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イタリアン・スタイルで行こう




 このコーナーは私の「イタリア体験」に関する個人的なお喋りが書き連ねられたエッセイであり、約4週間毎に更新されます。時には「日常的な何気ない事柄」、またあるときは短編的な「料理修業体験記」、さらには「食材」や「可笑しな人物との出逢いのエピソード」などであったりする、「楽しい話題」を中心に展開されていきます。

          






 第六話 ”Non credere!(信じるな!)”


 先日、テレビ・タレントから政治界の大物まで幅広く操る名司会”ブルーノ・ヴェスパ氏”の番組、イタリア第一放送局の真面目な(イタリアの”真面目”は日本のそれとは違います)人気トーク・ショー”ポルタ・ポルタ”を見ていました。

 数々のガイド・ブックが発刊となるこの時期恒例の”リストランテ・ガイド・ブック”特集で、”ガンベロ・ロッソ誌”のステーファノ・ボネッリ氏に、”エスプレッソ誌”のエドアルド・ラスペッリ氏、"ヴェロネッリ誌”のルイジ・ヴェロベッリ氏、そして"ミシェラン誌”の代表者の4大ガイド・ブックの編集長が勢揃いし、それぞれのガイドが一流リストランテへ与える評価について論じる内容でした。

 会場には、相次ぐテレビ出演のおかげですっかり”お笑いタレント化”しつつある”ジャンフランコ・ヴィッサーニ氏”と、厨房を離れて既に幾年かの時を過ごした趣が漂う”グアルティエロ・マルケージ氏”がゲスト出演し、”ダル・ペスカトーレ”のナディア・サンティーニ女氏、ドン・アルフォンソの奥さん、そして"ガンベロ・ロッソ”のフルビオ・ピエランジェリーニ氏など他、選ばれた有名シェフたちが生中継で参加するという豪華キャストで行われ、それら偉大なシェフたちへの配点の格差について、折々編集長どもが大喧嘩を繰り広げる様が、それはそれは愉快でした。

 イタリアに数少ない”ミシェラン誌三ッ星”でありながら”ガンベロ・ロッソ誌49位”のとあるリストランテが議題の時に、
 「26回もの審査を一年間に行ったから保証付きよ!」と、ミシェラン側がコメントすれば、
 「そのうちの何回に気が付きましたか?」と、名司会が鋭く質問、
 「一度も気が付かなかったさ!」と、リストランテ側があがけば、
 「それはそうだろう。”26回”どころか、唯の1度も審査されてないかもね。」と”ガンベロ・ロッソ誌”があざ笑う・・・。

 見てる分には面白いけれども、黙っていれば"崇拝”に値する名人たちをいささか茶化してしまう有様に、多くの”シェフ”たちの威信が崩れる中、ひとりだけ”威厳”を保っていた人が居ました。お分かりですね、テレビ出演を限りなく控え、イタリア人らしからず、計算し尽くされた言葉以外発しない我が師匠”フルビオ・ピエランジェリーニ氏”です・・・気にいらない質問は耳に入らなかったフリすらをして聞き流し、受け付けた質問にさえも、散々待たせてから彼の言いたいことしか答えない威厳の高さ・・・・カッコ良かった。

 そんな彼の姿を久々に見ると、当時彼が(絶対今でも)口に出していた名セリフが頭に蘇ります。

 Non credere!(信じるな!)」

 「
credere(クレーデレ)」という動詞はイタリア語で”信じる”を意味しますが、一般的には「pensare(ペンサーレ)」同様に「・・・と思う」というニュアンスで用いられることが多く、大抵の場合はミスをした誰かが「・・・・だと思って・・・」と言い訳する際に、「・・・だと思うな(考えるな、つまり無い頭を使うな)」という意味合いで使われていました。

 セカンドだった僕に関してはちょっと違い(僕はミスしないので)、「・・・だと思うな(誰かがミスすることも考えておけ)」、つまり本来の意味の「誰も(自分自身以外)信じるな」だったことを、よく覚えています。

 とにかく、そんな繊細な(豪快?)人と一緒に3年間も居ると、何事に対するにしても”段取り”が巧くなりますし、様々なハプニングや当て外れへの対処も容易になってきます。

