TOP > 宮下保存会とは
宮下保存会とは U
会長挨拶 U 楽曲紹介 U 楽器紹介
宮下保存会とは
「湯河原ばやし 宮下保存会」は
郷土芸能である「湯河原ばやし」の
継承を目的に1979年
初代会長 故 梅原杉雄氏はじめ地元有志により設立されました。
以来、湯河原町の祭事を中心に
お囃子の演奏を
行っています。
演奏曲は全九曲で
篠笛・大太鼓・小太鼓・鉦(かね)を
用いて演奏します。
奏法など当時のまま大切に
保存されています。
元来、祭典においてのお囃子は神社の矢倉などで演奏されるものでしたが後に山車(別名:花車)に乗り込んで街を練り歩くものとなりました。
現在、湯河原町のお囃子団体は山車の曳き手不足や近代の交通事情などから行政・警察の許可をとり中型トラックを飾り付け、山車に見立てて町内を巡回します。
当会は檜を全面的に使用した山車を使用しています。
夜間には提灯に橙色の明かりが灯り幻想的な山車が町内を走ります。
観光客の方はじめ初見の方は
木のハコがお囃子を奏でて道路を静かに
移動していくため非常に驚かれます。
会長挨拶
平素より私ども、「湯河原ばやし 宮下保存会」をお引き立て頂き
厚くお礼申し上げます。
今年、当会は創立から32年目を迎えることができました。
これも地域住民様はじめといたします、皆様のご協力が
在ってのものと存じます。
これからも湯河原に古くから伝わる「湯河原ばやし」を
後世に末永く伝えていく所存です。
今後ともより一層のご理解、ご支援を賜りますよう
宜しくお願い申し上げます。
楽曲紹介
「湯河原ばやし」は古くから湯河原温泉の祭事を中心に演奏され、
縁日の雰囲気をより一層、情緒溢れるものにします。
「湯河原ばやし」の起源は1700年代までさかのぼり、
江戸時代中期に江戸で演奏されていた「江戸囃子」というお囃子が源流
ではないかといわれています。
江戸囃子の奏者が湯治を目的に箱根温泉を訪れた際
小田原の歌舞伎小屋に立ち寄りお囃子が伝承されました。
これが「小田原囃子」となり神奈川西部に広く伝わることとなります。
その後、湯河原にも「湯河原ばやし」として地域に定着し、
神社や山車にて演奏されるようになりました。
「小田原囃子」の笛の一部は「湯河原ばやし」とほぼ同じ旋律があるため
今でも遠くの場所から伝承されたことを感じることができます。
「湯河原ばやし」は曲数が九曲で奏法は篠笛・大太鼓・小太鼓・鉦(かね)を
用いて演奏します。
曲名がそれぞれあり早(はや)・屋台(やたい)・昇天(しょうてん)・神田丸(かんだまる)・鎌倉(かまくら)・四丁目(しっちょうめ)・徳利崩(とっくりくずし)・通神楽(とおりかぐら)・数ヱ唄(かぞえうた)といいます。
基本的にこの順番で30分ほどかけて演奏されます。
各々曲調や速さ、始まり方・終わり方が異なり、
曲の最中に変調したりするものもあります。
特に早(はや)は大太鼓と小太鼓だけで演奏するのですが曲名通り演奏速度が
かなり速いので熟練したものでないと演奏はできません。
楽器紹介
ここでは「湯河原ばやし」を演奏するにあたって用いる楽器とパートの説明をします。
- 篠笛 -
お囃子の主旋律を奏でます。別名「横笛」
息の吹き方にコツがいるため音を出すのが難しいです。
笛の種類は七つ穴・四本拍子を使います。
笛には先代から厳しい戒律があり(吹き出したら曲が全部終わるまで
一切休まず30分間吹き続けなければならない・師匠より高い笛の所持は
禁止など)、曲の始めや終わりを間違いなく吹き続けなければなりません。
始めて数年は酸欠になるので一人前になるには非常に時間がかかります。
- 大太鼓 -
大太鼓は「おおだいこ」と読み、別名「おおど」とも呼びます。
一番大きな音を出すためかなり体力を消費するパートです。
大太鼓の速さでお囃子の速度が決まるため
センスと技量(特に手首のスナップと足の使い方)が必要とされます。
太鼓を叩くバチも大きく、手の平にはマメが出来てしまいますが
数年叩き込むことによってマメが出来ない手になります。
- 小太鼓 -
演奏者が6人で演奏する一番オーソドックスな太鼓です。
主に副旋律を奏でます。
当会に入会すると一番最初に修行する楽器です。
小鉢と大鉢が存在し、腕を大きく上げたり小さく上げたり6人全員で
合わせるとなると難しいです。かけ声もあります。
全ての曲をしっかりと叩けるようになると「早」という難曲に挑戦します。
- 鉦 -
鉦と書いて かね と呼びます。
主に不協和音を奏でます。
鉦は奏方が独特のため主に年長者が扱います。
曲が速いと難易度が上がり手首をうまく使いながら演奏します。
>>TOPページに戻る
Copyright (c) 2011 Miyashita Hozonkai