一歩、外に出れば、そこは言わば桃源郷。自然の中に造られた、偽りの自然。ほのかな甘い香り漂う、心落ち着く場所。
ティナはここが大好きだった。
嫌なことがあったり、考え事をする時にここへ来ると、なぜか心が安らぐ。何時間いても、決して飽きることはなかった。
細い石畳の道を、目的の場所へと歩いていく。
季節は春──
周りには色とりどりの花が咲き乱れ、その香りに誘われるように蝶が舞い踊る。何百年、何千年と繰り返されてきた生命のダンスだ。
木立の中には、小さな赤い実をつけているものもある。そこに数羽の小鳥がやってきては、春の歌を歌いながらついばんでゆく。厳しい冬を越えた歓びの歌か、新たな生命の誕生への喜びの歌か。
そのうち一羽が地面に降り立つ。何かを見つけたようだ。
サッとそれを地面から奪い、すぐ近くの常緑樹へと向かっていく。
近づいて見上げてみると、枝や枯れ草で作られたすり鉢状のものがある。その中からは、けたたましいほどの小さな命の声が漏れ聞こえてきた。
ティナはさらに奥に行く。
ここからは甘い香りに取って代わり、若葉の香りが空気を支配する。落葉樹の淡緑色の葉が光を受け、そのかわり地面への陽の恵みは大きく減っていた。もう少しすれば、夏の強い陽射しを避ける、絶好の納涼ポイントとなるだろう。
ただ、今の陽気では少し寒気を感じた。まだまだ陽の光の恋しいティナは、前方から流れてくるせせらぎへ向かって歩いた。
澄んだ冷水が緩やかに流れるその場所では、時の流れまでが遅くなったかのような錯覚に襲われてしまいそう。岸辺の溜まりを覗き込めば、小さな魚の群が太陽を背に泳ぎ回っていた。
清流を横目に歩いていくと、すぐに水の湧く泉に到着する。太陽の光をいっぱいに受けキラキラと輝く水鏡を、まるで絵画のように彩る水草の白い花。時折、小鳥たちが水を飲みに訪れては、美しいオブジェに彩りを添えてゆく。
そのすぐ近くに蔦のからまった大木がある。
ここがティナの目的地。ティナの指定席だ。
朝から午後にかけては陽があたり、夕方の西日は遮られる。長いことここにいて見つけた、お気に入りのポイントだった。
木の根がちょうど良くイスみたいになっている。日溜まりに腰かけると、一度大きな息をはき出して、一冊の本を取り出した。
表紙には『魔法生成と材料の選び方』とある。
その一番最初に描かれている『炎を起こす魔法』の説明を、何度も何度も読み返してみた。先ほど自分がおこなった手順となんら変わらない説明が、2ページに渡って絵と文字で描かれているだけだ。
「どうして、うまくいかないのかなぁ……」
薫風が、静かに彼女のツインテールにまとめたピンクの髪を撫でてゆく。
「わたし……才能ないのかなぁ……」
もう一度、大きく息を吐き出す。
魔法使い養成専門学校・フェアリー学園所属、有権ピックコレクター。これがティナが今持っている肩書きだった。
魔法の材料の特性などを習得し、それを確実に判別・採集できる能力を身につけた者がもらえる肩書きなのだ。本格的な魔法の学習は、もう1つ上のランク、マジカルリサーチにならないとできない。つまり、まだ魔法使いとして認められないランクである。
ランクアップするには、学園が1ヶ月に1度行う一斉試験の成績で決まる。各ランクごとにいくつかの課題が用意されていて、それを全てクリアできた者だけが、1つ上位のランクに昇級できるのだ。ただ、課題だけを偶然クリアしてしまい、実力の伴わないランクアップが起こる可能性があるため、先生たちに認められた者だけがテストを受けられるシステムになっている。先程、肩書きに出てきた『有権』とは、そういう意味である。
今日は、その一斉試験の日。今ごろ学園の中では、そこここで昇級試験が行われているのだろう。普段は自由で明るい学園も、この日だけは学園全体がピリピリしている。授業や講義もいっさいなく、テストを受ける資格がない、いわゆる『無権』の生徒にとっては、お休みも同然の楽しい日になるのだが。
もちろんティナも、ついさっき試験を終えてきたばかりだ。この『炎を起こす魔法』を発動させるマジカルオーブを創ること。その結果はすぐに言い渡され……いや、言われるまでもなく、明らかな失敗と相なった。今回も昇級はおあずけである。