 「Qui, puo succedere tutto!(ここ(イタリア)では、どんな(予想外)ことでも起こりえるからな」

 彼はこうもよく付け加えていました。セリフの要点は、「ここイタリアでは、人々が日本のように細やかな仕事を”止めろ”と言うまでは止めないほど、精巧に出来ていないからな」、というところでした。イタリア生活を5年もしていると、その意味するところが痛いほど分かるようになってきます。小額の小切手を引き換えるのに2時間待つことも多々ありましたし、ひとつの荷物を送るのに半日掛かった記憶も痛烈、車のキャブの掃除に2週間待たされた経験などは、一生忘れられぬものでしょう。

 つまりここで言いたかったことは、厳しい人と過ごしたことによる”集中力”と、我が国日本ではとても想像すら出来ぬ様々な珍体験が育てた”我慢強さ”に、自信があったということです。

 ”賢さ”・・・コレこそが、彼、フルビオ・ピエランジェリーニ氏のもとで磨かれた最高の勲章だったでしょう。

 しかし、まだまだ甘かった・・・・・電話線の取り付けに7週間・・・・・これはいかに僕でも、予想と忍耐の付きぬ(尽きぬ)、一世一代の計算違いでありました。再び、フルビオの名セリフが過ぎります。

 「Una vita che sei qui, ancora non hai imparato niente!(半生もここにいる癖に、未だに何にも学んでないな)」

 前もって、何日位かかるかどうかを回りの人たちから情報収集し、「1週間くらい」との答えを得ていた僕は、”イタリアらしいハプニング”を予測しても、最大10ー15日だと読んでいました。それがなんと7週間。話が飛躍しているように響くかもしれませんが、フルビオが完璧に正しかった。結局まだまだ、僕はイタリアという国を理解していなかった訳です。

 興味を持って頂けるか分かりませんが、その”7週間”の過程を説明しましょう。

 10月1日、サン・ジミニャーノの物件紹介所で、現在のアパートの契約を済ませます。”契約”といっても簡単なもので、部屋を見た後その場で即決、現場に居合わせていない大家抜きで、そのまま入居します。

 ”電話線”の必要不可欠な僕はすぐさま許可を求めましたが、受付の女の子は、”大家に聞かないと・・・”と言います。まあ、当然ですね。それでは大家に電話します。電話で詳細を説明しましたが、その手の作業に通じてない彼は、契約、つまり支払いが”彼の負担(僕が外国人だから、電話線を引く資格があるか理解出来なかったから)”になることを恐れています。”とにかく、明後日顔を出すから、その時に議論しよう”との結論にいたり、携帯の番号を残します。

 ”明後日”という言葉はイタリアでは無限です。時には”5分”という単位ですら、まるで”永遠”のように聞こえる時すらあるほどですから。イタリア人の"時間的感覚”ほどアテにならないものは、おそらくこの世に存在しないといっても過言ではなく、そんなイタリア人が5人以上集まる時はそれはそれは地獄模様。

 例えば、イタリア人10人と夕食会を開くとしましょう。待ち合わせが”夕食時間”にあたる夜の8時だとして、全員が時間きっかりに揃うことは皆無、120%不可能で、1時間位の誤差は当たり前の事で全員が揃うのは夜の10時頃。さて、もすっかりと更けはじめ、果てしないお喋りも一通りのキリがつき始める午前1時頃、誰かが「そろそろお開きにしよう」と口に出すとしましょう。何時何処でも必ず一人はいる"元気”な人が「まだ早いじゃないか」などと攻撃をし始め、幾人かが彼に同意の意見を述べ出したりします。「お前はいつもそうだ」とかいう会話が過去の笑い話を思い起こさせ、誰かの頭につまらない駄洒落が過ぎります。それに聞き耐えることの出来ぬ人が新たな会話をあちらで持ち上げ、”閉会”ムードの漂っていた室内に再び喧騒が蘇ります。

 さて、更に30分近くが経過します。「明日朝早いから・・・」などと切り出す人が数人出始め、「今度こそは帰れる」という期待が膨らみだした途端に、誰かがいつのまにか付けていたテレビのスポーツ・ニュースがサッカーの試合結果を伝え始めます。サッカー・ファンの男どもがたちまち大騒ぎを始めれば、結果に興味持たぬ女性達は「デル・ピエーロが好きか嫌いか」を討論し始めます。

