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2007年3月31日(土)
青空総会U

 一昨年も青空総会だった。去年はメンバーの都合がつかず、中止になった「児童館をつくりたい! 松戸市民ネットワーク」の総会。
今回「代表」を続けるかどうかは正直かなり悩んだ。もともと若輩者で今まで市内で各方面で活躍されている方方の中では役立たずの私なのにここ数年は家庭の事情で思うように時間がとれないこともある。けれどもそんなみなさんに「支えるから」と推していただいき、結局留任することになった。
ナンチャッテ代表は今年も続くのだ・・・
 心配していた天気もなんとか持ちこたえ、用意した食材も焚火を囲んでほぼ完食。新しいメンバーのYさんの今後には明るい希望の光がさしている。数年先を考えることは無理でも一歩先だけを考えて過ごしていくしかないのだろうナ。
明日もバーベキュー。しかも二日連続でアルコール抜きのバーベキュー(ノ_・。)
まぁ、明日は主催者ではないので粛々と役割を果たして参りましょう。

2007年3月30日(金)
辞校式

辞校式→買出し→病院→タロ友とカレー。

辞校式で思いがけなくイイトコドリさんにお目にかかれた。

松戸に越してきて、初めて常盤平の桜通りの桜を見た。
明日の桜は良さそうですナ。

病院に、義妹と姪2人がいた。やはり義母の顔が柔らかい。
農家の仕事も春には忙しくなるだろう。
年度末は企業も忙しい。
でもできるだけ足を運んでもらえれば、と思う。

夜8チャンネルにミヤガワ先生が出ていた。
ああ、この収録に行ったのか・・・と思った。
ミヤガワ先生の語りたいポイントとはずれてるな、と思いつつ
さまざまな事例を見ながら子どもたちが
「あー、S先生みたい」とか
「いるいるこういうヤツ」とか
ふだんいちいち口には出さない学校の様子がボロボロ聞けて面白かった。
キミ達も大変だのぅ・・・。

2007年3月29日(木)
誕生日&結婚記念日

父の誕生日で父と母の結婚記念日。40数年前の今日も神田明神には桜が咲いてたとか。
もし父と母が結婚していなければ私は生まれていなかった。それはそれでよかったかな、と30代からを振り返ると思ったりする。

おととい タロはとても活躍してくれて助かったのだけど
思えば彼は小さなときから病院と病人に縁がある。もしかしたら、と思って聞いた見たら2歳か3歳の頃、祖母の病院に連れて行ったときにやはり口からの出血をぬぐう祖母をびっくりメダマで見つめていた。それまでも祖母の家に遊びにいったり旅行したりしていたのに祖母の記憶はそこから始まっている、というからやはりよほど強烈な記憶だったのだろう。
3歳から4歳になるときに父が癌になった。余命3ヶ月を宣告され、旅行に行ったときに車椅子を押したり、伏せて寝ている父に氷枕を運んだり健気に働いてくれていたけれど
「おかあさんはじいじが一番大事なんだよね」
とつぶらな瞳をむけられて倒れそうに悲しかったけれどいつかすべてを理解するだろう、と
「きみが一番大事だよ」
と抱きしめることしかできなかった。父が亡くなったあと、4歳児が突然お風呂に入っているときに
「死にたくない、死にたくない」と怯えた。
「神さまが迎えに来たら死んでしまう。おまえのところには迎えにきた?」
「ううん」
「じゃあ、大丈夫だよ」
そんな会話を幾度しただろう。

小学校4年生の時に義父が脳出血で倒れた。倒れてから10日ほどで逝ってしまった義父。死の意味を充分理解している年頃で病院でもわがままをいわず、待合のベンチで一晩明かしても文句をいうことなく、場所を弁える子どもになっていた。最期まで励ましながら声をかけていた。

そんなタロだから今回の義母の吐血も不安で泣きたい気持ちはあったかもしれないけれど
適切に、期待以上に動けたのだと思う。

健気、というよりは不憫な気持ちさえする。
そんなことを考えていた。ヤツには迷惑をかけたくないな。

ここんとこ重たいことばかり考えているので
「あー、おかーさん胃が重たい」
とつぶやくと
「血ィ、吐くなよ」
あっさり返された。勉強ができるわけでもスポーツが秀でているわけではないけど
なかなかやるな、と思うのであった。まぁ、親ばかなんだけどさ。

明日は辞校式。花束をひとつ注文しました。

2007年3月28日(水)
今年の桜

 暖冬の締めくくりなのか暑いくらいの春の陽気。桜の花がいっきにほころんでいく。ポップコーンがはじけるときのようだ、なんてね。
今日の通院に使うはずの車椅子を返却し、そのまま病院へ荷物を届けに行く。今日は内視鏡の検査だけどたぶん午後に違いない。スリッパをヨーカドーで買って帰ろう。
義母は酸素マスクと鼻の出血チューブは外れていた。が検査前だし飲食禁止。スリッパを買いに出て戻るとベッドごといない!
うーん。看護師さんが「家族の方、ご案内します」
うう。解ってるんだけど昼までに帰ってやりたいんですが・・・。と思いつつ検査階へ。
異常がなければすぐ終わる、出血があったら処置が必要といわれたけれど思ったよりも早く検査が終わった。異常なしかと思った。
病室に戻ると昨日みてくださったT先生が説明に来てくれた。「ジワジワと出ているのではなく明らかに潰瘍から出血しているからリスクはありましたが組織検査をするために3箇所からとりました。結果は1週間後」
「悪いものの可能性があります」とも。義母は「ガン?」と聞き返す。「そうですね。」
先生が退室したあとうっすらと目に涙が浮かんでいる。そりゃ、そうだよね。
「もういいや。やんなっちゃったな」
捨て鉢になってるので
「ヘンなこと考えちゃだめだよ」
今年の桜は見れないかもしれないね。

これから先、どうなるのかはまだ解らない。
後ろ髪をひかれるような思いはあったけれどいったん帰ることにする。
タロとお昼を食べたあとリハビリに向かう。今日で終わりになるといいな。
完治することはなくても温かくなったし。が、来週も予約が入った。
短い距離なら普通に歩いているように見えると思う。筋トレしないとねぇ・・・。

