どこか懐かし気な風景を堪能した後、まだカガリのやりたいことはあるらしい。
「さて、次はとんでもなく「贅沢」なことをするぞ!」
「それはどんな「贅沢」でしょうか?姫」
「下りるまで秘密だ。」
先ほどの逆襲、と言わんばかりにツンと澄まして言い切る彼女。
高台の海風が程よく疲労を回復させ、二人は港まで降りてきた。




「では、次の「贅沢」を発表するぞ。」
カガリがコホンと咳払いをして改まる。
といっても・・・堤防とボートが停泊しているだけのこの場所でのやりたいこととは・・・
(アスハ家だから、ボートくらいは持っているかもしれないな・・・)
アスランはタグボートの操船技術くらいはあるが、こんなクルージングボートは扱ったことはない。概ね操舵方法に変わりはないだろうが。
だがそんなアスランの予想と反対に、カガリは港の道沿いに建つ建物にサッサと入った。
「ここは・・・」
見上げるアスランの目の前には『海釣り』の看板しかない。すると
「お待たせ!1回で3時間までだってさ。」
「3時間・・・って、カガリさん、それは―――」
カガリは手にしたカーボン製の大きな竿を2本振った。
「無論、『海釣り』だ!」

指定された場所でしか釣りはできない、という釣り道具貸し出し店の店主の指示で、ポイントの場所へと向かう。



「う〜ん・・・この辺りかなぁ・・・」
カガリが海面を覗きながら、あたりの来そうな場所を検討している。
一方アスランは
「・・・・・・。」
ただ後ろをついてくるアスランに、カガリは振り返っていった。
「なぁ、どの辺がいいと思う?」
「「どの辺」と言われても・・・検索かけて見ない事にはどうにも・・・」
「検索って、情報に頼る前に経験上わかることはないか?お前だって、釣りぐらいしたことあるだろ?」
「・・・・・・・。」
「・・・無いのか?」
「(コクン)。」
「・・・アハハハハ!」
「・・・そんなに可笑しいか?」
仏頂面のアスランを前に、カガリがお腹を抱えて大笑いする。そういえば、あの無人島でも経験がないアスランは、カガリの起こしてくれる天然騒動に初めて心から大笑いしていた。
まるであの時の逆襲のようだ。
カガリが眼尻に浮かんだ笑涙を拭って詫びる。
「ごめんごめん。そうだよな。プラントには海や湖ってないもんな。」
「水は貴重だから。」
宇宙空間に住まうものにとって、水は何よりの貴重品だ。どんな大金持ちでも水だけは無駄に使わない。
アスランはオーブに定住するようになってからも、そういえばあれだけ海が広がっているのに、釣りというものをしたことがない。元々がインドア派だし、時間に余裕がないことも一理だった。
「よし。じゃぁ私が釣りの指導員をするぞ。竿と浮と針と重りと釣り餌が必要なことくらいは分かるか?」
「基本技術くらいなら何とか。」
「じゃぁ、この辺りには岩場が広がっているみたいだから、魚の隠れ家になっているはずだ。ここをポイントにしよう。で―――エサは「これ」だ。」
そう言ってカガリが小さな袋から取り出したもの―――それを見て、アスランの表情がみるみる強張った。
「か、か、か、カガリっ!」
「・・・・どうした?」
「そ、そ、そ、それは一体―――!?」
「え?これか?」
カガリは何気に手に取ってアスランに「それ」を近づける。



その0.5秒後、アスランは5mたっぷり引き下がって、悲鳴に近い声を上げた。
「一体何なんだ!?その奇怪なものは!連邦軍の生物兵器の名残か!?!?」
カガリはポカンと口を開けたまま、奇怪なアスランの行動に見入る。その後再び爆笑した。
「あははは!アスランでもびっくりすることあるんだな。すまんすまん。これは『ゴカイ』だ。」
「「『誤解』?」
「日本語漢字変換するな!『ゴカイ』という生き物で・・・え〜と、そうだな。「海にすむミミズ」って思えばいい。釣りの餌に使うんだ。」
不信の視線を送り続けるアスランが、ようやくそろそろと近づいて、「ゴカイ」を見る。見れば見るほど気色の悪さしか感じない。
こんなアスランを初めて見た。いつも何事もスマートにこなしてしまう彼にも、苦手なものがあったなんて。
ううん・・・あるのが普通だ。それが自然な人間だ。ただアスランはいつもそれを我慢しなきゃいけない状況にある人だった。
(なんか・・・こんなアスランを見つけられて・・・嬉しいな。)
袋の中でウネウネと動くゴカイをまじまじと観察するアスラン。それを見守るカガリの眼は温かい。
「初めてじゃ気味悪いだろ?これは私が針につけてやるから。」
そういって一体何時覚えたのか、カガリは手慣れたようにゴカイを針に付ける。
「で、コイツを海に向かって投げて―――よっと!」
<ポチャン>という小さな波紋と共に、浮がプカリと浮かび、餌のゴカイはみるみる沈んでいく。
「これで、浮が沈んだら、魚が食いついているということだ。その時は竿をゆっくり慌てず引き上げるんだぞ。」
「・・・分かった。」
まるで上官から下った命令を神妙に聞いているみたいだ。
そう思ってクスリと笑うと、カガリは自分の竿を手慣れたように海に向かって振った。