 夜中の2時を迎え、試合結果の余韻も静まり帰り、さすがにあくびも飛び出すさなか、やっと人々は上着を羽織り始めます。「遂に帰れる・・・」との思いに胸のすっかり膨らんだ貴方の期待を裏切るものは、女性達が繰り広げる”お互いの衣装の褒めあい”。出されたまずいワインに頭が痛くなり、おしゃべりを断ち切ることが家路へ付く為に唯一の手段と悟った貴方は、"議論”を避けるために全ての問いかけに「そうね、そうだね」とひたすらうなずくはず。でも甘い、”明日の朝が早い”はずの彼がしっかりと、「いや、そうじゃないさ・・・僕が思うには・・・」と新たなに厄介な議論をほじくり出したりします・・・・もう嫌だ・・・。結局家に辿り着いたのは午前3時半・・・。

 但し付け加えておかないといけませんが、”就労時間”の場合はより最悪。1分たりとも規定以上に働かないどころか、2時間まえから帰り支度に入ってしまうくらいですから・・・。

 さて、話を元に戻しましょう。大家が現れたのはいつでしょうか?なんと、10月18日の午後。その間、紹介所を訪れて催促したこと6回、本当なら毎日したかったくらいですが、こちらでは無作法(やはり僕は日本人ですね、”明後日”が”3週間後”になる人に”礼儀”を通すなんて)。とにかく、その都度の電話で許可を求めようとすると「とにかく会ってお話しよう」との一点張り・・・だったら来い・・・。そして、彼の答えはいつでも、「明後日に顔を出すから・・・」・・・頼むから「・・・日」と指定してくれ・・・。

 とにかく、やっと彼と出会い、状況を説明した途端に「OK」を得た後(彼が言うには、僕に会ってから許可を出したかったという)、電話局への問い合わせを既に済まし、必要書類の準備がすっかり整っている僕は、翌日すぐさまそれをファックスしました。ですが、ここでひとつミスがありました。”電話局への問い合わせ”を携帯で行うと、受け答え先は国の中央センターになります(ローマかミラノでしょう)。とにかく、この”中央センター”の”ティンダラ”というオペレーターの指示に従って、2回も聞きなおし確認した番号にファックスをしました。ファックスは無事通過しましたし、2,3日もすれば連絡があるだろう・・・そう思っていました。

 1週間以上が経ちました。確認(催促?)の電話を入れたほうが良さそうだと判断した僕は、再び携帯で中央センターを呼び出します。今度のオペレーターは男性、

 「ティンダラという女性は知らないし、その手の電話は普通の回線から呼び出さないといけない。最寄の局の仕事だから、公衆電話からかけなさい。」と言われます。”そんな女性は知らない"といわれても困るし、以前使用したファックス番号の出元を聞き出そうとしても、”最寄の局に掛けなさい”とこだわる彼に降参して、普通の回線から局を呼び出します。”フィレンツエ局”のサンドラという女性が受け答え、やはり謎の女性”ティンダラ”の身元と既に送ったファックス書類の行き先は掴めませんでした。例のファックス番号の出元も知らないと言います。

 「諦めてもう一度ファックスしたほうが早いわよ」

 と言われ、すぐさまファックスしました。今回は経験からファックスが着いたか確認の電話も入れ、”1週間以内”との快い(?)返事の後、"これで大丈夫だろう”と安心します。

 8日後、フィレンツエ局の”マリア”という女性オペレーターから連絡がありました。その内容は、

 「ところで、住所と要請者の確認がしたいのだけれども・・・。」

 ファックス着任確認時の電話で”全て万端”と了承を得てるし、必要事項は全て記入してある。”前回の担当のサンドラはどこか”と聞くと”バカンスに出た”と答える。とにかく、彼女の疑問に答えて、取り付けが何時になるか質問すると”1週間以内”とのお答え。彼女に怒ってもショウガナイので、今度こそはと祈る。

 9日後、シエナ局の”シンチア”という女性オペレーターから連絡、

 「フィレンツエ局から書類が送られてきたけど、いくつか必要な物が欠けている」

 とのこと。前回話したサンドラさんの言っていた”1週間以内”とは、彼女がシエナ局にファックスを送るのに掛かる時間であるらしい。何が欠けているかを問いだすと、既に全部フィレンツエ局にファックス済みのもの。その旨を伝えると、

 「私もフィレンツエ局に何度も問い合わせているけど、なかなか送ってこないから」

 回線待ちの僕に容易く”ファックスしろ”とは言って欲しくない。それに、フィレンツエ局のマリアさんの手元にある書類を取り寄せるのに、何度も問い合わせる必要があるのか。

 「きっと、すぐ忘れる人なのよ。サンドラさんは」

 きっと、すぐ忘れる人なのよ、サンドラさんは・・・・・・・まあいい、とにかくすぐさまファックスし直す。ところで今度はどのくらいの時間が掛かるのであろうか?