夜、久し振りに1人の時間ができてボーっとしてたので妹に電話して久し振りに長電話しました。ホッとした。

言わないで済めば言わないで済ませたかったことを話す、というのは
あとすっきり、というものでもないな。

2007年3月27日(火)
救急車

 朝は食卓で食事を取れたけれど食が細い。午前中、タロがいるうちに明日の通院のための車椅子を借りて、買い物を済ませてしまおう。たまには刺身で鉄火丼風にと2パック買ったけどタロのお昼には間に合わなかったし、義母は昼はいらない、という。おなかがすかない、のだそう。トイレと食事以外は起き上がっていないから無理もないけれどだからといって積極的に歩くリハビリのようなことも危なくてシロウトにはできない。
 午後、少し気分がよくなったのか、明日主治医の先生に検診で会うのが楽しみな義母は「お風呂に入りる」という。久し振りにさっぱりして、疲れて2時間ほど眠っていただろうか。タロが部活から戻った5時前。トイレに起きた義母はここ数日そうしているように近くまで這って行く。立ち上がったところで動けなくなった。台所で食事の支度を始めていた私は切っていた刺身を置いて声をかける。
「気持ち悪い」
座り込むこともトイレまでの十数センチの段差にもう片足をあげることもできなくてその場に固まっていた。血の気が引いている。わきの下にウデを入れて支えるが私も支えきれる自信はない。そのうち崩れ落ちるようにしゃがみこみ、そのまま横にしてくれ、という。
「気持ち悪い・・」
退院する時に気持ち悪くても吐けない、と言っていたから空「げぇ」かと思ったら吐きたいという。小さな枕元用のゴミ箱がちょうど空になっていたのをタロが持ってきてくれた。吐いたものに驚いた。血の色だ。が不思議と血の匂いがしない。塊も2つくらいある。食べたものなのか? シロウトには判断できない。
これはダメだ。救急車だ。義母を抱える形で一緒にしゃがみこんでいる私は動けないからタロに電話をとってもらう。身体が熱い。タオルを絞って顔や首筋に当てる。口の中が気持ちわるい、というのでゆすげるようにコップに水を入れるのもみんなタロがいなければ動けなくて途方にくれていただろう。救急車を呼んだ。到着まで8分かかるという。何分かかっても来てもらわないことには、私とタロで病院に運ぶことはもはやできない。
 父のときに救急車がウチのエレベーターで迷ったから停止階と場所ははっきり伝えなければ。家の中に救急隊の人が入って吐いたものをみて「吐血」と言った。やはり、そうか。
 エレベーターは担架がのらないから布製の担架に乗せて運ぶことになった。私は同乗だ。タロは講習があるから指示して乗り込むが、ここで吐しゃ物は持ってきて欲しい、と病院の指示があってもう一度戻った。血圧120義母にしたら低い。かかりつけの病院に運んでもらうことが出来て携帯から電話したけれど仕事中なのかでられない。とりあえずメールを打った。
 吐いてから落ち着いたようではあって、処置を受けていた。救命救急室に呼ばれて輸血の同意書の説明をうけて署名する。救急車の中では「救急車に乗っちゃったよ〜って笑い話になるといいね」なんて冗談めかして義母の手を握っていたしタロの手前激しく動揺しても泣けないし病院から講習前のタロに電話して「ばぁばは大丈夫だから。冷蔵庫の刺身、食べていいよ」といったら声が明るくなったのを確認した。廊下に誰も患者がいなくなって初めて涙が溢れてきた。大声で泣くわけにはいかないけど。ものすごいストレスだった。
 夫が病院に到着して夕方5時からのいきさつを話しながら今度は救急で運び込まれた患者さんが大勢いたけど廊下でもう一度泣いた。この際、言いたかったことは言った。連絡を受けた義妹は「明日の夜来る」「救命救急は怖いからカンベンしてください」などとそれぞれメールがあったらしいが結局1人は病院にきた。顔を見たとたん義母は「もう、死んじゃう」と言う。やはり、逢いたかったのだ。そりゃそうだろう。それはヨメにはできないことだ。実子・孫の顔は見たいだろう。どちらか1人でも今夜こなければ許せない、と思っただろう。
 
キレイゴト、じゃ済まない。本気で親の命と向き合わないと、後悔するよ。
やさしい兄嫁と思われていたようだけれど私も普通のニンゲンです。追い詰められれば鬼になる(笑)入院しているうちはとりあえず手は尽くしてもらえる。問題は退院後だ。

タロが講習から帰る時間にギリギリ間に合った。電車に乗って初めておなかがすいた。もう9時半になる。タロの帰宅を待ってワインをがぶがぶ飲んだ。食事の支度なんてする気もしない。でも夕方流し台に出した肉は焼かなくちゃ。切り分けておいたブロッコリーもゆでなくちゃ。ああ、悲しき主婦の貧乏性・・・

少し酔った勢いでタロに「居てくれて助かったよ」「ありがとう」となんども言葉を変えて伝えた。ほんとにタロが居なかったら私は壊れていたかもしれない。救われた。

2007年3月26日(月)
貧血なのか・・・?

 義母の調子が悪い。貧血なのか低血糖なのかわからない。
1.2メートル歩くのにもフラついている。なのにバスケの応援にいけないと悲しそうに言う。
気持ちは解る。誘うほうが悪い。耐え切れず爆弾メールを出す。事態は進展するのか。

2007年3月25日(日)
雨の日は雨の中を・・・

 買い物に行ってお昼はお好み焼きにしました。キャベツにナメクジが。なんでこんなときに・・・。

2007年3月24日(土)
立ちカマド と チョコバナナ

 出掛けに夫からがっかりするような一言で気持ちが一気に重くなる。吹き飛ばすように春の森に向かう。

うす曇ではあったけどあまり寒くもなく 春の森で遊ぶことができた。手賀の丘公園でBS隊が作った立ちカマドの資材はおかさんちの裏の竹で、そのまま保管しておいていただいたたので組み立てる。足を地面に埋める式しかやったことがなかったから形としては出来上がったものの、
不安定なものになってしまったのが悔やまれる(ノ_・。) リベンジしたいゾ。
 チョコバナナは上手くいった。ほうっておけばいいのでラクチンだった。

 taromamaさんと会えたのは嬉しかった。タローズくんをつれてきてくれたじぃじに似ている。mattariさんに会えたのも随分久しぶり。ゆっくりできたようなので一緒に汁ものを食べることができて嬉しかった。