・・・

・・・

・・・

波は穏やかで心地いい潮風。
そして、堤防には二人きり。
まったりとした時間だけが、二人の傍にいる。
「・・・カガリ。」
「ん?」
「・・・全然浮が動かないんだが・・・」
「そんなもんだ。」
釣りというのは、精神修練の一種かもしれない。ただ時間がたつのを待つばかり。
そんな時、カガリがふと話し出した。
「アスラン。ありがとうな、すごい贅沢な時間に付き合ってくれて。」
「いや、その・・・「贅沢」がどこにかかるか、まだ俺にはよくわからないんだが・・・」
ただ竿を振って、時々餌の状態を見ては、また海に投げて。そして穏やかな海を眺める。
だがカガリはとても満足そうだ。
「いつも私たちって、時間に追われて忙しいばかりで、いつもいつも「あぁ、時間が足りないっ!」て思っていたんだ。だから、こうして今時間を無駄に使っているって、これ以上の贅沢ってないんじゃないか?」
「あ・・・」

そうか。これがカガリのしたかった一番の「贅沢」。

ゆったりとした中に、ただ身をゆだねて時間が過ぎていくのを待つ。
こうして過ぎる穏やかな時。これが二人にとって「贅沢」以外の何物でもない。
あの無人島でもそうだった。救援を待つ間、二人で意見を戦わせた。
あの時は無駄な時間と思ったけれど、今考えれば、初めてゆっくりとお互いの気持ちを語り合ったのは、一番貴重な時間だったと思う。
(そうか…あの時の居心地の良さに似ているんだ。)
元々おしゃべりな方じゃないアスランが多弁になったのは、あの居心地の良さのせいだろう。
そして今もまた、あの時間とカガリがいてくれる。

感謝した、その時だった。
「アスラン、引いてる!」
「え?」
見れば確かに浮が波間に沈んだり浮いたりを繰り返している。
「慎重に・・・ゆっくり引き上げて・・・」
カガリがぴったりと寄り添ってアシストしてくれる。
(というか・・・体が密着しているんだが・・・)
「アスラン、力みすぎ!」
カガリが叫んだ瞬間、アスランの手元が一気に軽くなって―――針が宙を舞う。その先についていたのは―――



「・・・えと・・・『ホンダワラ』?」
カガリが小首をかしげて疑問形でその生物の正体を明かした。
「これって、なんの生き物でしょうか、カガリ先生。」
「その…いわゆる、海藻だな。茹でれば食えるぞ。無論釣りのオチとしても鉄板のネタだ。」
二人して顔を見合わせて、その後、思いっきり笑った。

・・・

で結局、その後カガリの竿にヒットしたのは、小さな「ボラ」という魚。
「これはリリースしないとダメだな。幼魚は海に返すのがルールだ。」
そうして唯一の獲物が入ったバケツをひっくり返す。魚(+ホンダワラ)は、波間に吸い込まれていった。

「あ〜ぁ、3時間頑張って一匹と一束か。」
「でも楽しかったよ。ありがとう、カガリ。いい体験になった。」
「そうか―――あ!」
カガリの足がぴたりと止まる。
「どうした?」
「そうじゃんか!あの時―――お前と初めて無人島で出会ったとき、食料分けてもらったり言い負かされるよりも「釣りで勝負」を挑んでいたら、絶対私、お前に勝てていたのに!」
確かに。ゴカイすら触れないアスランには、あの無人島でのサバイバルが延長していたら、あるいは・・・
「今日はボラを釣った私の勝ちだ!つまり、一勝一敗。これでイーブンだな。」
「まだあの時のこと、根に持っているのか?」
「無論だ!あ、でもさっき山登りで負けたから、1勝2敗か!だったらまた今度、釣りで勝負だ!またイーブンに戻してやるからな!いいな!」
「了解です、姫。」

オノゴロに戻ったら、次の休みには必ず釣りの練習をしておこう。
そう思ったアスランだった。

・・・続く