イタリアン・スタイルで行こう
このコーナーは私の「イタリア体験」に関する個人的なお喋りが書き連ねられたエッセイであり、約4週間毎に更新されます。時には「日常的な何気ない事柄」、またあるときは短編的な「料理修業体験記」、さらには「食材」や「可笑しな人物との出逢いのエピソード」などであったりする、「楽しい話題」を中心に展開されていきます。
第七話 ”Giappinesi sono Bravi?(日本人コックは優秀?)”
先日、本国イタリア内のリストランテにおける”外国人の研修”に関する許可がますます厳しくなる内容の法律が改正されたみたいです。
この数年来ただ事でない「イタリアン・ブーム」が沸き起こり、それに乗ずるように、数々のイタリアン・レストランが誕生している我が国日本からは、当然多くの”料理研修希望者”が殺到し、”レストラン・ガイド・ブック”にその名を連ねる有名リストランテには必ず”最低1人、3,4人もしばしば”の日本人コックが”料理研修”に励む状況が当たり前となっている中、あの有名グルメ雑誌「ガンベロ・ロッソ誌」が、
「どんな山奥のリストランテでも、その厨房の扉を開ければ日本人がうじゃうじゃしている。」
とのコメントを数年前に掲載したほどの、いわゆる”小さな社会現象”とも言っても過言ではないほどの有様で、その数もさらに年々倍増している矢先の出来事でありました。”研修希望者派遣”を商売にしていた人にはいささかショックであった事かもしれません。
とは言え、このイタリアという”規則に縛られる”ことを好まぬ国のこと、細やかな経緯は州、県、市町村ごとに若干の違いはありますし、本気で”研修”を望むものへの道は何かしら残り、本当に必要な人材は求められ続けるはずです。そんな意味からも、個人的にはある意味で”賛成”であることを表示しておきます。少なくとも、それなりの”意志や目標”を持ち、それを貫ける”意欲”のある強者のみが現れてくるだろうからです。そう、この2,3年の間は特に、”何が目的なのか分からぬ”、もしくは”あまりにも無力”な研修者が目に付き過ぎていたからです。
あえて書き添えますが、僕も日本で一通りの経験の後に、いわゆる”ブームに肖り6年前に渡伊した人間”の一人であります。最初の1年間に数件のリストランテを回った後に、リヴォルノ州南端の名門リストランテ”ガンベロ・ロッソ”にて3年間働き、そして一度卒業してから1年の時が経過した後、再びフルビオに呼び戻されて”ガンベロ・ロッソ”に復帰することになったばかりです。
もはや”研修組み”の一人ではなく、”柱”であるために、フルビオからも”日本人”とは思われて(扱われて)すらもいないので、多少立場が違いってきますが、それでも、本国イタリアでの研修を夢見てやってくる人間の気持ちは分かるつもりです。しかしながら、日本人に限らずフランス人やスペイン人、ドイツ人などを含めた何人もの”研修組”を指導してきたにも係わらず、一般に日本人のコックの口から発される「日本人はやっぱり優秀だよね」という一言には、いつも疑問を抱いてきました。確かに、日本でそれなりの経験を積んできたうちの幾人かは、それなりの順応性を持ち、まずまずの仕事振りをみせてくれた人間もいましたが、それでも仕事全体の能力は明らかに欧米人の方が上で、日本人の長所といったら、”真面目さ”、”沈黙(言葉が解からないから)”、長時間の労働に愚痴らない”義務意識の強さ”、そして”包丁技術の正確さ”でしょうか。確かに、髪の毛のように細く長く野菜を切り刻む”千切り技術”は欧米人には真似すら出来ぬ高い技術ですし、豆を正確にお皿に並べるような”意味のない仕事”に取り組む丹念さは髄一でしょう。ですが、その技術のみが”料理人の条件では決してありません。サービス全体の経緯を見て見抜き、必要な時にそこに必ず現れる”感覚”だとか、自分のやらねばならぬ仕事を把握して、優先事項を選びながらも最終的に必要事項を時間内に全て片つける”理知”が欠かせません。ですから、どんなに細やかな千切り技術に長けていても、5枚のイカを刻むのに1時間掛けられても困りますし、一枚刻む度に”シャカシャカ”包丁を尖れても耳障りです。何ヶ月も働いているのに、目の前にある自分のやるべき下仕事に言わなければ気が付かない”鈍感さ”も、度が過ぎるといささか目障りです。