 ちょっと悩ましいこともあったけど早めに手を打って行きたい。
「自分の責任で自由にあそぶ」
この楽しさ、大切さを伝えていきたい。天野秀昭氏の言葉はいつも胸に生きている

「たかが子どもの遊びになんで大人がこんなに必死にならなきゃならないんだろう」

そう。でも必死に守らなければ、という思いは消えない。
次の世代に引き継げるまで・・・つなげていきたい。  

2007年3月23日(金)
終業式
2007年3月22日(木)
春期講習申し込み
2007年3月21日(水)
お彼岸de墓参
2007年3月20日(火)
篭り。

 今日も朝練・弁当。義母の朝食が終わってからガイドブックの宿題。
生協を受け取って昼は義母にはシャケのムニエル。私はこの前ののこりのヤキソバ。
 一休みしてからプリンを作って、義母は入浴。見届けてから横になる。
買い物に出るにもお金がないし気力も失せている。あるものでなんとかなるでしょう。

義母はあと1週間延泊希望を言い出した。
「いいかしら?」

「絶対、嫌です」

言ってみたい(苦笑)と思いつつ
「身体がしっかりしなくちゃしょうがないしね」
作り笑いでうなずく。夫も義妹もきっと「私がいいなら」というだろう。
優しいフリ、だな。どっちにしても私に選択肢はない、ということだ。

28日のリハビリはタロに部活があっても休んでもらって
バイト代払ってつきあってもらうことにした。
やっと少し気持ちが救われた。
親しき仲にも礼儀あり、だ。
「悪いけど、お願い」
タロにアタマを下げた。
まぁ、承諾しないなら木曜日の弁当は作らない、と脅したから、だけどね。

母のわがままに逆らえるオトコはいない。フフン♪

2007年3月19日(月)
学年末の保護者会
2007年3月18日(日)
GPミーティング
2007年3月17日(土)
えっ? なんで??

 朝8時ごろ起きて とーちゃんとタロの朝食が終わったころ、義母も起きて朝ごはんをお盆で運ぶ。あまり食欲がないみたいで大好きな白いゴハンも残している。キライなヨーグルトはイチゴをまぜても食べてないし。
煮物も一口程度。ううむ。弱ってるよなぁ。しかも何を思ったか突然
「帰る」
Σ(・ω・ノ)ノ!
機嫌もかなり悪そうで。がしかし、それは無理じゃないでしょうか。私は楽になりますが。
おきていられる時間が短いし、昨日はお風呂も誘ってみたけど入れなかったし1日横になっているのに今帰っても何もできないと思うんだけど・・・。
何か気に障ることでもあったんだろうか。私の鬱々とした気分がうつった??

 が、原因はすぐにわかった。仲良しのイトコのおばさん(私は彼女が苦手)に電話して、お彼岸のことを心配していることがわかったのだ。「エライところに嫁いでしまった」というドラマがあって、私は見てなかったけど結婚当初や出産当時にさまざまなしきたりにがんじがらめになっている暮らしにびっくりした。東京に近いのに土着の人々にはまだ古くからの慣習に基づいてくらしている。要するにお彼岸に行ったりきたりが習慣になっているため、留守の家に訪ねてきてしまうだろうお客さまを心配していたのだ。月に一度くらいのお友だちの来訪も気になっていたらしい。お彼岸には義母の兄の家にきょうだいが集まるから、そのときに男きょうだいに入院していたことを知られるのも嫌みたいだった。

私から義妹に電話して義母の実家の電話番号やお友だちの電話番号を調べてもらって電話しているうちに気持ちの引っかかりがとれてきたらしく「帰る」とは言わなくなった。機嫌もよくなってきたらしい。とりあえず午後はお風呂も入れたし昨日よりは少し元気、かな。着替えがないから買いに行って、と言われたときにはあせったけど(笑)とりあえずは私のもので済ませてもらった。第一お風呂あがりまでに間に合わないジャン。無茶いうんだよなぁ・・・。それでも食事は2食布団で、夕食だけダイニングで。
実家の雨戸の開閉がつらいからシャッターにしたい、とも言い出した。とーちゃんが
「かなり費用がかかるよ」
と却下していた。

私は1日パジャマのままで朝から仕事しておりました。身だしなみなんてほったらかし。家にいる仕事は家族の休日のときには向かないな。悪いとは思うがテレビっ子のとーちゃんには洋間に行ってもらう。が、タロは午後から部活だし昼食の支度もあるわけで。午後も引き続き悩み、唸りつつ、ようやく今月分はできあがった。さすがにぐったりでせっかく今日は1日起きていよう、と思ったけどまた眠ってしまった。冬季鬱っぽいよなぁ・・・。足も壊れたしアタマも壊れてきたしなんだかもう、嫌んなってきたゾ。 

 夕食後、15日の広報読んでいたらそれはそれで気持ち悪くなってきた。世の中ってそういうものだ。腐りそうになる自分をなんとか持ちこたえさせないと、私のために良くない。それはわかってるけどこのごろは・・・無力感・孤独感、とオトモダチで「透明な存在のボク」というフレーズがアタマの中にいつも、ある。あの当時はわからなかったけれど今はすごくよくわかる。

2007年3月16日(金)
遅々として。

 朝タロを送り出すときに雪がちらついていた。初雪だ。今年はもう降らないと思っていた。降ったからといってホッとしてはいけないとは思いつつ。
今日は甥っこの卒業式。体育館は寒そう。妹におめでとうメールを送って、温かくしてね、と加えたが都内はその時間降っていなかったかもしれない。

