聖幽戯館〜自然の棲む場所1〜
「あ〜……いい気持ち!」
 木目が綺麗に浮き出た丸太の断面に腰をかけ、緑豊かな森林の薫りをいっぱいに吸い込む少女──鳥羽美樹(とば みき)は、両手を大きく天に突きだしていた。
 茶系のショートヘアの上にリボン付きの白い帽子、空色のブラウスにハーフパンツ。足元には背負っていたであろうデイパック。
 一見して行楽の真っ最中と分かる服装だった。
 ゴールデンウィークということで、とある高原にやってきた彼女。予想した通りの人出の多さに多少うんざりしながらも、自然が大好きな美樹にとっては最高のフラストレーション解消旅行となっていた。
「やっぱり自然はいいな〜。日常の喧騒を離れ、心も体もリフレッシュって感じ♪ イヤな事とか、悩み事とか、ついでに勉強した内容まで、綺麗サッパリ解消ね♪」
 足をブラブラと揺らしつつ、鼻歌まじりでご機嫌の美樹。
 近くに、家族はいない。
 景色のいい所で写真を撮ったり、植物の説明看板を見て話し込んだり、美樹にとっては無用ともいえる行為が続くので、1人、先に来て待っているのだ。
 林道の途中にある休憩所。展望が良くないせいか、ここにいるのは美樹だけだ。
「景色を眺めるのも別にいいけど、写真に撮ることないと思うのにな〜。自然は自然であって、写真に撮ったら自然じゃないじゃん」
 これが美樹の評価だった。
 実際、美樹は景色を眺めているよりも、こうして林の中などで過ごすほうが好きだ。綺麗な景色は遠くから見たモノ……手の届かないモノというイメージがどうしてもある。しかし、こうしていると、自然と一体になれるような、安心感にも似た感情が芽生えてくる。
「こんな大自然の中にいると……学校の勉強なんてどーでもよくなってくるわね〜……中学生になったからって、どうして勉強を頑張る必要があるのよ。面積の計算なんて普通使わないし、花の構造知らなくても問題ないし、歴史上の人物を覚えても今いないんじゃ意味ないわ!」
 的を射ていると取るか、それともただの屁理屈と取るか……聞いた人によって意見が分かれるところだ。
 ただ、このセリフからも分かるように、美樹は決して勉強が出来るほうではない。
 どこかで、鳥の鳴き声がした。
 以外と近くだったので、美樹は立ち上がり、その姿を追い求める。
 手すりに体を預け、緑の中に目を凝らす。
 木々の間からは、暖かな光の筋が幾条も差し込んでいる。
 その1つの光の中に、1羽の小鳥がいた。スポットライトに照らされたプリマのように。
 美樹はその小鳥を静かに観察した。
 眺めているだけでいい。
 写真よりも、動きのある自然のほうが楽しい。
 映像よりも、有るがままの自然のほうが美しい。
 目の前の光景……これだけが本物の自然だ。
 だから、美樹は自分の目だけで自然を感じる。
 そんな美樹の視線に気付いたのか、小鳥は飛び立っていった。
 しばらくその方向をみつめ小鳥を見送った美樹は、ふと視線を下へと落とす
「……あぁ〜〜〜!!」
 木々の足元、低い雑木が生える急斜面に、ペットボトルの姿が認められた。
「こういうの見ると、人間がいかにサイテーな生き物なのかが分かるわね……どうして、こういう場所にゴミを捨てるのよ! しかも、捨てるヤツに限って『自然ってキレイね♪』とか言うのよ! あ〜もう! 頭くる〜〜!!」
 悔しそうに、拳で手すりを何度か叩く美樹。
 と、デイパックからゴミ袋を引きずり出す。
「自然を愛する美樹ちゃんとしては、無視して拾わないわけにいかないわ!」
 休憩所の手すりを乗り越え、美樹は腐葉土の柔らかな地面に足を降ろした。ズポッと2センチぐらい靴がめり込む。
そこから先は、美樹の目にも急斜面だと分かる傾斜が続く。衝撃で弾かれた小粒の石が、コロコロと斜面を転がり……消えた。
 ペットボトルは数メートル向こうにある。木の根本のくぼみにひっかかり、安楽イスに腰かけた翁のように静止していた。
「そーっと……そーっと……」
 滑り落ちないよう雑木を掴みつつ、足場を固定しながらゆっくりと下る。
 なかば足を滑らせながら、雑木の細い枝を命綱にペットボトルに近づいてゆく。
 1分あまりかけ、ようやくペットボトルのある木の根に足がかかった。
 左手で枝を掴んだまま、右手でペットボトルを拾う。ゴミ袋に入れて収拾完了だ。
「これでよし……っと。戻りますか」
 美樹は休憩所に戻ろうと体を起こす。少し、その行動は注意が足りなかった。
 掴んでいた左手に、急に大きな力がかかる。
 ブチッ
「きゃ……」
 絶えきれなくなった枝は、いとも簡単に引きちぎれた。
 支えをなくした美樹の体は、重力に引かれ背中から斜面へと倒れ込む。
 その間、美樹は別の何かを掴もうと手を伸ばしたが……そんな都合のいいモノは、手の届く範囲に存在していなかった。
 体が1回転。その後はもう、美樹に世界の姿を確認する術はなく、茶色と緑と青の色がメチャクチャになって視覚を襲う。
 鼻につく土の薫りを感じながら、流れに身を任せるしかない美樹は……やがて、激しい痛みとともに視界を闇に奪われた……
★>>>>>Next Paragraph〜自然の棲む場所2〜

[聖幽戯館]選択へ→
[月の小部屋]TOPへ→