「ごはん〜ごはん〜♪」
夕食を前にして、カガリは至極ご機嫌だ。
女性というものは、何より口に入るものがあると機嫌がよくなるらしい。無論、美食ならなおのこと。
別棟にある個室に用意されていた食事は、流石に目を見張った。
「うわ〜!すごいな、これ!」
目に飛び込んできた膳を見て、思わずカガリが感嘆の声を上げた。
「こちらは海の幸がメインとなっております。最近は世界的に日本食がブームになっておりますが、味はもちろん、これだけ食べてもカロリーが低くて、女性にも人気が高いのですよ。」
品のいい女将がそう言って、鍋に火をつけてくれる。
「沸騰しましたら、こちらにお野菜とお肉を入れて、軽く火を通していただければ大丈夫です。」
「わーい!では早速いただきま―――」
「それと―――」
箸を付けようとしたカガリの手を止めたのは、女将の続きの説明だった。
「こちらについているのは『生卵』です。」
「『なまだまご』・・・」
箸を持ったままカガリが硬直しながら復唱する。
「こちらをご覧ください。」
と、女将が差し出した手の先には、三和土に降りたところにモクモクと煙が上がるもの。
高さにして1mくらいの岩の隙間から、白い煙だけが立ち込めている。中央にはかごのようなものが置いてある。
「煙突ですか?」
流石にアスランもこれは見たことがない。というより、この煙の出るものと、生卵と一体何の関係が・・・
すると女将ははんなりと笑んだ。
「こちらは温泉の源泉の蒸気なんです。その熱を利用して作るのが『温泉卵』なんです。」
「『おんせんたまご』・・・?」
カガリはまだ硬直したまま、疑問符だけ頭上に浮かべる。
「『温泉卵』は黄身と白身の固まる温度差を利用した、温泉地ならではの調理方法です。普通は茹でますと、白身も黄身も固まりますでしょう。ですが、この蒸気に入れると、白身はとろとろの半熟に。黄身は固まった状態の卵が出来上がるのです。」
「白身がトロトロで、黄身はカチコチ・・・―――!すごい、面白そうだ!うちのコックじゃ、白身は固くて黄身が半熟な茹で卵は作れるけど、その逆ってないぞ!」
カガリの眼が一層キラキラと輝きを増す。それに気をよくして、女将の説明も饒舌だ。
「では、こちらの篭にその生卵を入れまして、それから7〜8分置いてください。その間にこちらのお食事を楽しんでいただき、お時間が来ましたら卵を取り上げてください。では。」
簡単な説明とあいさつと共に、女将は退場した。
「不思議な卵だな。普通は白身が固まると思うんだけれど。」
小首をかしげるカガリに、アスランが解説する。
「鶏卵は黄身の固まる温度が70℃。白身が80度ほどだが、大体普通家庭のコンロで温めると、湯温が100℃になってしまうから、外から熱が白身にダイレクトに伝わって先に白身が固まってしまうんだ。」
「ふ〜ん・・・」
科学にはあまり興味のないカガリだが、アスランの解説はカガリ仕様にわかりやすい。
これも付き合いの長さ所以だろう。
そして、いざ、カガリが浴衣の袖をまくり上げた。
「よし、アスラン。早速卵を投入だ。」
「そうしたいんだが・・・」
「ん?お前、卵嫌いだっけ?」
「じゃなく・・・部屋に時計を忘れてきた。」
「あ・・・」
アスラン的には二人で時間を気にせず、それこそ時間の「贅沢」をしながら食事をする腹積もりであり、カガリは温泉に入った後、腕時計を付けるのを忘れていた。
だが、そんなことは気にしないのが、カガリの性分だ。
「よし!大体の感覚で行こう。」
「そんなアバウトな・・・」
「いいんだ。アバウトもまた楽しみのうちだ。どんな卵ができるかな?」
そういって生卵を二つ並べてかごに入れる。