 義母のお粥を炊いて・・・。とりあえずパジャマのままで仕事にとりかかる。今回の入院が長かったせいか、ダイニングテーブルまでおきてくるのも億劫らしく、お盆にセットして枕元まで運ぶ。あーん、とかはしなくていいんだけどね。
お昼まで、がんばったけど思うように進まない。しかも苦しい。毎度のことで仕方ないけど毎月もうやめよう、とココロのどこかで思ってるような気がする。今日読んだ作品のなかで、ああ、世界中の子どもたちがこんなふうに育っていたら未来の世の中は絶対よくなる、と思えるものがあった。あれこれいじるよりも温かく愛情に包まれて育っている子どもはやはり幸せだ。

お昼もお粥がいい、というので今朝ののこりを温めなおす。煮物もつけて。大分食欲は戻ってきたみたいだけど起き上がっている時間が短い。いつもならお風呂入りたいとか、美容院に行きたいとかウチに帰る、とか言うんだけど基本的に横になっている。テレビをみたりラジオを聴いたりしているのか眠っているのか定かでないけれど。

 タロは今日で給食が最終日。短縮日課に入った。部活もない日だからそりゃもうイソイソとでかけていった。今日はしんちゃんち。ママからメールでお誘いをいただいたのだけど術後がいちばん再狭窄が起こりやすいので今日はやめておいた。花見のころには飲めるかな。
 タバコを買いに出るついでに本屋さんで「女性の品格」という本を探した。新聞の広告でみつけて衝動的に読みたくなった。アシーネでは品切れで駅前まで行こうかと思ったら流経大にマルゼンが入っていたことを思い出し店員さんに探してもらったらあったあった。
読みながら夕方ウトウトしてしまった。

 ダイコンとトリひき肉の煮物やオムレツ、メカジキの照り焼きにサラダ。パルスイートとか昆布茶とかつかってできるだけ薄味に仕上げる。タロはしんちゃんちで夕食まで一緒にご馳走になってくる、というので大人3人の夕食になった。とーちゃんと二人になったら今みたいに作らないかもなぁ(笑)惣菜買ってきてそのままはいよっ とか並べて居そう。
でも「女性の品格」としてはそれはないんだけどヒトは易きに流れるからなぁ。

 わが意を得たり、と思うところも多いけど、恥ずかしく思うこともあり、実は目を向けたくなかったあまりよくない私の内部の感情も見透かされているような気もしたり。とーちゃんは私は「下品というよりむしろ無品」という。ふん。別にとーちゃんのために上品なレディになろうとは今さら思わないけどずうずうしい中年のオバサンの年齢にさしかかってきたのでここらでちょっと立ち止まってみようかと思いました。実行できるかどうかは甚だ自信のないところ。でも卑しかったりいかにも品がないのはやっぱり私も嫌なので気をつけたいとは思う。
 「見た目やファッションにはあれこれ気を遣うのだから中身も少しでもよくみせるように努力しましょう。」
はい。そうするようにいたします(*..)

2007年3月15日(木)
予想外デース

 二週間以上滞在した病院を退院する義母を迎えに車で向かう。駐車場はイッパイだ。やっぱり寒くなると体調が悪くなる人も増えるし、もともと待ち時間の長い病院だからネ。今日は清算して荷物持って帰るだけだと思ったからクロシエも持ってこなかった。 銀行でお金を下ろして会計を済ませて、保険の申請用の書類も頼んで・・・義母のところにもどると
「キモチワルイ。げぇ・・」
( ̄▽ ̄lll) 
待合だし、吐いたりはしなかったんだけど超具合が悪そうだし、黒糖クロ飴を取り出して口に含んだ。う。マズイ。低血糖か(汗)
今退院の手続きしたばっかりだし、これから外来に並んだらいつ診てもらえるかわかんない。急いで窓口にいって今までいた階に連絡を取ってもらおうとおもったら電話中でつながらない。急いで上がってナースステーションに駆け込む。
「すみません今退院したんですが、急に具合が悪くなって・・・」
看護師さんは主治医の先生に連絡をとってくださって、すぐに1階の救急救命室に行くように取り計らってくれた。車椅子をもってきて一緒についてきてくれた。私は廊下で待つことしばし。もしかしたら再入院になるのかなぁ? とーちゃんに慌てて電話。
しばらくすると、F先生という私は見たことがない先生が診てくださって、脱水症状があったらしい。ここ数日おなかの具合が悪かったとか。そうなのか・・・。
このまま退院しても問題はないということだけれど、念のため点滴をしてもらうことに。なんとか退院できそうなので山盛りの荷物を隣の駐車場に運びに行ってとーちゃんにメール。少し横になれば楽になるかもしれないしねぇ。

 再び今の処置の会計を済ませ、車をいつも救急車が横付けされるところまで入れてもいい、と言われたので取りに行く。なんとか車にも乗れたけど久し振りの外の空気が冷たくて辛いらしい。毛布をかける。おなかがすくとまた具合悪くなるかも、と思ったけれど途中でお店に寄るよりも何はともあれ自宅に戻ろうと思い車を走らせる。

 ここでさらに問題発覚。駐車場からたぶんこの体調じゃあ、ウチまで歩けまい。父のときにダスキンレントオールで車椅子を借りたけどそれよりはやはり父のときに介護ベッドを借りたハンドベル・ケアのほうが確実だろうと思いつき、寄ってみる。
新しくて軽くてきれいで小ぶりな車椅子をとりあえず夕方まで500円で借りることができた(´▽`) ホッ
車を降りて車椅子に座るとやはり外の風が冷たくて「寒い」というのでアタマから毛布をかぶったままウチまで上がる。傍目には怪しい風景だよなぁ・・。目撃証言とかされちゃいそうなアヤシさだよ(笑)なんとか着いたら悲しくなっちゃったらしく寒くて垂れたハナをかみながら義母はすこしベソかいてたみたい(ノ_-;)ハア…情けないと義母はつぶやくが、私も泣きたい。

 とにもかくにもお粥を炊いて食べられるだけ食べて薬を飲んで寝てもらった。出かける前に義母のお布団敷いていってよかったよ。(T_T)
義母が落ち着いたので私もおそばを温めて食べる。荷物を運んでから車椅子の返却に行く。ありがとう>ハンドベル・ケア。迅速に対応してもらうときには民間に限る、と改めて確信するのだった。

