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スベレートの森に舞い降りたオトギ話












            Azienda Agricola TUA RITA
(トゥア・リタ)
            Suvereto (LI) 57028 Localita Notri 81. Italia
            Tel/Fax : 0565/829237

  「ご主人はどこですか?」

 挨拶に現れたリタ婦人が、人差し指を「シッ!」と口先に当て構い、そして耳を澄ましている。
 「Eccolo!(ほら、あそこよ)」 と指を夫人の指す方を眺めれば、遠く彼方に見え隠れしているトラクターの姿が伺える。


 そう思えば、初めてここのワイナリーを訪れた3年ほど前もそうだった。

 あの時は真っ先に見かけた人がやはりトラクターの上の彼で、その身なりと根の入った仕事振りに、まさかオーナーのヴィルジッリョ氏だとは思わなかった為、ついオーナーの居場所を尋ねてしまって、無視されたかな?と勘ぐってしまうほど、待たされた後(やり掛けていた仕事のキリをつけたかったらしい)  
 「Sono Io.(私がオーナーですが、、、)」 と言われてしまったのをよく覚えている。それにしても、こんなに現場で汗を掻いているオーナーは実に珍しい。  
 「E piovuto troppo in quest`inverno(今冬は雨が降りすぎてね)。」 と、言い終わるや否や、解き放たれた荒馬のようにエンジンをかなり立てるトラクターと共に、再び元来た方角へと折り返し、そして消えていった。
 「何だか、いつも彼には畑で会うように覚えていますけど、気のせいですかね?」と夫人に問いただしてみれば、
 「Anch`io lo trovo sempre sul campo, dalla mattina fino a che fa buio(あら、私もそうよ、朝から陽が暮れるまではずっと。)」と笑っていた。  おそらく、つい何度もここのワイナリーに足を運んでしまう理由のひとつはこれであろう。何時の日も、賢明に汗を流す人々に出逢うことは、それがまして、その気になれば机に足を組んでいてもおかしくないオーナーであれば尚更のことだが、何かしらの感動を残してくれるものである。だが、それだけではない。後3つほど、明確に分かっている理由がある。ひとつは、更なる苗樹や新しいカンティーナ(蔵庫)の増築、バリックや木製ケースの更なる徹底など、訪れる度に必ず進歩していること。確かに昔は「これは一軒の普通の農家かな?」と疑ってしまうほどの、本当に小さなワイナリーであった為に、それだけ目立ってしまう事項なのかも知れないが、それにしても"常に良いものを目指していたい"という熱意を見る者にも与える、前向き姿勢の表れであることには変わりない事実。さて、もう一つの理由だが、ズバリ"葡萄畑の質"。南西を眺める緩やかな傾斜一面には、無駄な雑草というものがかけらも見受けられず、極限まで低く、そして理想的な間隔を保ちながら正確に整列され広がる苗の先には、一つ一つ丹念にこだわって暫定されたことが一目瞭然の2本の緑芽が命の息吹を吹きこぼす。いかにここ広し"赤ワイン王国トスカーナ"に於いても、ここまでに圧倒的な"尊厳"を誇る畑は、"サッシカイア"の眠るボルゲリ、又はキャンティの隠された極一部でしか見られぬもの。それに加えて、ワイン製造の"杜氏役"と言われる「Enologo(エノロゴ/醸造技術者)」の仕事に切っても切れぬ関係を促す「Agronomo(アグローノモ/農業地質学者)」のいうところによると、ここトスカーナ州はティレニア海に面したリヴォルノ県南端の小さく情緒的な美しさを誇る中世都市「スベレート」近郊、そして隣接する「ボルゲリ」に広がる、ティレニア海との程良い距離を保ち、石灰質砂岩を含む土砂に溢れる大地は、全く異例とさえ言える「植物の増殖作用」を持っているとのことで、他一般の地質に慣れた専門家たちには"驚異的"でさえあると言う。