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群馬から小諸 その2

2011.11.05 

撮影時刻は、午前6時8分。
目覚めた時刻では、窓から見えた景色はもっと真っ白でした。
町を散歩して朝もや画像を撮るには最大のチャンスなれど、せっかく早起きできたにも拘らず、私の意に反して私の身体はベッドの中にUターン。
疲れが抜けきっていないんでしょうかねー。
ま、たまには、そんな時もあるさ。

この日の予定は、松本に立ち寄り、後は帰阪するだけ。
朝食を終えて車に乗り込むと、ナビのセットも完了!
その前に、100メートルばかり、少し寄り道。
小諸城の大手門を見に行きました。
前回の小諸訪問時に続いて、今回も懐古園は訪れておりましたが、懐古園は小諸城のごく一部でしかなく、本来の小諸城の敷地はもっと広かったんです。

仙石秀久が築城した当時から残る大手門は、懐古園からは、我々の泊まっているホテルと、県道と鉄道を隔てた北側の「大手」という町内にありました。
車から降りて写真を撮りに行くと、思ったほどには大きくありませんでしたが、しかし、堂々とした風格。
「質実剛健」という言葉が、そのまんまの形に現れたような印象を抱きました。
今現在は、「懐古園」入口の「三の門」と共に、国の重要文化財と指定されております。

しかし、大手門が重要文化財に指定されるまでは、随分と不遇な扱いを受けていた時代もあったようで、近所の商店の物置代わりになっていた時もあったらしいです。
「あの時は大変で、中に放り込んであったものを全部引っ張り出して、慌てて修復工事をしたんですよ。」
なんて事を、郷土史に詳しい方から聞かされて、却って何だか微笑ましく感じました。

これに似た話はよくあって、奈良では飛鳥時代の古墳の石室を、農機具置き場にしている人だっていますから〜(苦笑)

高速道路を走り始めてしばらくすると、何故か「妙義山」に激似している山が見えて来た。
あれれ? なんか変。
小諸から松本方面へは前回も走っているけど、こんな形の山を見た記憶が無い。
私の頭の中がオタオタしているうちに、相方も異変に気付いたような。

相方はナビのセットを間違っていたようで、車は昨日訪れた商談先を目指していたらしい。
あーらら.。o○

慌てて引き返すことになりましたが、軽四であっても高速料金ってバカにならないですからねー。
仕方なく途中までは一般道を走る事になりました。

前日、相方に碓氷峠にまつわる話をしていたせいか、この交差点で相方は、碓氷バイパスへ行かずに、旧道の碓氷峠に向けてハンドルを切ってしまいました。
ちょっと失敗かな?
でも、話にしか聞いた事のない中山道の大難所をしっかりと体験しても、損にはなるまい。

旧道に入ったとたんに、道はグネグネと曲がり、走り進むにつれて勾配も急になってきました。
しばらく登って行くと、車窓からは碓氷湖の静かな湖面が見下ろせましたが、立ち寄れるほどの時間の余裕は、残念ながら無い。
そのすぐそばには、「めがね橋」との愛称がつけられている「碓氷第三橋梁」がそびえ立っておりました。

私がまだ独身だった頃、一度だけこの橋を渡った事があります。
当時はまだ高崎から新潟までを、国鉄信越本線が繋がっていた頃でした。
その頃を思い返すと、随分と勿体ない事をしていたような。
あの頃の車窓の景色を全く覚えて無いんですよね。

何でだろ? と、よくよく思い返してみると、その時はずっと本を読んでいた記憶が蘇ってきました。
あー、 なんて勿体ない事をしていたのであらふか!

ただひとつ覚えていた事といえば、トンネルだらけで、やたらによく揺れて乗り心地の悪い列車だった、という事だけでした(苦笑)

この「めがね橋」は、1891年に着工されてから急ピッチで工事が進められ1893年に竣工された鉄道橋です。
使用された煉瓦の数はおよそ200万個。
現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模で、1993年には「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定されました。
現在は横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道になり、橋上の手すりや国道18号へ通じる階段などが整備されているそうです。

世界遺産への登録も目指しているそうなのですが、橋梁の足元に掘りこまれる落書きの数が多すぎて、なかなか具体的な登録申請までは事が運ばないとか。
ねー! 観光客の皆さん。 もっとモラルを高く持とうよ!

