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Conoscere il Vino (ワインについて学ぶ)

   Conoscere il Vino
  ”ワインについて学ぶ”

 ただでさえ”豊富な種類”と、星の数ほども数多い生産者数などの理由により、その”理解と把握”に多少の困難が見られるイタリア・ワインですが、それについてしっかりと学習するには、”ワイン”そのものへの基本知識が欠かせぬものです。”ワイン”のテストする際に、最終的に大事な事は”美味しい”か”美味しくない”の個人的満足度ですが、それをより先に進めてみたい人には、”数多い試飲”も予備知識無しでは、雲を掴むようなもの。ここでは、そんな貴方に、シンプルなテーマを中心にした”ワイン雑学”を、約1、2ヶ月間隔で掲載していきます。

   




    第二回: ワインの愉しみ方、その1


 様々な文化娯楽が氾濫する現代、各々がそれぞれの”愉しみ方”というものを持つことは当然のことであると思いますし、それの制限や抑制をする権利は誰にもない事でしょう。

 食事文化についても同じこと。明け方に焼肉を食べる、エスプレッソ・コーヒーを食膳に頂く、コーラで食事を喉に流す・・・。全てが各人の”自由”であると言えることかと思います。

 故に、ワインに関しても同様で、かなり極端な例を出すと、あの偉大な赤ワイン”サッシカイア”を”キムチ”と愉しむ事でさえ、”各々の好み”と譲れてしまうかもしれません。

 ”高いお金を払って購入したのだから、それをどう愉しもうと自由だ”と言う方もいるでしょう。その通りです。それをがぶ飲みして舌が回らぬほどに酔い潰れようが”各人の勝手”ですし、たとえそれを流しに直接流してしまおうと、誰にも文句を言われる筋合いではありません。

 しかしながら、それらの偉大な作品が生まれ出された歴史、そして生産者の努力などを考慮するとどうでしょうか?それだけの評価が下されているワインの背景には必ずそれなりの敬意に値する”苦労”が伴っているものです。

 先日、あの限られた生産本数とその爆発的な完成度にて、イタリアはおろか世界を代表するスター・ワインとの評判を呼んでいる偉大な赤ワイン”レディガッフィ(Redigaffi)”を生産するワイナリー”トゥア・リタ(Tua Rita)”のヴィルジッリョ氏はこう語っていました。

 「”ワインの価値”というものを理解してくれるリストランテやエノテカだけに、このワインが置かれてくれることを望んでいる。適切なグラスの選択や正しいサービスの内容・・・そういったことがこのワインの価値を守ってくれるだろうからね。そういう意味で、ただ単に”良いカッコをしたいだけのリストランテには売らない様に気を付けているよ。」

 当然、ワインのみに限られることではありません。提供される素材ひとつひとつが最高の品質を兼ね備えているといったレベルのリストランテに務めている僕のような業界関係者には、こうした生産者の”意欲”や”願望”に答える事もとても大事且つ”あまりにも本質的”なことでもあります。

 という訳で、今回はそんな”本質”に歩み寄るため”ワインの理想的な愉しみ方”みたいなもの一般に、”食事との組合せ”ということを基本において触れてみたいと思います。

 さて、イタリアという国の文化において、食事の際に”ワイン”とは実に欠かせないものであります。当然、非常に稀とは言え、中には”アルコール飲料を飲まない”という人もいない訳ではありませんが、ランチ、ディナーに係わらず、食卓には必ずワインが供されるもので、それが欠けていようものなら食事を始めない人たちも多いくらいなのが事実です。

 世代の交代やマクドナルドなどのアメリカ的産業の進出などにより、都会の若者を中心にする時代の変化がもたらしたある種の崩壊が訪れている事も事実ですが、”イタリア料理”というものが世界的にコレほどまでの大成功を収めた事実の背景にもおそらく、その美しき食事文化の構成が挙げられるのではないでしょうか。

 夕食の時間が近づく夕暮れ時になると、人々はカンパリなどに代表される食前酒を簡単なつまみと共に口にし始め、家ではマンマ(お母さん)が家族が揃うのを待って食事の支度を整えています。毎度清潔なテーブル・クロスには、食器、ポザーテ(ナイフ、フォークなど)が綺麗に並べられ、朝方に購入されたパンをカットする音が心地良く辺りに響き渡れば、パスタ用のパルミジャーノ・チーズ摩り下ろす作業も毎度お馴染みの重労働・・・生ハムやサラミなどの前菜をつまみながらのお喋りの狭間に家族が揃い、ここで初めてマンマがパスタを鍋に投入します・・・前もって茹でたりなど絶対にしません。こんもりと盛られたパスタが綺麗に平らげられ、満足顔のお母さんはお皿をひとつひとう片付けます・・・さあ、続いて新しいお皿と共に供される料理も、その場で調理、又は丹念に温められたアツアツの湯気立つセコンド・ピアット(第2の皿、通常肉、魚料理)。それだけでは食事は終わりません。まだまだもの足らずにサラミ類とフォルマッジョを頬張るものもいれば、僕は洋ナシ、私はオレンジと各々が好みの果物を手に取り始めます。新しい子皿でマンマご自慢の自家製タルトが供された後は、当然その場で立てられたエスプレッソ・コーヒー・・・グラッパ、ネグロ・アマーロなどの”アンマッツア・カッフェ(エスプレッソの苦い後味を和らげるアルコール飲料)”が延々と続きます。さて、そんな温かい食事を終始演出する飲料とは?ミネラル・ウォーター、そしてワイン・・・それだけです・・・コーラはおろか、スプライト、清涼スポーツ飲料、オレンジ・ジューズ、紅茶・・・そんなもの一切無し。

