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星に憑かれた異端児たちの神話


SASSICAIA`85(サッシカイア)
TENUTA SAN GUIDO

(テヌータ・サン・グイド)


Fulvio Pierangelini
(フルビオ・ピエランジェリーニ)

IL GAMBERO ROSSO
(リストランテ・イル・ガンベロ・ロッソ)

Passatina di Ceci con i Gamberi
(パッサティーナ・ディ・チェーチ・コン・イ・ガンベリ)

 「リストランテ・イル・ガンベロ・ロッソ」のオーナー・シェフ、フルビオ・ピエランジェリーニ氏の代表的作品。

  「杉の木たち…ボルゲリはサングイドの高く、そして真っ直ぐ二重に並列して連なる…が目前に立ちはだかり、そして私を見つめていた。」

 ここはイタリア、トスカーナ州は、あのカッチュッコ(魚介のリヴォルノ風煮込み)で有名な港町リヴォルノからローマへ伸びる、歴史に刻まれた「アウレリア街道」 を30分ほど南下したところ。 そして伺えるのは、ここ「サン・グイド」から数キロ先のボルゲリの村へと一直線に突き走る杉並木街道。それはまさに、この地に幼年期 を過ごしたと云われる、19世紀最大の風景詩人ジョズエ・カルドゥッチが晩年にその想いを託して書いた詩そのままの光景が、百と数年もの時の流れすらも意識させることな く、目前に広がっているのである。更に左に目を向ければ、そこには妙なほどにまでしっくりと溶け込んでいる一件のお屋敷が佇んでいる。そう、これこそが、あの伝説の 「サッシカイア85」を世に送り出した「テヌータ・サン・グイド」なのである


 おそらく、世界で一番有名なイタリアン・ワイン、いや、世界で一番有名なテーブル・ワイン であろう、このサッシカイア。バローロでも、キャンティでも、そしてブルネッロでもないこの一本が生み出したその影響のほどは、この20数年らいのスーパー・テーブル・ ワイン・ブームを参考にして頂ければ、容易に納得いかれるもの。ただ、今となっては自明のことだが、むしろ言及されるべきことは、それがイタリアが誇る、偉大な ネッビオーロ種やサンジョベーゼ種からではなく、フランスはボルドー経由のカヴェルネット・ソーヴィニョン、フラン種から生まれた異端児的存在であったこと、そしてそれ を、すっかりと根付かせてしまっているということと言える。

 さて、それはこんな経緯で始まった。60年代の半ばからその経営を引き継いでいる、現オーナーのニコラ・ インチーザ・デッラ・ロッケッタ侯爵の、そしてこの著名なるワインの生みの親であるマリオ氏が生まれ育ったのは、北イタリアの赤ワイン天国ピエモンテ州、そして学んだの は、ここ赤ワイン宝庫トスカーナ州はピサ大学であった。つまりイタリアを代表する二大ワインどころを見てきた、そんな彼であったが、ワインに関しては、かつてその完 璧な香りと品質で、彼の味覚を虜にしたボルドー・ワインに一途だったという。その後、何世紀にもわたりこの地ボルゲリに名を馳せるゲラルデスカ家のクラリス女史との 恋に落ち、そして結婚。こうして所有することとなった「サン・グイド」、気候風土があのボルドーのそれに共通して他ならないと、マリオが信じて疑わなかったこの大地に於 いて、第二次大戦勃発によるフランス・ワインの供給の断絶の中、かのシャトー・ラフィット・ロスチャイルドから分けてもらった苗により、夢であったボルドー・タイプ・ワ インの生産に着手。これがこのサッシカイア(私の石の眠る処)と名付けられ、公式には、イタリアに於いて初めてと言われる、カヴェルネット・ソーヴィニョン、フラン 種の誕生なのである。