 「”緊急”と書き添えた書類を工事の人に送るわ」

 8日後の金曜日、工事の人間から連絡。”緊急”と書き添えた処置は充分に意義を果したらしい。

 「月曜日にいくから」

 金曜日を迎えた時点で最高に早くても”月曜日”になることは読んでいたけれども、こんな時くらいは土曜でも働いて欲しい。

 月曜日、工事の人間が工事を済ませる。

 「ところで受信機は?」

 問い合わせると宅急便で既に送られているとのこと。シマッタ・・・・またまた重大ミス。随分前に”受信機は自分で買うのか、それとも用意してくれるのか”は確認済みでありましたが、すっかり”工事の時に持ってきてくれる”と信じていた僕が甘かった。まあ、いい、少なくとも、最も重要なファックスとインター・ネットは使える。

 ところが、配線工事終了時の確認にて、思わしくない反応。

 「僕たちのミスじゃないよ。本部のコンピューターミスだよ。」

 ・・・・・・・・・・。どうやら、周波数が足りないらしい。そして彼が付け加えるには、

 「もし、本部のコンピューター・ミスなら簡単、そうでなければ特別技術者の出番で地区の配線下の工事が必要だね。」

 ところで、貴方は怒らないでいられる自信がありますか?僕は怒りました。厨房生活が長いと嫌でも覚えてしまう”スラング”バリバリで罵りました。

 「全く貴方が正しい。けど、僕たちに言われても困る。それにもし”コンピューターミス”だったら、すぐに済むさ・・・・。」

 ”すぐ”って、どのくらい”すぐ”。

 「30分か・・・・・それとも・・・・・・」彼も充分に分かっているはず、決して30分で済まない事は。

 「”緊急”ってことで、報告してあるから、ここは我慢してください。」

 3日後再び電話局に問い合わせ、事情を報告します。”コレコレこういう状況だけど知ってますよね・・・”

 「私は分からないから係りの人に明日連絡させますわ。」

 翌日の金曜日、電話はありませんでした。きっと週末の帰り支度が優先されたのでしょう。

 翌週の月曜日にも問い合わせ、先週話した女性を呼び出します。

 「彼女は身体を壊して休んでいますの。それで用件は・・・」

 結局、その電話では同じ事を繰り返し、再び連絡待ちの火曜日・・・・・やはり連絡はありません。

 水曜日、さすがに声色を変えてみます。”いつになったら電話が使えるのかな・・・・・もしかして来年?”

 結局連絡の無かった木曜日、すっかり挫け疲れ果てていた僕はもう諦めに入っていました。”明日は金曜日・・・またダメだな。”

 今日、12月7日金曜日の朝10時過ぎのこと。何百回も繰り返し、もはや”日課”ともなっていたインターネット接続テスト(電話本体はまだ着いていないので)にて、画面に浮かび上がる文字は紛れもなく、

 ”ユーザー名とパスワード確認中・・・”

 初めてネットに繋いだ時よりも数百倍嬉しかったです。3ヶ月ほども、重たいコンピューターを担いでは、"ネット・ショップ”で繋いでいた生活が続いていたために、後半はすっかり嫌になっていたところでした。自宅でにネットに繋げる環境がこんなに尊いものであったなんて・・・・。

 そう言えば、いささか自信家である僕に、フルビオはいつもこうも言っていました。

 「Non credere di essere arrivato a "l`artezza"!(”境地”に辿り着いたなんて思うな)」

 丁度来週末は、ミラノで何かしら大掛かりなパーティ料理を抱えているフルビオを手伝いに行きます。きっとまたまた偉大な教訓を与えてくれるに違いありません。例えば、

 「Sei tu che deve controllare la situazione!(状況をコントロールしなければいけないのはお前なんだからな)」

 今回はイタリア電話局に操られてしまいましたからね・・・・。ちなみに、あと数週間は僕に電話を掛けないで下さい。まだ着いていない”電話機本体”のことで、イタリア電話局と戦争しないといけませんので。


                                         2001年12月07日          土居 昇用

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