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参考 写真は会津若松駅で出発を待つ会津鉄道マウントエクスプレス8500系(現在は、AT750形やAT700形らに置き換わっている) 会津鉄道は運転系統からすれば、会津田島駅の南北で分かれる。 会津田島の北側は非電化区間、JR只見線の会津若松〜西若松間にも乗り入れ、会津若松から郡山に出て、 新幹線に乗る表ルートにも貢献している。南側は東武鉄道の浅草まで直通運転する快速列車が走る。 この会津鉄道はかつては国鉄会津線として会津若松〜会津高原間を運行していたが、 JRが会津線を転換する意向と野岩鉄道との存続も考慮に入れ、福島県が筆頭株主となる第3セクター会社を設立、現在に至る。 野岩鉄道との接続駅である「会津高原尾瀬口」駅は、2006年3月に「会津高原」駅より改名。 快速のマウントエクスプレスは、種別は快速なので、特別な料金も要れず、乗車券のみで利用できます。 下左の写真は、鬼怒川温泉駅に到着したAT750形AIZUマウントエクスプレス号。下真ん中は、AT500形ふるさと列車号(当時)。 下右は、会津鉄道で唯一の電車である6050系200番台車両(新藤原駅にてホーム停留時撮影)。この車両は、東武鉄道・野岩鉄道と3社で共通運用されていて、 東武浅草駅などでも姿を見る事がある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ひとり言 この撮影の時にちょうど、宮城県を中心に揺れた震度5強の地震があった。 筆者は走行中の列車の中だったので、実感はない。この写真の横に止まっている特急「アクセスあいづ」に乗っていました。 ちなみに、郡山方面に引き返していたら、この日中には東京には帰れませんでした。なぜなら、新幹線が不通になった為。 このマウントエクスプレスに乗って、4時間ほどかかりましたが、東武経由で無事着きました。 帰りの運賃がこちらのルートの方が安かった。下手に新幹線の往復切符など買わなくて良かったです。 表題写真のマウントエクスプレスですが、元名鉄の北アルプス号として、名鉄名古屋から高山まで直通運転していた車両でした。 名鉄とJR(国鉄)との直通運転が廃止され、第2の人生をこの会津鉄道で送っていた。ウィキュペディアによると、 元来、特急車両として設計されていた事で、多く発進や停車を繰り返す運用により、エンジンに負担がかかっており、老朽化が進んでいた。 この事が要因で、AT750形らに2010年5月に置き換えられている。 元特急車両という事で、私的には、豪華な装備だったという印象があり、残念だった。御苦労様でした。 那珂川清流鉄道保存会で保存されているという。ちなみに、私が乗った当時の マウントエクスプレスは、会津田島までの運行でしたが、現在は、東武鬼怒川線を直通し、下今市で方向を変え、日光に至るという列車となった。 便利ですね。 3社共通運用している6050系については、野岩鉄道の方で。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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