ここまでくれば、最後の理由は、おそらく想像が容易なところでしょう。そう、仕上がるワインの品質である。"破格のレヴェル"と謳われている「メルロー種」について例を挙げてみると、強い濃縮感を備え濃く締まったルビー色に漂う僅な森のフルーツ香、上品過ぎることなく纏まったタンニンが演出するボディの優れた円滑さなどが特徴だが、最大の魅力はとてつもなく長い味の余韻。口に含んで数分立ってからも広がり続けるその卓越した持続性は、何度試して見ても膝を突いて賞賛出来てしまうものである。
 こうして、我々の喉を"芸術的なほどに艶やかな液体"で潤し続ける名門ワイナリー「トゥア・リタ」のその歴史は決して長くない。84年、近くはエルバ島への掛け橋として栄える港町ピオンビーノにて「ゲーム機器販売をしていたヴィルジッリョ・ビスティ氏とリタ・トゥア夫人は、かねてから夢見ていた"ワイン生産"を実現するためにまだ土地価格の沸騰していなかったこの地に土地を購入。88年に僅か数ヘクタールの畑と一軒の家のみにより、まさに"家族経営"の言葉が当てはまる"全てが手作業"のワイナリーとして発足するに至る。だが、サンジョベーゼ種による無難なDOCワイン"Val d`Cornia(ヴァル・ディ・コルニア)"の栄えるこの地に於いて、当時同じくワイン生産を手掛けていた他のワイナリー達と"一線"を引くこととなる大きな違いは、既に存在していた全てのサンジョベーゼ種苗を引っこ抜いてまで"メルロー""カヴェルネット・ソーヴィニョン種"に拘っていた事。
 「Non ci piaceva"brunello". Ci piaceva "sassicaia".("ブルネッロ"が好きではなかった。"サッシカイア"こそ、我らが目指す理想であったと言える。)」と、語る夫妻の言葉に表れるように、現代"イタリア・ワイン・ルネッサンス"を象徴していた時代の端くれであったこと。そして
「Se fai "Sangiovese" con questa piccola terra, non guadagni nulla.(我々ほど小さなワイナリーが"良質の"サンジョベーゼ種"を造ってもボトル一本当たりの価格には限度がある。基すら取れないのが現実だよ)」 と、端から世界マーケット市場を狙っていた"目的"の明確さであろう。そして、エチケットのデザインには、リヴォルノ県出身の世界的に有名な天才画家、ラファイエッロ・デ・ローザ氏の魅力的な絵画を採用した斬新さ等も手伝ってか、デビュー作に当たる「Giusto di Notri(ジュースト・ディ・ノートリ)1992」が、「ガンベロ・ロッソ誌」を始めとする各ガイド・ブックに於いて最良の評価を受ける。さらに、
 「Era una Sorpresa anche a Noi.(我々にも驚きであった)」 の言葉に象徴される、"メルロー種100%"による僅かバリック2樽、つまり結果として400と数本にしか満たなかった実験的作品「Redigaffi(レディガッフィ)1994」が、あのサッシカイアを凌ぐ"希少価値の高い伝説"として、数々の名リストランテ、又はエノテカのカンティーナに文字通り飾られることになり、頼んでも売ってくれない摩訶不思議な現象さえ起こしてしまう。それもそのはず、昨年の"ジュースト・ディ・ノートリ"の生産量が年間8000本、"レディガッフィ"に於いては2000本余りと非常に少なく、近隣の有名なエノテカに対しても"レディガッフィ"の配分は年間なんと僅か12本、そしてこの12本さえも一般客の手に入ることはなく、業者間の競争の影に流させてしまうまでのカリスマ的"スター・ワイナリー"にまでのし上がった「トゥア・リタ」だが、もうひとつ、彼らについて語る時に必ずついて回るストーリーがある。
