかなりまっとうな軍である。伊達軍は佐助からみても一種変わった集団であった。一言で片付けるならば、ガラが悪かった。まぁ、暴走軍というのは地味に。武田軍もまた然りなのだが。
(どっちかっていうと、うちは天然暴走主従だかんね)
どっちがいいかなんてあまり考えたくはない。佐助は、なおも周囲に注意をしながら甲斐に置いてきた佐助の主のことを考えた。
(旦那、不完全燃焼で甘味に走ってなきゃいいけど)
地震被害だとか、復興だとか。そういった部分は心配していなかった。幸村の周囲には、優秀な文官たちがいる。戦忍である佐助が変に心配することはないのである。
ただ、主に関しては、佐助は信玄に任務を与えられる前から気がかりなことがあった。
(旦那は伊達政宗を気にしすぎる)
宿敵なれば、常に相手のことが気にかかるのもわかる。まして、幸村は、こう思ったら一直線なところがある若者だ。今頃、不完全燃焼を起こして、不機嫌な顔をしている気もする。
その場合の対処の二、三を考えて、苦笑いを浮かべた。
(傍にいるわけでもないのに、俺様も大概だよね)
苦労性といわれればその通りではあるが、案外そんな自分が嫌ではないので困ってしまう。
(なにはともあれっと)
今は、任務を遂行するに限る。
佐助は、ようやく行軍を止めた伊達軍―――とくに伊達主従―――がどんな会話を始めるか探るために、さらに近寄っていった。



「政宗様」
「Ah?」
小十郎が政宗と馬を並べる。馬から下りる様子はないのでどうも、小休止のようである。やはり、伊達軍はほとんど休まずに奥州へと帰るつもりらしい。
「さきほどの戦のことですが…」
佐助はみた。その瞬間、主であるはずの政宗の顔が。うげ。っという表情にほんの一瞬だけ歪んだのを。
「…なんだ…」
不機嫌そうに先を促す政宗に小十郎は、小さく溜息をついて口を開く。
「あれほど、お一人で先に行かれては危険ですとこの小十郎、申し上げたはず」
「…無事だったからいいじゃねぇか」
「政宗様! 大事があってからでは遅いのでございまするぞ。…真田幸村のせいでございますな」
「なんのことだ」
「誤魔化しても無駄ですよ、政宗様。この小十郎の目は節穴ではございませぬ。政宗様が向かった先には、甲斐の真田幸村がいたのでありましょう? 宿敵。らいばる。大いに結構。しかし、ご自分のお立場というものを…」
「a―、わかった、わかった」
「政宗様!」
政宗は、逃げ出すように出立を命じた。
なるほど、この主従。ただの主従ではないらしい。佐助は小さく笑った。それから、表情を曇らせる。
(旦那も、豆粒以下の伊達政宗を見つけて走り。伊達政宗も豆粒以下にしか見えない距離の旦那を見つけて走った。あんたたちどんだけ相手しか見えてないんだ? まるで恋慕う者同士みたいじゃないのさ…って、まっさかねぇ。殺し合いしている同士が惹かれるなんてありえないし? 旦那に限っていえば、恋なんて言葉。聞いただけで、破廉恥。って騒ぐしな…)
佐助の疑問と少しばかりの懸念は、すぐに本当のものとなる。だが、このときの佐助はそのことを知る由もなかった。









ずいぶんとあきました・・・。更新が遅くて申し訳ないっす。
オカン気質な佐助が好きです。
(19.12.24.)