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「壺阪寺」から「高取城」 その1                     



奈良県高取市の一部をウロウロしてきました。

この日は相方も同行していて、
「朝飯は向こうに着いてから駅前の『マクドナルド』で『朝マック』がエエなぁ・・・」
とんでもない!
そこは「マクドナルド」の立地条件には過酷すぎます。

「だったら、喫茶店で朝ごはんを・・・」
あきらめたまえ。
日頃から起き抜けの食欲はゼロという相方は、現地で朝食をとりたい意向なのですが、駅前に喫茶店を開業する事さえ難しい立地環境なのです。

少し早目の時間に近鉄阿部野橋駅前で落ち合い、都会のこじゃれたカフェで少ししかっりめの朝ごはんを食べました。
8時20分発の近鉄南大阪線・急行に乗り込むと、乗り換え無しで「吉野線」にアクセスできる。

降り立ったは近鉄・吉野線「壺阪山」駅。
駅名が表す通り、この地はまさに山村。
駅からは「観光と薬の町」と書かれた大看板が見られますが、駅前商店街らしい町並みは約50メートルくらい。
商店もほとんどが「陀羅尼助」を看板商品にしている薬屋さん。

高取町の総人口は7500人余りに過ぎないのですが、この地に本社を置いてる薬品メーカーは15社。
その中には東証一部に上場している全国でも有名な企業もあり、如何にこの地が薬と縁が深いかを肌で感じる事ができます。

奈良時代から伝わる胃薬の「陀羅尼助丸」は「役行者」が考案したと伝えられていますが、それよりもはるか昔から、朝鮮半島からの渡来人である「阿智使主(あちのおみ)」をリーダーとする「東漢(やまとのあや)」氏が定住し、数種の薬を作り始めたという説があります。
日本よりもはるかに文化の進んだ国からの移住者が多く住みついたとあれば、当時の日本では未知であった薬草が数多く見つけられて薬として広められてもおかしくは無い。

例えばアオキの新芽は天ぷらにしたら美味しいと聞いた事がありましたが、それが熱さましや火傷に効く薬になるとは知りませんでした。
駅前から伸びる通りを歩くと、足元には色んな薬草を焼きつけたタイルが通りに埋め込まれていました。
それを見ながら歩くのも結構楽しい。

何々?
二日酔いには「クズ」が良いとな?
早急に手配しておこう.。o○

しばらく歩き進むと、お寺かな?
古びた門の両側には「薬祖大神」と「土佐恵比寿」と書かれた看板。
中を覗きこむと、門の内側には鳥居が一基。
なんとも不思議な佇まいの神社がありました。

社史に因ると、江戸時代初期に紙屋与兵衛という人が仕事で伊勢に赴いた際、商家の守護神として恵比寿の御神体を請来し、ここに祀ったと伝えられています。
そして薬の神様である神農さんも合祀して、今日に至っているとか。

ところで、高取町との地名に変わる前、ここは「土佐」と呼ばれていました。
というのも、ここは四国の高知出身の方々が多く住まれていたからなんです。

6世紀の初頭、奈良は建築ラッシュの最盛期を迎えていました。
特に都そのものの建築には、はるか遠方からも多くの人手が集められました。

当時は「租・庸・調」の三つの義務が民に課せられておりました。
「租」は米や麦、またはそれに代わる穀類を治める義務、
「調」は絹製品かそれに準ずるもの、例えばその地方の名産品を治める義務、
「庸」は、兵役または労役、女性なら采女など宮廷の下働きをしたりと、ある一定の期間を無償で朝廷のために働く義務でした。

当時は土佐の国からも多くの人々が集められ、宮城の建設などの労役に就かされていましたが、任務が終わっても朝廷からは帰郷のための援助は無く、貧しいが為に帰りたくとも帰れなくなった人々がこの地に住み着いたと言われています。
あまりに多くの人々が故郷を捨てざるを得なくなったので、朝廷も見るに見かねたのでしょう。
しかし、唯一朝廷から与えられたのは、この地に自分たちの故郷である「土佐」という地名を付ける権利でした。

「なあーんだ! バカバカしい! そんな権利のどこがエエねん。」と、思う人が多いと思いますが、その頃の日本では凄い事だったんです。
当時は地名を勝手に変更する事は許されず、すべては朝廷が仕切っておりました。
その後、以前からあった地名を朝廷以外の人物が自分好みの地名に変更したのは、戦国時代末期の大物である織田信長が初めてで、「『井口(いのくち)』を『岐阜』と呼ぶ事にしました」という事後承諾を受けた朝廷は上を下への大騒ぎになったそうです。

それにしても、この辺りの景色ののどかな事!!
ゴミゴミした町中育ちの我々には心洗われるような景色です。

「あ!! 牛さんがいる!」
近づいてみると、作り物だった。(・・・)
しかし、その作り物の牛親子が違和感も無く見えるようなロケーション。

近くには造り酒屋があり、経営者の自宅と思える建物は、典型的な奈良風の建築様式。
右側の勾配の緩い屋根には、かまどの煙を抜く通気口があり、その左には急こう配の屋根が続いてます。
急勾配の屋根は、上の方は瓦を葺いて途中から銅張になっていて茅葺屋根だった頃の名残を残しているのですが、瓦屋根と茅葺屋根を併用するのは、奈良民家建築様式の典型だったりします。
それにしても、ハトさんの飾り屋根が何とも可愛い。