 今夜の食事もどうしよう。うーん。悩みながら買い物して帰宅。仕事すすめなきゃ、とおもいながらも疲れちゃって私も眠った。
 悩ましいのは二週間後の検診が私のリハビリの日と重なってることだ。年度末だからとーちゃんも義妹も忙しくて時間がとれないという。もう1人の義妹はちょうど仕事が休みだと思ったら娘のバスケットの全国大会なんだってさ。卒業とも重なって毎日忙しいらしい{
。今回も病院に来れなかった。「忙しいからダメ。」といえる立場の人々が眩しく恨めしい。「リハビリ」だからダメ。は却下なんだろうなぁ・・一度義母の病院送ってもどってリハビリして迎えに行けば、ととーちゃんは言うけど・・・あまり自信がない。

 仕事は大事だ。OL生活も7年半やってたしそれは理解してる。娘が全国大会に出るという経験だってそうはないことだ、ということも縁がないから想像もつかないけどなんとなくはわかるような気もする。本音のところはたぶん、親よりは子どもだよね。それは実によくわかる。
 じゃあどうやって解決するかといえば、私も外でお勤めの仕事すればいい。お金で解決の道だってアリ、だ。介護認定をしてもらえば、サービスが受けられるはず。現に病院でもそういうサービスの人に送迎してもらってつきそってもらってる人たちをしばしば目撃してる。そうすれば私も堂々と「仕事で忙しいからダメ」と言える。夏の入院のときからなんとなく考えてたことだけど・・・。真剣に考える時期、かな。

 とーちゃんは久し振りに真っすぐウチに帰ってきておみやげにケーキを買ってきた。義母の退院祝いだそうで。ホワイトデーの失敗ブラウニーのお返しでもあるらしい。いろいろと意味合いをコミコミで、わざわざ遠回りして買ってきたんだって。とーちゃんも疲れているのはわかってる。ありがとう。気持ちはうれしい。でもきっといつか・・・いいことがあると あたしゃ信じたい。

予想外の1日でぐったり。明日は天気も悪いらしいし、絶対、仕事するぞ
(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!
ていうか、締め切りが迫ってマス(汗)とりあえず、目の前の仕事はやらんと。

2007年3月14日(水)
リハビリと仕事
 義母の退院は明日になった。今後は2週間に1度の通院になるんだそう。きついな・・・と思うけどお医者さまにいわれたとおりにやるしかないもんね。今日のうちに仕事は進めたいところ。午後はリハビリ。今日は残り少なくなってしまった湿布ももらわないと。いつもなら自転車でいくんだけど風が強いしお米も買いたかったから車で行った。

 実はおとといくらいから足が痛む。歩くときにそれほど身体が揺れている自覚はない。たぶん、歩けているとは思う。でも夕べはパジャマのズボンがはけなくてとーちゃんに足先を入れてもらった。小さな子が履かせてもらうように・・・。(お風呂上りのパンツはがんばって1人ではいたよっ)。動かしてもらうと、動き自体は悪くないといわれたけど痛いんだよねぇ・・・。浅いステップを悪い方の足で踏んで立つ、というごくごくカンタンな動きができない。いかに今までヘンな動きで立ったり歩いたりしていたかっていうことなんだよね。そんなカンタンなことなのに、数回しかやらないのに息があがったりするのが情けない(ノ_・。)
もともと運動は得意じゃないけどさぁ・・・。いくらなんでもこの年で・・・。
 でも怠けているとどんどん動かなくなっちゃうし動かせなくなってしまうのはもっと情けなくて嫌だからガンバロウって思う。担当のA野さんにはいつも感謝感謝です。
 来週は春分の日でお休み。仕事の合間にできるだけ動かそうっと。

 今日はホワイトデー。タロがお返しは何がいい? というのでワインがいいなーというと
「子どもが買っても怪しまれないものにしてください」
ともっともな答えが。こりゃ失礼♪ んじゃ・・でん六のミックスナッツでもいいよ〜♪というと
「甘いものがいいんだよ。ホワイトデーだから」
ともっともな答えU。
「じゃ、ナッツ入りのチョコレートにして」
というところで落着。実家の母はどうしよう、というのでかなり肥満体だから
「こんにゃくゼリーがいいんじゃ?」
と答えたけどさすがにもう相手にしてくれなかった(ノ_・。)
2007年3月13日(火)
むっちゃんとDATE〜♪
先月キャンセルになったむっちゃん・ヒロミちゃんとの1年ぶりランチ。二人とも働いているから日程の調整が難しいのだ。在宅で仕事している私がなんとか譲歩しないといつまで経っても会えない。むっちゃんとヒロミちゃんは中学時代からのつきあいで、まぁ、小学校時代も顔は知ってた。かれこれ30年以上のお付き合いです。友だち、というよりはイトコ同士みたいなかんじさえする。ヒロミちゃんが今回もドタキャンになり、子どもや親に手がかかる私たちの年代はありがちだしお互い様でもある。むっちゃんにどうする? ってメール送ったら
「いつになるかわかんないから、行く!」
と返事があって、デートになったのダ。私としてはウレシイ。

 ルンビニでランチバイキングでおなかいっぱいにしてからマリーゴールドさんでハーブティーを買って(むっちゃんはコーヒーが苦手なの)からウチでお茶♪
 ドーナツをいっぱい買ってきてくれたんだけどタロが半分以上食べちゃった。タロは卒業式のあと部活だったのでうまく私たちと時間が合わずヤツは一人ゴハンだったの。ゴメン。でもドーナツがあったからいいよねっ?
 子どものこと、親のこと、仕事のこと、昔のこと、あちこちガタがきた身体のこと・・・話はつきないんだよね。年相応の悩みもあるし。

 今日は早めに帰って下の子とイチゴジャムを作る、というんだけど去年会った頃から今までつくった最新ビーズの数々も披露。去年二人からオーダーもらったのが初オーダーだったのだけど今年もむっちゃんのママ用のネックレスのオーダーをいただきました。むっちゃんのママともむっちゃんと同じだけつきあっているし、時間的にも余裕があるから色や素材選びからじっくり考えて楽しみながら気持ちを込めて作りたい。

