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  Olio e Secondo Piatto(オリーヴ・オイルとセコンド・ピアット)

  ”良い素材に出逢ったら、調理する必要などない、手助けをすれば良い”


 とある僕の師匠が、口癖のように呟いていたことですが、料理というものを知れば知るほど、正しくその通りだと思います。イタリアほどの美食の国でも、そうは守られていない、この基本的概念。なかなか、その真意を極めるのは難しいかも知れないですが、要するに、”セコンド・ピアット(第2の皿)”と言う、ある限られた素材がその日のメインの料理として、主役ぶりを披露をする必要がある料理に於いては、その貫禄たるものが、”付け合せ”や”・・・風味”等の、他の何でも良かった的な味付けにより誤魔化されるものではなく、”まさに究極の”この素材の一番美味しい食べ方”みたいなものであるのが理想なのではないでしょうか。
 ある、イタリアの漁師の船で、沖に出たとき、自称”海の味を極めた男”の説によると、魚には12種類の質があって、それは単純に獲れたての魚が、”1”で最高品質を誇り、そしてそれが1時間を経過する度に、”2”、”3”といった具合に格を落とし、さらに12時間が経過したものは”12”で、もはや魚の味をしなくなってしまった”白身の肉の塊”でしか過ぎない、というもの。実際、これは大げさな表現でもあって、巧く管理された魚なら、獲れてから数日後のほうが、実が柔らかくなり、味わいも増すケースも多いし、多少古い魚でも、ちょっとした味の補助を加えるだけで、新鮮な魚と区別のほぼ付かぬ、美味しい料理に変わることは、よくあります。ただし、例えば、この彼の言っていた”ソースどころか、塩すらも必要のしない素材そのものの味”を満喫しようと思うならば、やはり、彼の言う”1”に近い素材が必要になり、そして、それを演出する事が出来る”名誉”に値する唯一の調味料が”エキストラ・ヴェルジネ・オリーヴ・オイル”になるのです。
 肉料理についても”新鮮さ”という意味ではありませんが、調理されるに”一番良い瞬間”というものがあり、その肉が余計なくせを持つものでなければ(野兎のように)、単純に、そして正しい部位を、正しいやり方で火を通し、そして同様”エキストラ・ヴェルジネ・オリーヴ・オイル”を適度に垂らす(塩は当然必要ですが)ことが、やはり最高になるでしょう。
 さて、それでは”料理人の仕事”とは何でしょう。現実の世界、予約を受けて、テーブルに付いた空腹のお客を引き連れて、遥かなる大海に釣り糸を垂らすわけにはいかないし、肉の状態が120%完璧な時だけに、お店を開けるというのも、商売になりません。いかに、情熱に溢れる料理人といえど、自然の真理に逆らって生物の生態をコントロールすることは出来ないし、”究極”にこだわり、食材を選びすぎるのも、”お客のため”というより、”自分の為”だけに料理をする”趣味”として余暇の過ごし方で終わってしまうのでじはないでしょうか。
 そこで、再び”料理人の仕事”を定義することにチャレンジしてみようものなら、おそらく、”可能な限り”常に最高の品質を最高の状態で、一人でも多くの人に(一日に”20人”でも”1000人”でも良いです。それが”1人”や”2人”でなければ)提供する努力をするということ。そして、そのためにはまず、”最高の品質、最高の状態”というものを熟知し、ゆっくりと変化してゆく素材の具合に応じて、必要であれば調理法を変える事により、究極の逸品に引けを取らぬ”料理”に仕上げることではないでしょうか。おそらく、この場合の”究極の肉料理”とは最高部位のローストでしょう。ですが、例えばこのイタリアと言う国では、豚肉の全ての部位各々が、いわゆる”理想的であり尚且つ倹約的”でもある方法で加工されているように、”背肉のロースト”以外にも、我々の喉を潤して止まない料理は星の数ほどありますので、臨機応変に素材と闘う必要もあると言う事です。
 とにかく、話を”究極のセコンド・ピアット”に戻すと、魚ならば、シンプルに蒸されたもの、肉料理ならば、炭火で正しく焼かれたものを、”エキストラ・ヴェルジネ・オリーヴ・オイル”で頂く、ことになるのでしょうか、この場合の選択は、自分が住み着いているから言うわけではありませんが、やはり、トスカーナ中央部、シエナ、アレッツオ、モンテプルチャーノ、やマレンマの一部に見られるような、弾けるエネルギーが艶やかなものが良いでしょう。ただ、”エビ”等の甲骨類には、柑橘系を想わす香りと甘さが心地良い、シチリアやプーリアの一部のものが合います。まだ、日本ではほとんど知られていない、トスカーナの”銘オイル”生産地として、こんな”究極の・・・”を演出するのに相応しい、リヴォルノ県南端の中世都市「スベレート」近郊のオリーヴ・オイルをついでにお勧めしておきます。