 そんな訳で、”ワインとは食事と共に愉しむもの”という基本中の基本に流れる概念はご理解して頂いたことだと思いますが、それを言い直してみれば、ウイスキーやその他各種のアルコール飲料みたいに、単独で食事の時間以外に”酔うため”に頂くものではないということです。空腹時に口にすることも”胃を焼かしてしまう”という意味であまりお勧めできません。

 ただここでひとつ気を付けなければならない事項もあるとすれば、それは”食事用ワイン(Vino da pasto)”と”偉大なワイン(Grande vino)”との違いを明確にすることです。ほんの数年前に”IGT(Indicazione Geografica Tipica)ワイン(DOC規格をそぐわぬ自由思想のワイン)”という制度が生まれる以前は、サッシカイア、マウリッツオ・ザネッラなどなど、現代のイタリア・ワイン・シーンを代表する偉大なワインたちも”食卓用ワイン(Vino da Tavola)とのカテゴリーに属していた事実も、ますます我々の理解を困難にしてしまうかもしれませんが、それはまた別のお話。

 ここで言う”前者(”食事用ワイン)”とはいわゆる”シンプルな体系”のワインを指します。必ずしも簡単にその名称で分けれてしまうものではないところが難しいですが、ただ一般的に説明させてもらうと、例えば、ピエモンテ州の赤ワイン「グリッリョリーノ・ダスティ(Grignolino d`Asti)」、ロンバルディア州の「オルトレポー・パヴェーゼ(Oltrepo Pavese)」、ロンバルディア、ヴェネト州の「ルガーナ(Lugana)」、エミリア・ロマーニャ州の「ランブルスコ(Lambrusco)」、トスカーナ州では赤ワインの「キャンティ(”クラッシコ”ではなく)(Chianti)」、ウンブリア州の白ワイン「オルヴィエート(Orvieto)」、ラッツイオ州の白ワイン「フラスカーティ(Frascati)」、カンパーニャ州の白ワイン「グレコ・ディ・トゥーフォ(Greco di tufo)」、カラーブリア州の赤ワイン「チロ(Ciro)」などが有名処でしょうか。フレッシュ・タイプで酸味もしっかりとしているために、”食事抜き”では時々飲みきれない”荒々しさ”を持つこともあるタイプのワインだとも言えるでしょう。家庭、もしくはトラットリア(大衆食堂)などの郷土料理と合わせると、各々のワインの長所が生きてくる事も忘れてはいきません。

 さて、”後者(偉大なワイン)”ですが、要するに評価の高いワインということにあたり、もはやそのうちの多くは「バリック(小樽)熟成」によりエレガント且つデリケート、そして印象的な味の要素が強調されているものになります。なかなか一概に名称で分けれてしまうものではありませんが、やはり一般的に挙げると、イタリア各地のスーパー・IGTワイン、ピエモンテ州の赤ワイン「バローロ(Barolo)、バルバレスコ(Barbaresco)」、ロンバルディア州のスプマンテ「フランチャコルタ(Franciacorta)」、赤ワイン「ヴァルテッリーナ・スーペリオーレ(Valtellina Superiore)」、フリウリ・ヴェネツイア・ジューリア州のワイン全般、ヴェネト州の赤ワイン「アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラ(Amarone della Valpolicella)」、トスカーナ州では赤ワインの「キャンティ・クラッシコ(Chianti Classico)」、赤ワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ(Brunello di Montalcino)」、赤ワイン「ボルゲリ・スーペリオーレ(Bolgheri Superiore)」、ウンブリア州の赤ワイン「サグランティーノ・ディ・モンテファルコ(Sagrantino di Montefalco)」、アブルッツオ州の赤ワイン「モンテプルチャーノ・ダブルッツオ(Montepulciano d`Abruzzo)」、カンパーニャ州の赤ワイン「タウラージ(Taurasi)」などが主なところになってきます。ただ未だに生産者による格差が著しいイタリア・ワイン事情にもより、先ほど前置きした通りに一概に言えてしまうものではないことを認識することは重要なことで、例えば”前者”として紹介した中にも”偉大”なものもあれば、又はその反対も多々あるということです。

 全体的に、完成度の高いエレガントなワインほどいわゆる「日常の食事」とはかけ離れた存在となっているもと言えるので、それに合わせるとなれば、かなりレベルの高く洗練された料理、もしくはフォルマッジョが必要となってくるでしょう。よく出来た現代的な白ワインの中には、単独でも充分に愉しめるものも幾つか表れてきていますが、それにしても”ワイン”には”食事”が欠かせないという概念は崩すべきものではありません。

 次回は「”赤ワイン”それとも”白ワイン”」のテーマにて、”ワインの愉しみ方、その2”をお伝え致します。




                                                       4月10日   土居 昇用