 楽しい時間はアッというまに過ぎてしまう。しーんとした我が家にもどったらハーブティの効き目かやたら眠くなって、タロが帰るまで眠ってしまいました。(いつものことか?)
義母もそろそろ退院だと思うけど仕事しなくちゃっ。楽しいことを先にやっちゃったんだからネ。p(*^-^*)q がんばっ♪>アタシ
2007年3月12日(月)
nyanko先生講座→病院
 毎回楽しみなnyanko先生講座だけど、今日は生憎義母のカテーテル治療と重なってしまい、午前中だけの参加になりました。ワガママいって前日夜に無理やり参加させていただいて恐縮。いつものお教室と違うメンバーなので一番デキの悪い生徒の私は冷や汗ものなんだけど、参加するといつも楽しい(*^^)v
 いったん帰宅してステッキもって病院へ。いつもと同じように順調に遅れていたけどなれたもので義母もこっちも余裕で待機。とーちゃんも到着。あと2時間くらい後になるかも、というのでとーちゃんが着替えに帰宅していたら呼ばれた。ありゃま。
 待ち時間には仕込んできたクロシェをアミアミ(詳しくはブログ参照)
 いつもより時間がかかっているから心配もしたけど、K田先生から画像つきの説明も受けた。私はここで帰ることに。駅前のツルカメですぐ食べられるもの・・・タロのごほうびにもなるウナギを買って帰宅。まもなくとーちゃんも帰ってきて、私のトロくささがいやんなっちゃう。久し振りに慌しい1日でした。  
2007年3月11日(日)
雨の遊びのフリマ
 やっぱり朝から本降りの雨でこれじゃ あそぼうパンとかマシュマロ焼きはできないな、と思いつつ9時集合、と聞いていたのでがんばってでかけていきました。今回は迷子にならなかったゾ<( ̄− ̄)vエッヘンでもたぶん、駐車場は次回もわかんないだろうなぁ・・

 入り口で開催側のオジサンにホースで水ひっかけられたりする失礼があってムッとした。ケンカ売ってるのか?ヲィ、思いつつ荷物を搬入、2階のホールで木工と皿回しが今日の出し物になりました。子どもたちが来る前に独楽のコーナーで練習した。皿回しよりヘタクソな独楽まわし、もう少し上手くなりたい。皿回しの皿は100均でおかさんが見つけたもので、我が家にも2.3枚あるんだけど今は品切れが続いてます。見かけたら買い足したい。
 これは結構オトナもハマってしまう。如何せん落とすのでプラスチックのはじっこが欠けていく。でもコツをつかんでできるようになると子どもはもちろん、大人も嬉しそうないい顔になる。
 本来なら2時までだったけど会場の都合で12時までになってお弁当をいただいて解散。帰りに市場から移転したシモジマで念願のイーゼルをゲット。コルクボードの見切り品が200円だったのでそれもゲット。いいお買い物したわぁ。別に絵を描こう、というのではなくお知らせ用に使うつもり。たぶん、子どもまつりのときにも持っていく。老後は絵を描いて暮そうかな?
 帰宅してからお風呂に入ってスッキリキレイになってからしばらく眠ってしまった。インフルエンザから復帰したしんちゃんやタロの友だちが来ていて賑やかだったけど全然関係なくぐっすり。とーちゃんはボランティアのクリーン作戦にでかけ、そのあと飲み会。連日、ごくろうさんでやんす。
 タロとオガチョのガットの張替えが6時にできあがってる、らしいので車でとりに行った。そのままタロと久し振りにサイゼへ。行く度に会計金額が増えていくのはやっぱり食べ盛りだからだよなぁ。サイフがイタイ。やっぱオウチで食べさせるのが一番だっ!

 明日は午前中、楽しみなnyanko先生講座に行けそうデス。
2007年3月10日(土)
仕事
 青少年会館のイベントは気になりつつもやはり今日仕事をしておかないと先々危ないので時間をみつけてはペンを走らせる。すぐに詰まっちゃうので掃除機かけたり洗い物してみたり・・・。頭を使わない家事をしながら考えているんだけど、家事って頭使わないとダメなんだよね。だから私は家事に向かない(何に向いているんだ?)
 タロは部活が終わって午後ヒマだからガットを張替えにいく、という。友だち同士で自転車で。友だちと一緒にいるのが楽しい時期なんだな。インフルエンザの友だちの復活が待たれるけど、来週の卒業式のあと、試験じゃなかったっけか? まったく極楽蜻蛉ばっかり。
 とーちゃんはおやじの会の飲み会で夕方から出かけていった。明日は柏に遊びのフリマにいく。早めに寝ようと思ったんだけど電話につかまって(苦笑)お風呂に入りそびれた。天気が悪そうだから私の出番もあまりないんだけどねー。とりあえず行ってきます。
2007年3月9日(金)
定例会
「児童館をつくりたい! 松戸市民ネットワーク」の定例会。朝念のため掲示板で確認するまでゆうまつどだと思ってた。確認しといてよかった。駅の階段がやっぱりネックなのでステッキは持ってでたけど知り合いに見つかるのはヤなんだよなぁ・・。
 会報ができていたので折込作業と総会の相談、来年度のことなど。ここんとこ人数は増えている。なかなか当事者年齢の会員は増えない。私もだんだん当事者ではなくなってくる。次世代のママにバトンタッチしたいなぁとは思うけどこのままで渡されても困るだろうな・・・。
 定例会が終わってK賀さんが市役所まで送ってくれる、というので議会の昼休みの時間帯に届ける方には届けてT氏にもご挨拶。急な訪問だったのでご迷惑かもしれなかったけど、わざわざアポとるような用件でもないしね(苦笑)テント小屋とJF課にもご挨拶して届けてきた。そこでA井さんと別れて病院に立ち寄る。
 寝ているのかと思ったら横になっているだけだったようで今日は小一時間いた。おなかもすいちゃったので、遅めのお昼を1人ランチしてから電車に乗る。
 そのまま勢いで青少年会館に寄って、taromamaさんに描いてもらった素敵なポスターを貼らせてもらい、会報を届けた。明日芸術祭、ということで準備に忙しそうだった。明日かぁ・・・。
 入り口でタロの部活の子が数人来ているのを見た。市内の大会で優勝するようなメンバーで、練習に来ていたんだろうと思う。
 こぱてぃのTくんにもひさしぶりにバッタリ。思い切って銀粘土のアクセサリーを依頼してみました。相談しながらになるのでまだ出来上がりはずっと先だけど、楽しみが一つ増えて嬉しい。
 2年前はソーランを踊れたのに今はソーラン隊自体もエントリーしていないし、仮にエントリーしていてもこの足じゃ踊れない。月日は確実に流れているってことなのネ。 
2007年3月8日(木)
リハビリ