ティナは、この課題を4年以上の間クリアできずにいる。同期の友達はグレードマスターになった人もいるというのに、ティナだけが魔法も使えない状態。4年前は将来有望とまで言われたティナも、今では落ちこぼれ組である。焦りがティナの心を乱すこともしばしば。
魔法の材料を学習する段階では、魔力など必要ない。だが、ここからは違う。魔力が実力のほとんどを占める世界だ。もしかしたら自分には魔力がないのでは……と、不合格になるたびに不安が募る。それでも続けているのには、理由があった。
ティナは、この学園の理事長であるウイント導師に育てられた。魔法使いを極めた女性に与えられる称号『ウィッチ』を称する、世界最高の魔法使いと言われる人だ。捨て子だったティナを、ここまで育ててくれた恩に報いるため、ティナは立派な魔法使いになると決心したのだ。そして、ウイント導師を手助けしたいと思っていた。
しかし、その想いは果てしなく遠くみえた。
「あ、やっぱりここにいたぁ!」
道の方から元気いっぱいの声がかけられる。ハッと顔をあげ、その方向を見ると…………
「ぅわぁ!」
オレンジ色のショートヘアをなびかせ、空中をダイビングで飛びかかってきたその少女に、ティナは驚き慌てて逃げる。抱きつく目標を失った少女は、そのまま地面に墜落した。
「いててて……」
すりむいた顔を両手でおさえる少女。ティナの身の周りを世話しているメイプルだった。学園に来てまだ間もない彼女は、チョウズとして学園の雑用をしている。まずは誰もが通る道である。
そしてティナの担当になってからは、メイプルはずーっとティナから離れようとしないのだ。本人いわく、運命的な出逢いだとか。
「もぉー、ちゃんと受け止めてくださいよぉ!」
抗議しても、その顔は笑っている。
「な、何?」
その笑顔が本当に嬉しそうに見えたので、ティナは少し戸惑った。
「はい! 合格なんです! 合格しちゃったんですぅぅ!」
改めてティナの腕に抱きつくメイプル。
メイプルもまた、昇級試験を受けてきたのだ。そして、合格したらしい。おそらく、その喜びをまずティナと分かち合おうと、真っ直ぐここまで走ってきたに違いない。
(ってことは……メイプルはベイジーズになったわけね……)
これはティナも嬉しかった。
これでメイプルは、ティナの身の回りの世話を解除されたことになる。今まで他の人間につくことで魔法使いの習慣などを学んでいたのだが、これからは自分の考えで学習していくのだ。ティナにとっては、メイプルが自分から離れるということが嬉しかった。
「そう、良かった! おめでとう、メイプル!」
確かその試験は、教科書のはじめにある『魔法とは、自然の恩恵である』で始まる前文の暗唱。普通にやれば誰でも合格できるような課題だった。大袈裟に褒めてもしかたないところだが、
「ありがとうございます、お姉さま!」
メイプルは素直にそれを受け止めた。
しかし、次なる言葉はティナの心を硬直させる。
「それで、お姉さまはどうだったんですか?」
「………………え?」
「だからぁ、試験の結果」
「まぁ、そのー……今回は割愛させていただくとか、次なる精進に期待するとか……そんなとこかな」
「…………ダメだったんですか」
直球ストレートがティナの胸に突き刺さる。
「大丈夫です! お姉さまのような同じ課題を4年も続けているような大ベテランなら、きっと突破口を見いだすことはできます! 自信もってください!」
本人はなぐさめているつもりかもしれないが、さらに追い打ちをかける結果となっていた。ティナはもう、ノックダウン寸前である。思わず足がもつれ、近くの草むらにうつぶせに力つきた。
「ああ! お姉さまぁ!」
目の前で起こった事件に、メイプルは大声を上げて駆け寄ってくる。そして、ティナの足もとにそーっとしゃがみ込むと…………
「いいんですか? それ……」
「何が? ………………あ……」
ティナが起きあがってみると、下から無惨にも押し花状態にされてしまった紫色の花が、恨めしそうにティナを見上げていた。
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