 「Noi e Lui, ci siamo cresciuti insieme.(我々と"彼"は一緒に育ったようなもんだ)」 と、回想語る夫妻の言う"彼"とは誰であろう。そう、今やイタリア全土で引っ張りダコの若きスター・エノロゴ"ルカ・ダットーマ氏"のスタートはこのワイナリーなのである。ボルゲリは「パレオ」、キャンティは「ロッソ・ディ・セーラ」等など、他多数の素晴らしい赤ワインを生み出し、こと"直感的なカンティーナ内での判断"に於いては天才とさえ謳われるテクニシャン、"ルカ・ダットーマ氏"がその若き無名時の才能全てを注ぎ込んだ「トゥア・リタ」の名ワイン達。エノロゴ依存型のワイナリーではなく、オーナー一家の絶え間ない努力が成し得た大作であると言え、やはり歴史に名を残す偉大な2本のワインを生み出した"要因"のひとつであった彼の存在は大きく、そして例に見ぬ速さで実現した"彼の出世"を飾ったあまりにもセンセーショナルな演出による舞台でもあった。まさに、現代そう簡単には起こり得ぬ"奇跡"を一途に成し遂げた、とある田舎の小さな農家に突然振り降りた"シンデレラ・ストーリー"であったと言えよう。
 そんな彼との関係が友好的に終わりを迎えた後、実質的には1997年、公式には1999年からその指揮を執り、組織化された仕事で定評のある"成功を約束するエノロゴ"、ステーファノ・キョッチョリ氏のもと行われていた"再構造化"が実りつつある現在、品質、そして生産量に於ける向上(レディガッフィ、3000本)の見られるヴィンテージ"1999"の発売を目前に、ヴェネト県はヴェローナで4月5日から8日の4日間に渉り行われた世界規模のイタリア・ワイン界最大の祭典「Vin`italy2001(ヴィニイタリー)」でのテイスティングにて、"ジュースト・ディ・ノートリ""レディガッフィ"共に、過去最高の完成度により各界の紳士をうならし、来年度版「ガンベロ・ロッソ誌」の"3ビッキエーリ、1・2フィニッシュ"も既に確実視されているほどである。"Sileno(シレーノ)"の名で知られ、今期から"Lodano(ローダノ)"と改名される、シャルドネイ、ゲウルツトラミネル、リースリング種によるバリック仕上げの白ワインも好評に終わり、全てが順調過ぎるほど万全に流れた祭典の後、決して大きくはない倉庫にぎっしりと詰まれ"トゥア・リタ"の名打ちされた焼印が輝かしい木製ケースを眺めやりながら、リタ夫人はこう続けた。  
 「Ci siamo chiesti tanto, se "fermiamo" o "non fermiamo". Ma alla fine, abbiamo deciso di non fermare. Perche "fermare" fa nascere solo il dubbio,,,,.(随分と話し合ったわ、"止まるべき"か"進むべき"かって。でも無駄だったわ。だって、"止まる"ことは後悔しか生み出さないでしょ。)」
 夫人にお別れを告げ、夕暮れに赤く染まる葡萄畑を貫くあぜ道を家路へと向かう。耳を澄まし聞こえるものは、無愛想に立ち並ぶ送電線から飛び立つ一連の野鳥の囀りに、風に揺れ掠めるスベレートの森林と寒暖気が入り混じった空気が奏でるアンサンブル、そして遠くからやさしく響いては重なり消えてゆき、何故か哀愁を呼び起こしては止まないトラクターのエンジン音であった。


ヴィンテージ\ガイド・ブック ガンベロ・ロッソ誌2002 ヴェロネッリ誌2002 エスプレッソ誌誌2002
IGT レディガッフィ‘1999 ★★★ ☆☆☆(92/100) 18/20(5位)
IGT ジュースト・ディ・ノートリ‘1999 ★★ ★★(90/100) 16/20
IGT ローダノ‘2000 ★★ ★★(87/100) -/20
IGT ペルラート・デル・ボスコ・ロッソ‘1999 ★★ ★★(89/100) 15/20
IGT ペルラート・デル・ボスコ・ロッソ‘2000 -/20


                                    ”グルメ・ジャーナル、2001年8月号”掲載

                                           2001年4月14日 土居 昇用