 週末都内でいっぱい歩いたし、低気圧が通過する頃に痛んだし、やっぱり来週まで空けてしまう勇気がなかったからリハビリへ。2週間あいても動きは悪くなっていないですよ、と言われてちょっとほっとする。腹筋は相変わらず足らないけど(笑)

 帰りに生協まで自転車を走らせた。うん。今日はいいみたいね。
少し休んでから仕事。最初の一つがなかなか進まない。当然次も進まない。締め切りまでに幾つか予定もはいってしまってるし、のたのたしている場合じゃないんだけどなぁ・・・。
タロが小学生の頃はリアルタイムで小学生のその学年の感じ、を読み取ることができたけど成長したので少し遠くなっていることもあるのかも。厳しすぎるかな、と思ったり甘すぎるかな、と思ったり。ちゃんと次につながるように種をまいてあげられているかどうか・・・自問自答しつつ進めるしかないよ。明日は定例会。ちょっと気が重い。ときどき気弱になるんだよね(笑)一主婦ですから・・・。

2007年3月7日(水)
今日の用事

 ゆうべからゆーたくんも発熱。もしかしたらインフルエンザ!? 
タロの通信教育を出しに郵便局と督促状が届いた税金を払いに銀行へ。今日の用事はそれだけ。本当はリハビリなんだけど、今日も2時半までに終了しなくちゃならない、というので慌しいから明日にしてもらう。
今月の添削が早めに届いた。締め切りも早めなのは祭日があるからだろうなぁ。今月も苦悩の日々!? が始まります。しばらくはビーズもおあづけ。病院用のビーズを通して準備はしたけれど、なかなか気に入らない。うまくイメージを作れないんだよなぁ。一度気に入らないと前に編んだのも解きたい衝動にかられる。まぁ、解いてもいいんだけど、現状より良くなる、という確信ももてないわけで。

ゆうべはピアスを作っていてうれしくなって失敗やらかした。ちょっと考えればわかっていることなのに迂闊なヤツだよ>アタシ。しでかしたことはいつまでクヨクヨしても仕方ないんだけどねぇ。頭の中身を仕事モードに切り替えなくちゃ。ひきずっていくわけにもいかないし、ね。
 ゆーたくんはやっぱりインフルエンザだったとメールが届いた。処方されるタミフルはやっぱりおっかなびっくりになるよねぇ・・・。もう親よりも大きいし、力もあるし、かなわないもんなぁ。やっぱり拘束して柱にでもくくりつけとくしかないか、と思うけど集合住宅は柱も心元ない。無事快復を祈ってるけれど、タロは何故かからないんだ? 免疫があるのかそれとも・・・。 

2007年3月6日(火)
病院

 容態が落ち着いたらしく検査ができることになって10時から、というので9時半過ぎに病院到着。稀に繰り上げ!? で早くなることもあるけど数時間待ちもいつものこと、と腹をくくっていたので始まりが11時半になっても、もう驚かない、というか「早いじゃん」と余裕。
検査の結果は詳しいことはとーちゃんが会社帰りに聞くことになっている。先生が手短に説明してくれたけど、やっぱり今回も施術が必要のようで。
来週月曜日になったらしい。時間はまだ未定。

 おかげで今日もクロシェ2本、編み終わった。また通しておこう(苦笑)でもそろそろ仕事も届くなぁ・・・。帰宅して前にnyanko先生に習った編み方でピアスを作る。別素材で似たようなのを持っているんだけど編んで作ったのは普段使いにちょうどいいかも。春らしくて、ちょっと年齢的に可愛いすぎる気もするが気にしない(^-^;A

 一方タロはエライことになっていて、今日はお弁当だったらしい。私は聴いていなかったしもちろん持たせていなくて先生にご迷惑かけてしまった。とーちゃんは持っていったのにぃ。3年生を送る会のあと、部活だろう、と思っていたらインフルエンザが猛威をふるっていて早帰りになったらしいのに鍵をもっていってなかったので締め出しを食らったタロ。踏んだり蹴ったり!? 自業自得、ともいえるんだけどねぇ。今日はゆーたくんが頭痛、らしい。インフルエンザ!? 

 なんとか気力で寄せ付けないようにしなくちゃなぁ・・・。

2007年3月5日(月)
春の嵐

 嵐、という風情のある呼び方がふさわしくない凶暴な風が1日吹き荒れていました。昨日テレ朝で日本人は自然の音を左脳で聞く、という番組をやっていてせせらぎや葉ずれの音や風鈴で癒されるらしい。が、さすがに今日の風はどっちかっていうとクマのプーさんの物語を思い出す。オウルの家が吹き飛ばされたり、イーヨーのしっぽが外れちゃったり、ピグレットが飛んで行っちゃったりするやつ、ね。

先々のことを考えてやっといたほうがいい手仕事もあるんですが畳に座ってする作業をするには低気圧のおかげか足が痛いし、リングにとりかかるには気が乗らないし、結局気になっているほうに手が伸びる。先日編み上げたビーズの仕上げをしていました。2つは仕上がったけれど1つは結局長さが足らないのと、習ったのとほぼ同じ色を使っているので仕上げてもオリジナルにはならないし、おもいきって解いてしまいました。ビーズを選ぶのは難しい。形、素材、色、数、いろんな要素がある。うまくいくとうれしいけど、たいていはとっても悩むし、足らない! 合わない! といってはビーズを買い足して在庫が増えていく。そのうち、何のために買ったビーズか忘れちゃうし、使ったあとの余ったビーズをどうする、までにはとても頭がまわらない(笑)それでも明日のためにレース糸にビーズを通す。