 しかしこの記念すべきアイデア、さすがに当時には、実に滑稽極まりなく辺りには伺え、近隣の同業者、終には友人たちからの非難や中傷、そしてな かなか繋がらぬ結果に、悲しくも「サッシカイア」は同家のセラーを飾り続け、家族の中で消費されていたという。だがそんな中、一人「我が眠るヴィンテージ」を嗜む彼 は、この夢が時の流れの中で開花していることに気が付き、息子に経営を委ねると共に、親類でありイタリアを誇るワイン・メーカーであるアンティノーリ家によるマーケティ ング攻略。後にイタリアン・カヴェルネットの産みの親と呼ばれる名エネロゴ、ジャコモ・タキス氏の参入、そして新たに2倍の苗樹などによる改善を重ねた結果。遂に196 8年、ボルドー評議会によりプレミア・クリュ参入の名誉ある評価を受け、なんと1978年にはロンドンにて、ヒュー・ジョンソン氏を含む錚々たるメンバーにより行われた デキャンター・マガジンのテイスティングで「サッシカイア72」が世界のトップ33ワインに選ばれる。

 こうして、偉大なるヴィンテージ「78,81,82,83」 に続き、世に放たれた「サッシカイア85」が世界の様々なる舞台でその名を響かせ、1996年フランスで行われたグラン・ジュリ・エウロパンに於けるテイスティングでは、 師匠ラフィットどころか、マルゴー、ペトリュス、ラトゥール等の強豪シャトーを退け、ナンバー・ワンに選ばれてしまう。その後「88」の、やはりただならぬ成功に押しうち 出されたその実力を不動のものにし、今日に至るこの伝説のワイン。その歴史的なストーリーを目の当たりに見てきたうちの一人、近くはカスタニェット・カルドゥッチに、 エノテカ・イル・ボルゴを経営し、優秀なソムリエでもあるパスクイーノ氏は語る「唯一、宣伝というものを必要としないイタリアン・ワイン、そして私のヒーローである」と。そう、そのヒーローの築き上げた功績は実に大きく前代未聞。同じくカヴェルネット・ソーヴィニョン主体組の ”Ornellaia(オルネッライア)""Grattamacco(グラッタマッコ)"、そして"Paleo(パレオ)"等のスーパー・テーブル・ワインたちと共に、1994年から「ボルゲリDOC(原産地統制名称)」指定さ れてしまったことから見てとれる様に、この地を今や世界中から最も注目を集める赤ワイン産地に押し上げたのである。

 ここでふと、パスクイーノ氏が世界中のVIPに愛されて止まない美しき森の向こうに広がる、どこまでも青いティレニア海に目をくれながら、「でもね、もう一人ヒーローがいるんだよ。」と呟く。もう一人?オルネッライアが新たに放つスーパー・メルロー、「マッセート」のことだろうか。

 「パッサティーナ・ディ・チェーチ・コン・ガンベリ(海老とガルバンゾー豆のスープ)」という料理を知ってるかい、そして「ピッチョーネ・アル・ローズマリーノ(子鳩のローズマリー風味)」を、

 ああ、そうか、彼のことか。その料理名を聞いて直ぐさま納得がいった。そう、そのもう一人とは、やはり近くのリゾート地、サン・ヴィンチェンゾの小港に構えるあの、名リストランテ「ガンベロ・ロッソ」の伝説のオーナー・シェフ、フルビオ・ピエランジェリーニ氏のことなのである。ローマ出身の彼が学生時代の休暇に過ごしたこの地で、ミラノ出身の最愛の妻エマヌエラに出会い、幼くから持ち続けていた夢を追い求め、既に「ガンベロ・ロッソ(ピノキオの物語に出てくるオステリア(居酒屋)の名)」と名乗っていたこの店を買い取ったのが、20年前、、、。それが今や、同名なのだ紛らわしいがイタリア・ワインのガイド・ブックとして最も信頼性の高いと云われる「ガンベロ・ロッソ誌」を始めとして、「エスプレッソ誌」、「ベロネッリ誌」等、あらゆるガイド・ブックに於いて常に最高点をキープし、ミシェラン誌では、現在二つ星ながら、三つ星に最も近い、と騒がれ、世界中から訪ねる人々を魅了して止まない、この著名な名店。そしてそんな店をゼロから、つまり誇れる経験を持たずに類希なる集中力と不屈の精神、執念ともいえる研究心、そしてなによりも情熱で築き上げたこの偉大なるシェフ。

 「自分の料理は自分で創る」

 とその献身ぶりを語り、事実、訪れれば必ずそこに居て、厨房からシャイな笑顔を覗かし、希に暇を見つけては自らカンティーナの整理にすら明け暮れる、今時居ないスーパー・シェフ。妥協を許さず、完璧なものだけへの追求心からなる、その気難しさでも有名で、

