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Alla Ricerca di DOCG(DOCGを求めて)




                    Lucii Libanio
                     ルチイ・リバニオ


Azienda Agricola Poggio ai Cieli
ポッジョ・アイ・チェーリ
Via Santa Maria,21/b 53037 San Gimignano SIENA
Tel/:39(0)577-950312




                                           DOCG(原産地統制保証名称)を追い求めて


 「1966年に国がDOC(原産地統制名称指定)を我々に与えた時、実は"ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ"というワインは存在すらしていなかった。」

 1972年、"ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ"の輝く過去の栄光を蘇えらせるべく立ち上がった9人の戦士のうちのひとり、1986−88年期には委員会会長をも務め、その後93年に舞い降りることとなったDOCG獲得運動の先駆者でもあったルチイ・リバーニオ氏の一言である。

  「当時、幾つかの生産者によって造られていた"ヴェルナッチャ"と名乗るワイン、それぞれが全く別のワインと言っていいほどに、"別々のスタイル"を持っており、実際規制など存在しなかった為に、ありとあらゆる白ワイン用品種が混ぜ合わされ、一体何%パーセントのヴェルナッチャ種が使われていたかなんて、生産者ですら誰一人として分かっていなかった。」

 50年代に廃止となった小作農民制度により、農民の田舎投げ捨てが進行していた60年代当時、極僅かの葡萄生産者の努力も空しく、ここサン・ジミニャーノ一帯の丘陵地帯は、すっかり無残にも廃墟と化してしまっていた。国家レベルによる農産品の保護のためにDOC制度の確立が噂されていたにも裏腹に、土地再生を理由に国政府から提示された政策はなんと、"羊の放牧"ですらあったという。そんな中に突如と舞い降りることとなった"イタリア最初のDOC獲得ワインとしての称号によって、市長を筆頭に"我々にはヴェルナッチャがあるではないか"との掛け声がかかり、名門グイッチャルディーニ家のジローラモ王子、そしてこのリバーニオ氏他7人の有志によりヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ委員会を設立した訳である。

  「絶対的に必要性があった思うし、意義や成果も十二分にあった。少なくとも、"ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ"というワインが何者なのかを確立できたことは何よりであっただろう。」

 世界が"品質を求める時代の到来"を予期し始めていた当時、この"DOC指定制度"は非常に的を得ていた政策であったと言えよう。地方性の並みならぬ豊かさにおいて知られ、悪く言えば統一性や規則に欠けていた当時のイタリア・ワイン事情において、生産意識や目標を仲間内で問いかけることにより、数限りない"生産者のワイン"ではなく、"テリトリーのワイン"が生み出されたことがもたらした成果は、消費者への商品認識を容易くし、宣伝効果の促進、利益、そして生産者、更には生産意欲の増強へと繋がっていく事となっていった。

  ところで、自らも100ヘクタール近い広大なワイン・ヤードを有するイバニオ氏であるが、彼の名の記されたワインは市場に流れていない。それは、何故か?

 「確かに、私の名の記されたワインがあっても良かったかもしれないね。だけど私にとっては地域全体のワインのレベルが上がることのほうが大事に思えたのさ。やはり"DOCG"に夢中だったからかな。それに莫大な生産量に対してのマーケティング力に欠けていたことも手伝って、大中の製造所にワインを売ることにしていたのさ。」  