御礼のストラップも作って送った。納品して以来、久し振りにたっぷりビーズな日々を過ごしています。没頭している時間が長いわりにはスッキリしない。私の中に溜まっているものはなんだろう。

イマイチ正体がつかめない。

もしかしたら今回も行こう、と思ってる議会に行くぞ、とがんばっていけてない自分にイライラしているかも(苦笑)誰も責めたりはしないのにね。
今日みたいな日には特に痛む足に不安と苛立ちが募るからなのかな。ここ数年、年明けから桜が散る頃までたいてい落ち込んでるような気がする。

 とーちゃんが帰宅するころに雨がひどかったようでカバンもスーツもビッショリ。
そのころしんちゃんママから電話があって、さっきまでタロも一緒に遊んでいたし、電話では元気そうな声を聞いたばかりだったのに夜になって発熱したらしい。小学校も中学校もインフルエンザや嘔吐の風邪が流行っている。インフルエンザならすぐに症状がでてしまうだろうけど明日は義母の病院なのでちょっと困るなぁ。ここはなんとか持ちこたえよう。
 

2007年3月4日(日)
ビーズ友だち

 いっぱい歩いて疲れたからぐっすり眠れてすっきり起きられるだろう、と思っていたら寝すぎてしまった(^-^;A
H.Wさんから電話を貰ったときには惰眠を貪っていたときで、声が出るようになってからかけてみたらビーズのことで、ということで急遽午後ウチに来ることになった。私が彼女にビーズのことで教えることは何もないんだけど、忘れちゃった記憶の呼び戻しには役にたつかも!? 
とーちゃんが管理組合の理事会にでていて、タロは友だちんちに遊びにいってしまったからゆっくりまったり。おいしいシュークリームをいただいてしまって恐縮。私的には楽しかったです(〃_ 〃)ゞ
 
 話は戻って、午前中T氏の事務所にとーちゃんと訪れた。気になっていた打ち合わせもできて一安心。

 とーちゃんが戻ってきてから車で病院へ。ちょうど夕食時だった。とりあえず容態も落ち着いているようで、もうすぐ半年に一度の検査もできそうらしい。ヨーカドーでヤキトリを買って帰宅。久し振りだなぁ。でも、やっぱり炭火で焼いたのがいちばんおいしいナ。そろそろキャンプの季節〜♪ 5w1h で決めていかないとね(*^▽^*)

2007年3月3日(土)
浅草橋

 銀座のクリニックに薬を取りに行き、いつもなら地下道を歩くのだけど天気もいいし温かいから東銀座まで歩きました。歌舞伎座の前から地下鉄に乗って浅草橋へ。今歌舞伎座では「義経千本桜」を上演してました。中学の頃、帝劇だったかどこだかで学校の行事として観た演目で、懐かしかった。今はそういうのはないのかしら。少なくとも松戸では聞いたことがないな。浦和だったからあったのかな? 

 先日の一坪ショップで教わったマービーというお店に行ってみた。プラスチックの輪と紐が欲しかったの。いつ、どこで、の予定はないけどドリームキャッチャーを子どもたちに教えられるようになりたいし。初めて浅草橋を渡って歩いていったけれど、どちらかというと馬喰町だなぁ。馬喰横山は若い頃父と何回か来た。問屋さんで服を買ってもらうために。流行の服でなくて(当時はハマトラ、ときニュートラ、とか流行ってたのよね。埼玉の田舎っ子だったから、そんなの全く知らなかったのさ)なんとなくみんなと違ってて。でも私が気に入って父がよければそれで決まり、みたいな(笑)

 プラスチックの輪をゲットしてからビーズショップへ。さすがに線路を挟んで真反対な貴和さんの本店までは歩けないのでパーツクラブと支店2件。予定よりも1時間オーバーで帰宅。とーちゃんと車を乗換えて、とーちゃんは病院へ、私は自宅へ。自転車に乗換えてスーパーでお買い物〜♪今日も公魚にチャレンジしたけど汁物はあまり好評ではなかった(ノ_・。) 
 アジアンノットの先生にビーズを編んでお礼状を書かなきゃ♪

2007年3月2日(金)
今週の成果!? 

 久し振りに1日お仕事、でした。ランチはエッグスカントリー。日替わりランチ、ボリュームもあって、リーズナブル。

 今週はビーズと戯れる時間がたくさんとれました。一番上のはリボンでリングを止めたらキュートになりました。水色のはただいま編み進んでおります。
 ピンクのは昨日習ったドイツクロシェ。あとはどうやってネックレスに仕上げるか。パーツとビーズが少し必要かな。
 一番下のはnyanko先生に教わったとおりの色目でネックレスを作りたく頑張ったけど、少し短かったのでこれも仕上げにちょっと工夫が必要です。
 
 無心に針や編み棒を動かしていると余計なことを考えないですむ。その時間がとても好き。目の前の網目のことだけ考えてる(笑)そのぶん、身体は動いていないわけで
、リハビリも今週はお休みだったからもう少し身体を動かすことしなくちゃなぁ、と思ったのでした。
 
 明日は都内にでるつもりです。

2007年3月1日(木)
ドイツクロシエ

 楽しみにしていたクロシェpartU。この前のはお教室の時間内に一ミリも編めなかった。今日は大丈夫(*゚▽゚*)おまけにサクサク進むので既に編みあがっていますが、仕上げのパーツとかどんな風にまとめるかを思案中です。

 スーパーでお買い物して帰宅。一の市はきっと混むので近所のほうに。こちらもスーパーセールで魚の切り身やお肉が安く買えた。

 お昼を済ませてからとーちゃんにメールを送ったら、やっぱり具合が悪いらしく今日は病院に寄れないから行ってくれないか? と打診があった。今から行けばタロの帰宅までには間に合うだろう、とサッと支度して病院に向かった。今日は検査の予定だけれどまだ準備ができなくて始まっていなかった。結局検査の終わりを待って急いで帰宅。タロの下校にはギリギリ_(゚ー^*)_セーフ!

 お米もといでないし何もしていないから慌ててご飯の支度。買い物しておいてよかったぁ。とーちゃんは少し熱がでていてお疲れ気味のようです。

もう3月なのねぇ。

家事やるdiary2007