 「他の料理人のやる事に興味などないし、そんな暇もない」

 と、ひたすら我が道を行く「一匹狼」。そんな彼が、ここ、伝統に溢れた美しい食卓トスカーナで創るその料理は、繊細かつ大胆、彼のみにしか可能でない、シンプルさの極みをつく芸術と云われ、一人の料理人の天才性について話をすれば、紛れもなくイタリア・ナンバー・ワンの異端児、そしてヨーロッパを代表するスターであろう彼の華々しいストーリーの表紙を飾るのが、あの「パッサティーナ、、、」。

 一体、幾つのリストランテで、この料理があたかもそれぞれのオリジナル、若しくは長年と引き継がれた伝統料理であるかのように、メニューにその名を連ねるのを目撃したであろう。十と数年前、特許の存在しないこの業界においてトラットリアから高級リストランテに至るまでに、コピーされまくる社会現象が生まれ、それを気に食わぬ彼が店の入り口に、「同業者の皆様、立ち入り厳禁」とのセンセーショナルな看板を掲げ、業界に様々な波紋を起こしたのは、あまりにも有名なエピソードだが、結局誰も、その爆発的な美味しさに辿り着くことの出来なかった、あの究極の一品。

 きっと、運命であったのだろう、その誕生は、1987年5月のとある火曜日のこと。そしてその証人は何を隠そう、あの「サッシカイア85」が小樽の中でその力を熟成させつつあるのを一人感じ取っていただろうニコラ・インチーザ・デッラ・ロッケッタ侯爵。火曜日がこの店の休業日であることを忘れて「ガンベロ・ロッソ」に辿り着いた彼を、自宅に招待したフルビオ氏であったが、冷蔵庫を開けてみれば、そこにあったものは茹で上げたガルバンゾー豆と前日の残りの海老、、、ほら、後は天才のなす業。

 そんな,とびきりの前菜を掲げる彼のこの店、その名「ガンベロ・ロッソ(赤い海老)」や、エルバ島を眺める立地条件からもたやすく想像されるように、魚介類がベースの料理を提供している訳だが、イタリア・ワイン生産者にとっては夢でさえあるこの店のワイン・リストのお供を華麗に演出する肉料理に於いても有名。実は、今イタリアで大ブームを起こしている「チンタ・セネーゼ種の子豚」に火を付けたのも、この人、フルビオ氏なのだが、その筆頭に挙げられるのが、「ピッチョーネ、、、」。地元のとある農家により、フルビオ氏のためだけに自然無農薬飼料で育て上げられる子鳩のその深なる滋味はともかく、「誰にも替わりはさせない」と、100%彼自身の手により、香ばしくも蕩けるようにロゼに焼かれ、それを補うあの魅惑てきな香りが忘れられない黒褐色のワイン・ソース。バターの替わりに、イタリア・ナンバー・ワンの噂も一度味わえば納得いってしまう、彼の手によるオリーブ・オイルにより仕上げられた、ジャガイモのピューレに添えられ、あの専ら批判家じみた「エスプレッソ誌」の記者団に「伝説」と書かせたほどのこの逸品。そして、波打つ海を照らしキラめくリーデル・グラスに注がれるのは、そう、「サッシカイア」。

 素朴かつも荒々しい、母なる大地に出会った二人のヒーローが優雅に奏でる至福の喜びにすっかり酔いしれ、再び、杉の木の前を通りかかる頃には、既に日が傾き、まるでそのまま、赤く染められた空に導いてくれるかのように、詩的な直線に哀愁を憶える。再び、ジョズエ・カルドゥッチの声、「どうしてここに残らないのだい、何故、そんなに速足で逃げるのだい」。いつだろう、次にこの魂じみたものが宿この地を訪れる事が出来るのは。今時、情熱という、何か忘れられたものに憑かれた本物の男たちが、こんな処でしか、生まれ得ぬ魔術めいた美に、また魅せ付けてくれるはず。また、来よう。そう、杉の木たちに別れを告げ、家路に向かう私を包み込んだものは、どこまでも香る森と不思議な安心感であった。遠くでは、人目を忍ぶハンターたちの銃声が、悲しく空を彷迷い、そして木霊していた。

                                   ”グルメ・ジャーナル、2001年4月号”掲載

                                        2000年11月30日 土居 昇用