イタリアに来て2年程経った頃、偶然知り合ったある一人の日本人コックの台詞である。 確かに、「イタリア料理には欠かせぬ必需品」、若しくは「イタリアンを極めるにはエキストラ・ヴァージン」等というフレコミで、本物志向をそそる人間欲を駆り立てながらも輸入されていた当初のオリーヴ・オイルにはそういう傾向があり、まんざら彼の意見が間違っている訳でもない。思えば数と十年前、高価すぎるフランス・ワインブームの後釜を探していた日本の消費者に、”ティラミス”に始まる「イタリアン・ブーム」の傍ら、真っ先に輸入業者の目に止まったのが、”フラスカーティ”や”エストエストエスト”などの、こちらでもスーパー・マーケットの倉庫に山摘みに放置のされているレヴェルの低い大衆ワインであった(そのワインの銘柄がいけないのではなく、セレクションに問題があった)。そして更に、事情に無知な業者によるお粗末なワイン管理により、それで皿でも洗ってしまいたくなるレヴェルの”酷い”ワインが”イタリア・ワイン”というものに悪いイメージを与えてしまっていた事実にも裏付けられるように、偉大なる「エキストラ・ヴァージン・オリーヴ・オイル」に於いても、大企業がスペインや北アフリカから買い占めた、品質、品種、収穫期日など色々な意味で”節操”のない大量のオリーヴからなる形式上の「イタリア産エキストラ・ヴァージン」、しかも時にはその搾油の時期すら確かでない、在庫処理のためのオリーヴ・オイルに過ぎなかったからである。 とは言え、それも仕方の無かったことで、むしろ問題があったのはそういった状況を招かざるをえない危険性を見逃して、公然と悪質商品を海外市場に売り出してしまっていたイタリア政府や輸出業者であったのかもしれない。実際、ここイタリアに於いても、全ての人々が「エキストラ・ヴァージン・オリーヴ・オイル」を理解している訳では決してなく、その大部分はスーパー・マーケットの棚に山積みされている“安売り商品”をまとめ買いし、挙句の果てには「サンサ・オリーヴ・オイル」で済ましてしまう家庭も、都会に往けば尚更多いのも残念ながら事実である。 しかし、さすが本場イタリアには、食事文化を大事にする両親のもとに育った人達や、業者の人間、そして何よりも、田舎に暮らし、身近に自給自足で賄っている食事生活スタイルを維持する伝統的な農家、または貴族階級の人達など、”本物を知る者”が少なからず存在し、特にこの数十年、ヨーロッパ全体で盛んに行われている「伝統保護運動」又は、イタリア人の血に流れている「享楽主義」そして「愛国心」に応えるように、若い世代が生みだした”イタリア・ワイン・ルネッサンス”の世界市場での大成功によって、”過去の輸出概念”の過ちに、業界が気が付いた兆しが結果、つまり国内はもとより、むしろ海外マーケット向きの高品質を生み出し、大々的なマーケティングを施す法の施行として表れ始めてきた。 まずは1992年、まさにワイン同様”DOC・オリーヴ・オイル”の制定が行われたが、既に存在するワインのそれとの混雑、そしてインパクトの薄さとこれといった規制性の弱さに、はっきりとした方向性を打ち出せぬ政府の戸惑いのもと、充分の結果が得られなかった。だが、1996年、少しずつながら纏まりを見せだした”ヨーロッパ共同体”による、保護すべき食文化を対象にした新しい制度体系”DOP"が提唱され、オリーヴ・オイルどころか、例えばイタリアでは、”パルマのプロシュット”や”ソレントのレモン”又は”ガルファニャーノのスペルト小麦”などの特産品と共、実に109項目(2001年4月現在)のノミネーションを受け、そのうち24項目を”オリーヴ・オイル”が占める功績の後、説得力のある規制による品質保証が促すマーケティングへの明るい期待、つまり、高値でも品質を保証すれば、クオリティを求める客への商売がヨーロッパ共同体の援助(この場合経済的なものを含む)のもと、実施される事により、どちら着かずの状態で成り行きを見守っていた生産業者を引き入れることに成功したために、まだまだ完璧なイタリア全土の統制には多くの問題を残すものの、長年の混乱後初めての、建設的なプランニングとして、今世界の注目を集めているのです。