蔵元から50メートルほど歩くとアスファルト道路から外れて、いきなりこんな地道となりました。
数日前にあった豪雨の影響が残り、かなりぬかるんでいる所もある。
でも私、こんな所に来ると「自然食」の嗅覚が敏感になる。

この頃はそろそろキイチゴの一種の「フユイチゴ」が実を結ぶ季節ではなかったか?
頭の中に「フユイチゴ」の姿が思い浮かぶと、ぬかるみに足を取られそうになりながらも、視線は足元からそれて路肩に茂る草々に走りがち。
自然の中に在る「フユイチゴ」は巷のスーパーで見かけるラズベリーの四分の一にも満たない大きさですが、味が濃い、特に甘味は改良種とかわらないくらいに強い。

ありましたー!!
第5発見「フユイチゴ」までは、すべて私の口中に収まりました。

「フユイチゴ試食欲」が収まって、初めて落ち着いて見られた、辺りの景色。
木立の間からの日差しが幻想的で、それでいて素敵で、しかし真っ先に頭に浮かんだ言葉は「チンダル現象」。


のほほんとフユイチゴの味覚を楽しみ、チンダル現象に輝く木々を撮っていられたのも、そこでお終い。
上り坂はいきなり急になり、いつしか両手も動員しなければ登れないような急斜面になっておりました。

そして、この景色。
ゼーゼー・ハーハーしながら撮りました。
高取から明日香村が一望のもとに見渡せます

カメラを構えながらやたらに高い所に登って来たと思い、後ろを振り返ると、目の前に広がるは「壺阪寺」の大型駐車場。
折しも、大型観光バスが乗客を吐きだしている最中で、その後に走りこんできたタクシーからは中年男性が助手席から降り立ち、タクシー・ドライバーと一緒にトランクから車いすを取り出していました。
こんなに楽に来れるルートがあったのに、今までの私の苦労はなんだったのよ(笑)

「壺阪寺」といえば、文楽などでよく知られている「壺阪霊験記」。
浪曲にもある「妻は夫をいたわりつ〜、夫は妻に慕いつつ〜」のアレです。

壺阪寺の近くに住まいする「沢一」は疱瘡に罹った事がもとで視力を失っておりましたが、「お里」という大変な美女を嫁に迎えても驕る事無く、つつましい生活を続けておりました。
二人が夫婦になって三年目、近所では評判のおしどり夫婦と評判されていたにもかかわらず、お里は毎夜のように、深夜になる度に家を出るようになりました。

沢一はお里の行動を怪しみ、その後をつけました。
沢一はお里が浮気をしているのではと、疑っていたのです。
そしてお里の真意を初めて知ったんですよね。
お里は沢一の失明の原因は後天的なものと知り、沢一の目が快癒するようにと、夜になると壺阪寺へお詣りしてました。

沢一はお里を疑った事を悔い、お里に感謝しつつも、自分がいる事がお里の足手まといになることを恐れました。
そして、沢一が考え付いたのは、自分の死を以ってお里のまごころに対する返礼とする事でした。

沢一は壺阪寺の裏手にある深い谷に身を投げて死んでしまいました。
翌朝、沢一の変わり果てた姿を見たお里は、そばに残されていた沢一の杖を抱きしめると、沢一の横たわる場所を目指して飛び降りたのです。

谷底で並んで息絶えている二人の枕辺に、観音様が立たれ、「お里の日ごろの信仰心と貞節に酬いて、望みをかなえてやろう。」
二人は息を吹き返したばかりではなく、沢一は視力を回復し、あー、メデタシめでたし。

実はこのお話は完璧なフィクションなのですが、何故か「お里・沢一」のお墓が駅前住宅街の近くに在ったりします。
壺阪寺にも、「沢一の杖」などが展示されていて、眼病封じの寺らしく、寺内の茶店には「目薬茶」などというお茶も売られていて、如何にも怪しげな「あやかり商法」がなされているような感じ。

でもね、その怪しげさを払拭したのが
「慈母園」の存在でした。
慈母園は昭和36年に、日本で初めて創設された盲老人ホームです。
老人ホームを経営するには余程の資金力が無ければ存続できないのはよく知られているところで、今でこそ国や自治体から補助金などが支給されたりしますが、当時はそのような制度は確立されて無かったはず。

境内には石造りの大きな観音像が数体も建立されていましたが、最初は「客寄せパンダ」に似たものと思いかけましたが、これらも、インドに於けるハンセン氏病患者救済の為に多額の資金を投入し、何度も医師団を送り込んだ事に対する、インド政府からの謝礼として受けたものと知り、このお寺って、何? スゴイやん!

税金対策や、金儲けのための檀家確保に汲々としている寺院が多い中、日本の仏教界もまんざら捨てたものでは無いと知りました。







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