その間に、食事とお酒を楽しむ。
「ん〜♪ 魚が新鮮で美味しいv 小さなお鍋も作る楽しみがあって面白いな。」
一つ一つ感想を語るカガリ。そんな彼女の表情を見ながらワインのグラスを傾ける至福を彼も味わう。
だが
「な、もうそろそろ『おんせんたまご』とやらができたんじゃないか?」
待つ身は長い。多分時間にしたら3分ぐらいと思うが、ゆっくりと楽しむつもりのアスランにとっては、まだ1,2分くらいの感覚だ。
「いや、まだそんなに時間は立っていないと思うが。」
「う〜ん・・・まだか。10分とかきりのいい数字だったらわかるんだが、7,8分っていうのがな〜」
ソワソワと料理と吹き出し口を交互に見やるカガリ。
そしてしばらくして
「もうそろそろかな?」
「まだまだ。」
二人の会話はまるで何かの禅問答のようだ。半分修練の場と化している。
「もういいよな。」
「いや、まだまだ。」
だが、ついにここにきてカガリの我慢は限界に来た。
「いや、もう私は割ってみる!絶対固まってるから。」
「カガリ、待つのも楽しみのうちなんだろ?もうちょっと待って―――」
とアスランの静止よりも、カガリの野生の反射力の方が高かった。まだ熱いはずの卵を両手の中で転がしながら、一気に小鉢に叩きつける。
「えいっ!」
<グシャ>
「・・・・・・。」(カガリの点々)
「・・・・・・。」(アスランの点々)
アスランの予想よろしく、卵は白く固まりかけていたものの、黄身も白身も半生状態だった。
アスランが思わず苦笑する。
「・・・だから言ったのに。」
「う、うるさいっ!これはこれでいいんだ!でも、アスラン、あの・・・」
「何だ?」
「お前は成功させろよ!私にその『おんせんたまご』を見せてくれ。」
今日一番の真剣な彼女の頼みが『温泉卵』。誕生日のプレゼントには、いささかムードがないが、カガリは興味があることにはどん欲に知りたがる方だ。
そしてアスランは教えるのは上手い。だが何よりこうして自分が教えることで素直に喜んでくれることが何よりの彼の喜びでもある。そういう意味ではカガリは聞き上手で、アスランは話し上手。だがこれが他人の前だと、カガリは自分からよく話し、アスランは滅多に話そうとしない。
二人の間だけに成立する性格の不一致。でもこれが綺麗に凸凹がかみ合う。これこそが「運命の赤い糸」と言えなくはないだろう。
「で、もうそろそろお前の卵、できたんじゃないか?」
「いいや。まだまだ。」
失敗した手前、カガリは強くは言えない。だが終始チラチラと視線を窓の外に向け、それが気持ちを見事に雄弁している。
「じゃ、そろそろ割ってみるか。」
彼女に負けてようやく腰を上げたアスラン。
カガリは既にアスランの小鉢をもって、主人の帰りを待つ子犬のように待機している。
「じゃぁ、割ってみるぞ。」
「うんうん!」
そして小鉢の端で卵を叩いてみれば
<ボコッ>
「・・・・・・。」(アスランの点々)
「・・・・・・。」(カガリの点々)
見事に白身が一滴も落ちない・・・カチカチに固まった「固ゆで卵」の見本のような完成品ができていた。
「あー!だから早くしろって言ったのに〜〜!」
カガリが頭を抱えて落ち込む。
余程知りたかったのだろう。温泉卵というものを。
「ごめんごめん。見せられなかったお詫びに、俺のデザート、いるか?」
「食べる!」
0.5秒の即答。
「うわ〜すっごい濃厚で美味しい〜!」
ラズベリーとブルーベリーとストロベリーのシャーベットを味わうカガリは、先ほどの『温泉卵未遂事件』の悲劇を忘れたかのように、頬を緩ませている。
そして、そんな彼女の笑顔を、彼はまた存分に目の前で独占して味わうのだった。
・・・続く。