2002年 ヴェネツィア (5)

  ラグーナの島巡り 

ヴェネツィア3日目は快晴! 
昨年、マッジョレー島の静かな雰囲気を満喫した私たちは、今回、丸1日かけてラグーナ(潟)の島巡りをすることにしました。行ったのはムラーノ島、ブラーノ島、トルチェッロ島です。

ヴェネツィア本島ものんびりとした空気が流れているのですが、サンマルコ広場やリアルト橋などの観光名所は、やはり人が多く、肩が触れ合うような雑踏にも遭遇します。しかし、周辺の島では非常にゆったりと時間が流れ、歩く速度も自然に落ちてきます。

離島行きの水上バスは、本島の東にあるフォンダメンテ・ヌォーヴェから出ています。この駅を出ると、間もなく進行方向の右側に、煉瓦の塀で囲まれた木々の緑豊かな島が見えます。サン・ミケーレ島という墓地の島です。 

サン・ミケーレ島
サン・ミケーレ島



   ムラーノ島   地図…ムラーノ島

フォンダメンテ・ヌォーヴェから水上バスで15分、ベネチアンガラスで有名なムラーノ島に到着です。

ベネチアンガラスは、薄く軽い造りにもかかわらず丈夫で、また、色彩が豊富なことでも有名です。
ガラス製品の店が立ち並ぶこの島にも、片言の日本語を話す店員が何人かいます。本格的なグラスセットからお土産用のストラップまで、また、価格も手頃なものからとても手の出ない高価なものまで、ガラス製品のバリエーションは本島よりはるかに豊富です。本島からも近いので、ガラス製品が欲しいならここまで足を伸ばした方がいいと思います。 

ベネチアングラスの店
ベネチアングラスの店
表通りはガラス・ガラスのオンパレードです




   ガラス博物館   地図…ムラーノ島・ガラス博物館

ムラーノ島では8世紀からガラス製品がつくられていました。13世紀の終わりには、火災から市民を守るため、また、製造技術の流出を防ぐため、本島の職人全員がここに移住させられました。職人は島から出ることさえ禁じられたそうです。

14世紀には輸出もはじまり、ベネチアンガラスは、高級な食器や邸宅を飾るシャンデリアとしてヨーロッパの市場を席巻しました。

その後、技術の流出を抑えることができなくなったヴェネツィアのガラス産業は、衰退しはじめました。ヴェネツィア共和国の崩壊後には消滅の危機を迎えるのですが、カットや研磨といったボヘミアングラスの技法を取り入れるなどして巻き返しを図ったそうです。

* * * * *

ガラス博物館では、紀元前の珍しいガラスなども展示しています。各展示物は時代ごとに分類され、あらゆる角度から見ることができるように総ガラス張りのケースに収納されています。
また、ガラスの歴史や製造方法もパネルで紹介されていましたが、専門用語が多く、それ以前に私のイタリア語の能力の限界から、書かれている内容はほとんど理解できませんでした。



  ベニスの商人 2号 

思わず見入ってしまうような凝ったデザインのガラス製品は、やはりとても高価です。また、本格的なグラスや食器はセット売りがほとんどなので、いいものを買おうとすると最低でも数万円の出費は覚悟しなければなりません。

高価なものを買おうとは思わなかったのですが、せっかくムラーノ島に来たのだから、ちょっと素敵な記念になるガラス製品を買おうと、私たちは数軒のお店を回りました。工房を兼ねた運河沿い店で、色とりどりのガラス片でつくられたワインの栓を見つけました。栓を固定する2本のゴム輪が少し劣化していましたが、私たちが見た物の中では一番きれいで、重量感もあったのでこれに決めました。

ヴェネツィアでは現金で支払うと値引きすると聞いていたので、早速交渉してみました。店のおじさんは、「ここの商品は工場価格だから値引きはできません。値札どおり38ユーロです!」とけんもほろろ。
ところがレジの前に立つと、私の耳元でボソッと「35ユーロでどう?」
「あのおやじ、口説いてんじゃねえの?」と夫は呆れていました。 

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ベネチアンガラスのワイン栓
カラフルなベネチアンガラスのワイン栓



  おじいさんと猫 

私たちが裏道を散策していると、悲しげな猫の鳴き声が聞こえてきました。屋根から下りられなくなった猫が1匹、助けを求めているようだったので、夫が手を伸ばしてみました。でも、その手と屋根の間には中途半端な距離があり、猫は飛び移れない様子。(繰り返しますが、夫の身長はちょっと悲しい164センチ。夫は「この猫は運動センスがないから、この程度の距離が怖いのだ。」と言っておりましたが…)

そんな私たちの様子を見て声を掛けてきたのは、ひなたぼっこをしていたおじいさんでした。
「その猫は、そこから落ちて死にそうになったことがあるから、怖くて動けないんだよ。」どうやら、おじいさんはそう言っているようでした。

私が片言のイタリア語で返事をすると、待ってましたとばかりに、自分が数年前までゴンドラに乗って歌っていたことや、日本人の客を何度も乗せたのに日本語は『こんにちは』しか覚えられなかったことなどを捲し立てました。
話し出したら止まらない感じで、「イタリア語を勉強しているの?」、「ヴェネツィアには、はじめて来たの?」などと次々に質問を浴びせ、最後は、「今は魚屋をやっているんだ。見に来ないか?」と、身振りも交えて店に案内しようとしました。(実は、それが目的だったのかもしれません。なんて言ったってベニスの商人です。それとも、単に陽気でおしゃべりの好きの典型的なイタリア人だったのか?)

私はおじいさんの言っていることを理解するのに精一杯で、会話はほとんど成立せず、何となく笑ってゴマかし、その場を立ち去りました。

ところで、猫はどうなったかというと、私たちが話し込んでいる(?)間に、夫よりずっと長身の観光客が無事救出していました。

ムラーノ島では、このおじいさんの他にも、ゆっくり散歩を楽しんでいるようなお年寄りの姿を、多く見かけました。

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ムラーノ島のカナルグランデ
ムラーノ島のカナルグランデ




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