 1980年代初頭、規制制度の更なる進歩"DOCG制度"が生まれ、北はピエモンテ州のバローロ、バルバレスコ、キャンティ、タウラージなどのイタリアを代表する偉大な赤ワインが堂々とその名をリストに連ね始めた頃、誰しにも想像すら出来なかったという"ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノのDOCG獲得"という夢を真っ先に描き始めた人こそ、このイバニオ氏であったのである。 "DOCG獲得"に向けてのまず何よりの課題は、地域全体のワインのレベルを上げるということ。極一部の優秀ワイナリーを除き、多くの葡萄生産者は自らの醸造所を持たず、例え持っていても近代的醸造技術の乏しさの苦しんでいた当時、市場に流れていたワインの多くは多大なマーケティング力を持つ大型製造元のワインであり、買い取られてから圧搾までに物理的な時間の掛かってしまうそんな "ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ"全体のレベルは中の下あたりを彷徨っていたという。そんな不甲斐ない状況の中、多くの大型製造元へ流れる"ヴェルナッチャ・ベース"を製造することへの専念を心に誓ったイバニオ氏は、70年代初頭に巨大なカンティーナを構築するに至る。そしてそこには、"ステンレス樽"が主流の時代に、近年の調査におき、ワインの本質に最も適応しているとの真価の再確認が話題となっている"セメント樽"が並び、醸造される白ワインは代々某有名ワイナリーのワイン・ベースとして、赤ワインはトスカーナ中の大手ワイナリーへと買い取られ、地域のワイン産業の発展に貢献しているのである。  

 他にも、もうひとつ難課題があった。それは、DOCG獲得やその後に立ち入る検査などの厳しさがDOCのそれと比べると数段に厳しいことで、それらの監察や規定を好まぬワイナリーも決して少なくはなかったこと。全部のワイナリーの同意を取り付ける作業がなかなか巧く運ばず、かなりの時間とテマを費やす形になってしまい、彼の委員会会長在任時に実現することは出来なかったが、とにかく、こうして1993年に舞い降りることとなった夢の"DOCG称号"が結果的に明白な"大成功"を及ぼしたことが、今日に至っては誰に目にも明白であることは疑いもない事実であろう。だが、ほぼ同時期制定された新しい規制についても述べないわけにはいかない。 "IGT(地域特産品指定)"と言われる、ヴィーノ・ダ・ターヴォラ(テーブル・ワイン)とほぼ同意義のカテゴリーの登場で、いわゆる"スーぺル・トスカン"ブームを後押しする形の制度である。

 「おそらく、ただ単に私が時代遅れなのかもしれないが、"ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ"、"キャンティ・コッリ・セネージ"という2種のDOCG、そして近年生まれた"サン・ジミニャーノ・ロッソ"というDOCをも抱えていながら、何故、"IGT"なるものに力を注ぐ必要があるのか分からない。それに、ただでさえ狭いテリトリーから生まれる葡萄のさらに選りすぐられたものを、どこ産の葡萄でも造れてしまうIGTに注いでしまうなんてことは、私にはある種の冒涜にすらも伺える。皮肉にも、ほぼ我々のDOCG獲得と同時期に出来てしまった制度であるだけに、なおさらタチが悪い。」

 ところで、今年で80歳を迎えたイバニオ氏であるが、ヴィンテージ2000を記念に、家族の経営するアグリトゥリーズモ"ポッジョ・アイ・チェーリ"にての使用目的を主に、数十年の経験を重ねた後初めての瓶詰めを行ったという。

  「役目は果したからね。私には時間がなかったが、息子孫達の世代からは、私たちのワインが世に流れても良いのではと考えている。」

 激しくも憂いに満ちた時代の変化の中に、一途、"DOCG獲得"という夢を追い続けた戦士"ルチイ・イバニオ氏"の回想は続く。  

 「今現在となってみると、"奇跡"とも言えるかもしれないね。繰り返すけど、存在しないワインをDOCGまでに持ち上げのだから。」

 "時代"、そして舞い降りた多くの生産者達の"意志"、そして"努力"・・・そんなもの全てが完璧なタイミングで重なり合ったことによる結果であろう。 荒野と化していた丘陵には、幾千にも連なり香り立つワイン・ヤードの姿がすっかりと蘇り、かつて中世の夕暮れに煌き輝き誇っていた栄華も、完全なるに返り咲いた今日のサン・ジミニャーノ、そして、"ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ"。


 今こそ、"真の意味"でのイタリアを代表する銘ワインのひとつであると言えるであろう。


                                         2001年11月20日      土居昇用