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  Storia di Olio(オイルとその歴史)

 そのおおよその誕生の時期は6000、又は8000年前とも言われ、偉大なる繁栄を飾った地中海文明に欠かすことの出来ない、”エメラルドに輝く雫”として人々を魅了し続てきたオリーヴ・オイル”。シリア、クレタ島にその起源を持ち、”航海の民”フェニキア人によって、地中海全域に伝えられ今日に至るものですが、かのローマ帝国への伝達について、こんな伝説が残っています。
 時は西暦218年の冬、テッビア川の戦に於いて。全盛を誇っていたローマ軍が、北アフリカはチュニジアのカタルゴ軍を全粉砕しようと奮起旺盛にそのノロシをあげていた前夜、襲いかけてきたものは過去に例を見ぬ極寒。翌朝の決戦時には、川をも凍らす程のその寒さに、鎧を起こす事すら出来なかったローマ軍の兵隊たちをあざ毛笑うかのように、いとも簡単に打ち砕いたのは、寒さを知らぬはずアフリカの兵隊、、、一体何故?、、、。
 当時、まだオリーヴそのものの浸透していなかったローマ帝国に対して、既にその効用を学んでいたカタルゴ王国が戦士に提供していたものは、寒さを凌ぐために体に塗りつける為のオリーヴ・オイルであったという。
 こうして、神秘の液体の前に惨敗することとなり、その用途を学ばざるを得なかったローマ帝国だが、その後は早く、その品質については他国の追を許さぬものを造り上げることに成功。瞬く間にその税制の施行に着手、そして現在の分類の基礎となった5つのカテゴリーを制定し、領土全てに於いての栽培を義務ずけることとなり、南ヨーロッパ全域にその分布を広げることとなるです。

 ワイン同様、現在の製造過程の基礎は全て、この頃のローマ帝国の貢献によるところが大きいですが、それぞれの地方に根ずき出してからは、独自の文化と共に成長し続けてきた”オリーヴ・オイル”。毎年11月を迎えるころになると、トスカーナ地方を走れば、籐のバスケットを片手に梯子に登りつけ、一粒一粒丹念にその収穫が行われる光景に感打たれ、所々に散らばるフラントイオ(搾油所)から立ちこもる香りに魅せられます。リグーリアを流すと、夕日が赤々と照りつける傾斜に切り立つオリーブの木々を追うように備え付けられた滑車用の線路が繰り出す名物敵曲線が、見るものに”伝統文化”のなし得る”美”を否応なしに語りかけることでしょう。おそらく、世界で一番美しく健康な"Cucina Mediterranea(地中海食文化)"に於いて、何よりも必要不可欠な位置を占める”オリーヴ・オイル”の意味は侮れません、いや、それどころか、たがが数滴の存在のあるなしで、あの不朽の名料理”リボッリータ”が、犬にも食わせぬお粗末なものへと成り下げ得てしまうでしょう。そんな基礎的な食品だからこそ、今イタリアでは、その伝統の保護と品質の更なる向上を担っての様々な運動が沸き起こっています。近年のヨーロッパ共同体による農業法改正により生まれることとなった”Denominazione di Origine Protetta(原産地保護名称)”が記す道しるべは、”あるべく姿にあらなければいけない”という生来の事実を問うものであります。イタリアへ来たばかりの5年程前、度々注ぎ掛けるのを忘れてしまっていた”数滴の雫”に、声を上げて騒いでいたイタリア人シェフの叫びが自然と自分のものへとなった今日、少しでもその理解を深めたい方々に貢献できればと思い、基本的な事項の説明をしてありますので、是非、目を通して見てください。