そして、いよいよ峠越え。
ハンドルを切るのに超忙しくしていた相方は、後になって「良い体験やった。」と言ってましたが、私にとっても良い体験となりました。
「百聞は一見にしかず」とはよく言ったものです。
我らがムーブちゃんにはお気の毒な事でしたが、登りだったからこそあまり怖い思いはしませんでしたが、下りだったら、思いっきり怖い道中になってたかも。

峠を越えると、いきなり全国的に有名な高級リゾート地なる軽井沢。
まだ二十歳のころ、とある通信講座のスクーリングで一週間ばかり滞在したことがありましたが、街並みがその頃とはかなり変貌してました。
でも、たまに見覚えのある景色に遭遇すると、私の頭の中では青春時代真っ盛り。
スクーリングの合間に、オプションとして企画されていた短期乗馬教室に通ったりしたのですが、またお馬さんの背に跨りたくなりました。

軽井沢について、やっとトイレ休憩を兼ねた、ランチ休憩となりました。
しかしランチ・タイムは、こじゃれたレストランで過ごすことも無く、コンビニで購入したおにぎり弁当を車中で頬張ったのみ。
時間を無駄にしちゃったので致し方なしです。

やっと小諸まで引換し、トイレ休憩に立ち寄ったのが「雷電 滋野くるみの里・道の駅」。
相撲については全く興味のない私ですら「雷電」という江戸時代の名大関の名は知ってます。
その方の生まれ故郷が、東御市の滋野だったらしいですね。
道の駅での休憩を終え、松本を目指して少し走ると「雷電生家跡」の道標が目立つところに設置されておりました。

そして松本に到着。
お仕事関連での視察だったので、この地でのレポートは割愛。

どうせ中央道に入るからと、相方は諏訪に向けて車を走らせてくれました。
立ち寄ったのは諏訪の上社と前宮。

私にとっては第二の故郷へ舞い戻ったような境地。
私の祖先は、菩提寺に残されている過去帳によると、諏訪氏に所縁(ゆかり)の深い「金刺衆」か武田方の旧臣だったそうで、何れにせよ、この地にはかなり縁が深いらしい。

だからなんでしょうか。
私が今まで出かけた中で一番気に入った所は静岡@蒲原なのに、色々と気疲れが過ぎると、何故かついつい諏訪を訪れてしまうのです。

その頃にはとっぷりと日が暮れ、カメラを持っていても何の役にも立たない。
でも、「上社・前宮」まで立ち寄ってもらうと、疲れ切っていた心が数倍元気になったような心地になりました。

高速の中央道に入ると、即行で夕食休憩。
夕食は、実は「ついで」の事で、本来の目的は「湯治」でした。
「諏訪SA」では温泉に入れるんです。
男湯は定員12名、女湯は定員7名の、ちょっと小さな温泉ですが、行ってよかった。
身体の芯から温まり、とてもリラックスできました。

昼間だったら、湯船から諏訪湖が一望のもとに見渡せる筈なのですが、残念ながら今回は真っ暗な諏訪湖しか見る事かなわず。
むしろ、不用意に湯船の中で立ち上がると、一般道から真っ裸になっている所が姿が丸見えに(汗)。

でも、長距離ドライバーには絶対おすすめの温泉である事は、たぶん間違いないと思います。
とても気持ちが良かったし、その後の疲れ方もだいぶ違うように感じました。

そして夜の間はずっと走り続け、帰阪は明け方。

楽しい事も多かったけど、仕事の内容と行動を考えると、今回もしんどい思いをした旅でした。
実は、どこかでもう一泊するとか、アニバーサリー的な楽しみを作るとか、そのような案が持ち出されたのですが、旅に出る直前にすべて却下しました。

楽しいとか嬉しいとかのプラス的な部分の後には、必ずマイナス的な部分がくっついてくるが、マイナスの後にはプラスがある。。
今回の出張では難しい課題を抱えていたので、是非ともそれを実現させたい。
だからこそ、ずっとハンドルを持ちっぱなしの相方には申し訳ないけど、行き返り共に徹夜の、あえて超苦しい旅を企画しました。
今回の旅程は、走行距離2000キロの大変な旅でした。

それでも、こんだけ楽しんじゃって、さて、今回の商談の結果は、吉と出るか、はてさて、凶と出るか・・・(謎)
朝、家に帰って、即行で風呂に入り、そのまま湯船の中で大爆睡したのは、私です。


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