トップ >一人歩き >「軽四の車窓から」 >群馬から小諸
画像をクリックすると、大きな画像が見られます

群馬から小諸 その1

2011.10.22 

その地の名物は「カカア天下とからっ風」
夜の10時に大阪を発って10時間。
さすがに群馬までをムーブちゃんで走ると、相当に遠く感じました。

前回の長距離出張後、新しいナビ君を購入してました。
経済的で時間距離の短いルートを設定すると、高速道路を走る部分は少なく、大方は一般道を走るルートとなりました。
この辺りがある意味「落とし穴」でありまして、例えばガソリン残量。

往路では全走行距離の半分くらいを走った所で、タンクに残ったガソリンは半量くらいになり、これからまだ未知の行程を走るとなると、少し不安になる。
その時点で、起伏の多い山道を走ってる。
上り坂では燃費が落ちるのは、免許を持たない私でも判る。

しかも、真夜中。
山間部を抜けて市街地に入ると、ガソリンスタンドは見つける事ができたけど、真夜中ゆえにみんな閉まっちゃってるもんね。
相方、ちょいと焦り気味。

なおかつ、急に冷え込んだ当日。
山間部ではガスが発生し、所によってはひどい濃霧。

山道のヘアピンカーブなどの危険地帯では、必ずと言って良いほど外灯が設置されてますが、霧の濃い所での外灯は却って怖い。
霧によって街灯の光がハレーションを起こし、周りの様子が全く見えなくなるのです。

その時は、相方は「大丈夫や! 無理な事はせん! 」なんて言ってましたが、後で聞く処によると、めちゃくちゃ怖かったとか。
当の私は、肩にあたっているシートベルトを握りしめ、それがジットリするほどに手の汗を吸いまくっておりました。

早朝、群馬県の某市に到着。
あ〜、無事に着いて、ガス欠にもならなくて良かったー。
ナビ君の案内によって、訪問先の位置を目視確認。

近場のマクドナルドで軽い朝食をとると、訪問先近くの駐車場で仮眠。
私も少しウトウトしながら、しかし、途中から15分位は「熟睡」の域に達したかもね。

先の事は判りませんが、少なくとも、その時点の商談では良い感触となりました。

長野に向かったは、時は既に午後を過ぎ、辺りの景色は見放題。
「カカア天下」の謂れは分かりませんでしたが、「からっ風」の謂れは目視によって即行で了解。

とにかく、空が広い。
西方には大阪湾がありますが、北には能勢・箕面の山岳地帯があり、東は信貴・生駒・金剛、南は金剛に連なる葛城山系がくの字型になり、日本の都道府県の中で二番目に狭い大阪府を、ぐるりと三方が山に囲まれてる。
チマチマした箱庭的風土に慣れ親しんだ大阪人の私にとっては、群馬の景色は「雄大」の二文字に過ぎる。
坂東平野とも呼ばれる地帯はだだっ広くて、そりゃ、風も強かろう。

しばしは県道や国道を走ってましたが、高速の上越自動車道しばらく走ると、「富岡製糸場を世界遺産に」の大看板。
細井和喜蔵の著書「女工哀史」や山本茂実のノンフィクション「あぁ、野麦峠」など、明治期における働く女性に対し、劣悪過ぎた職場環境の象徴ともいえる「富岡製糸工場」を、どんなキャッチコピーで世界遺産に導くのか、私も女性故に多大な興味を持ちました。

そして長野との県境近く。
「妙義山」近しの看板。
名前は何となく知っていても、実物は見た事ない。
ワクワクしながらカメラを構え、それらしきものを撮ったのがこの山並み。
まるで雪舟や等伯の水墨画みたい。

ふと、亡父との記憶を思い出しました。
父の生前は山岳会に属し、山に関しての武勇伝や教訓は嫌というほど聞かされ、私も物心つく以前から山歩きのお供として連れて行かされていたらしい。
私が思い出した記憶の断片は、芦屋ロックセンターのオーバー・ハングでもたついている時に、「何しとんじゃ! オマエはミノムシかーっ!!」
おかげで、山歩きは好きになったけど、高い所は苦手となりました。

妙義山やそれに連なる山脈の姿を愛で、山の紅葉を楽しんでいる間にいつしか横川サービスエリアを通り過ぎていました。
そこから碓氷軽井沢インターチェンジまで5つのトンネルを抜けますが、車窓からの景観を無機質にしてしまうこれらのトンネルが、今回はとてもありがたい存在と感じました。

以前、軽井沢と東京を車で往復した人から、碓氷峠は物凄い難所だと聞いた事がありました。
昔の中山道を語る言葉の中にも「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と言われるほどの難所で、車でそこを越えようとすると、急峻な坂道とヘアピンカーブの連続で、特に軽井沢から東京方面へ向かう下り坂ではとても怖い思いをするらしい。
私は「歩き」でのつづら折れ坂や七曲り八曲りは案外平気で、むしろ楽しめるのですが、車でそんな道を走るのは、まっぴらゴメン!

碓氷軽井沢インターチェンジからさらに6か所のトンネルを超えると、佐久インターチェンジ。
視界が開けると、目の前には悠然と構える浅間山。
ここまで来るまでに、沢山のトンネルを抜けましたが、勾配は緩やかで、カーブも少ない。
少なくとも、万年助手席の私にとっては、気楽な行程となりました。

浅間山をカメラで捉え、カメラを構えている時には気づきませんでしたが、後日にその画像を見ると、小さな噴煙が上がっておりました。

小諸に着くと真っ先にホテルをめざし、駐車場に車を滑り込ませると、さっそく懐古園へ向かいました。
前回の懐古園訪問時では写真を撮り損ねていたので、今回は写真撮影のための訪問でした。

小諸城に関する主な画像は、前回にアップしたレポートに張り付けましたが、たった二週間違いとはいえ、今回に訪れた懐古園では紅葉が一層進んで、とても素敵な風情を見せてくれておりました。

あちこちで写真を撮り、そろそろ暮れなずんだ頃おい、北の丸跡に建てられている弓道場には、明々と灯りが灯されておりました。
かつて、島崎藤村が6年間を小諸の地で教職として過ごしたそうで、趣味にしておられた弓道をこの地で楽しんでおられた形跡が、小諸市の観光協会のサイトに残されていました。

「三の門」のすぐそばに「山城館」という建物があり、島崎藤村は毎日のように携えていた弓を預けて、この店で打ちたての蕎麦を楽しんでいたそうです。
そこは宿泊施設にもなっていて、ただし、受け入れる宿泊客は一日一組のみ。
しかし、意外に廉価な、一人九千円。
どんな宿なのか、興味津々となりました。

しかし我々は、駅前の小諸グランド・キャッスル・ホテルにチェックイン。
前回での小諸訪問の教訓を得て、今回は夕食・朝食付きのプランでの泊りになりました。

「軽四の車窓から」 目次 「群馬から小諸」 その2
トップ >一人歩き >「軽四の車窓から」 >静岡・小諸・恵那峡