一般に「仕事を知っていれば”言語”の問題はさして障害ではない」と言われますが、それには”かなり仕事を知っている”必要があります。「言葉さえ解かれば・・・。」と愚痴る輩も多く見ましたが、僕から言えば、言葉が解からなくても”仕事を知っていれば解かる”ことも数多く、結局はただの言い訳にしかならないと思います。イタリア語ならずに、外国語を習得に務めた経験のある方なら分かると思いますが、世界文化から独自の言語体系をもつ我々にとって、外国語習得は難しい問題です。ドイツ人やスペイン人などの欧米人と教室を共にし”イタリア語を学んだことのある方なら経験済みでしょうが、酷似した言語体系を持つ彼らのイタリア語習得の速度は、一般に我々の10倍以上とも言えてしまうことが現状です。そんな訳で、大した勉強もせずにいきなりイタリアの厨房に入っても、日々の過酷な労働の間に耳に入る言葉は数知れており、”理解力”こそ日々少しずつ上達するものの、”会話力”はなかなか向上していきません。”2年”イタリアの厨房で働いた日本人と、”6ヶ月”私立学校でみっちり勉強した日本人とでは、確実に後者の方が会話力は上でしょう。
つまり、”料理”にしろ、”言語”にしろ、基礎はしっかりと学んでから”研修”に入るほうが、上達は明らかに早いでしょう。”過去形”と”現在系”の違いを知らずに一日中イタリア語を聞いても、そのうち解かるようには決してなりませんし、”製菓の基本”を知らずに、”メレンゲ”と”生地”の関係を理解することは出来ません。
ただ、それも”学ぶ意欲”のある人なら乗り越えるでしょう。では、どうでしょうか?”学ぶ意欲”を持たずに、”料理”、”言語”に及ぶ基礎の欠けた人の場合は・・・。
昨年、とあるアグリトゥリーズモのシェフをしていた時のことですが、数年前に働いていたリストランテのマネージャーから、「非常に困らせてくれる日本人がいるから何とかして欲しい」と突然の連絡がありました。聞けば、「あるいい年した日本人男性がリストランテに現れて、ようやく理解できた”働きたい”との意志に応じて試しに使ってはみたけど、あまりにも酷い仕事振りのうえに、イタリア語どころか英語すらも一言も理解出来ぬものだから話にもならないので、追い出してしまいたいのだが、その旨を伝えても解かったのだが解からないのだかはっきりしない」との内容。彼らとしても、いきなり放り出してしまうわけにはいかないので、彼が自ら出て行ってくれないと困るとのことだったのですが、彼がどうするつもりなのか全く理解不能だから、とりあえず彼と話をして欲しいと言われ、電話を彼に代わってくれたのですが、丁寧に日本語で話をしても、彼が何をしたいのか全く解からない。
出ていかねばならぬ旨を伝えると、
「そんなー、酷いですねー。でも働いた期間のお金はくれるのでしょうね?」
”働く能力のない人間にお金を稼ぐ資格はない”と言いたかったのですが、リストランテの支配人が言うには、
「出て行ってくれるのなら、少しくらい払ってあげても良い。だからなんとかしてくれ」とのこと。彼はこう続けました。
「ところで土居さんはシェフしているのですよねー。土居さんのところで使ってくれませんか?給料はOXOX位でいいですから。」
彼のいう”OXOX位の給料"は大した金額ですし、自分の能力をさて置いておいて、いきなりお金の話をする人間は大嫌いです。とりあえず、適当な言い訳を出して、必要性のない旨を伝えてみたのですが、
「そうですかー。でも、そう言わずに、とりあえずそちらにうかがっていいですかねー?」
面倒はご免だったので丁重にお断りしました。そしたら今度は他の知り合いを尋ねてきたので、とりあえず、知り合いである日本人好きの有名な肉屋さんの電話番号を渡し、自分で交渉するように伝えました(自分で交渉出来るとは思っていませんでしたが、その肉屋なら必ず既に日本人が研修していて通訳してくれると思ったので)。
リストランテのマーネージャーに急かされて、店の休業日である翌日ではなく、今すぐ出て行って欲しいことを伝えます。マネージャーは、そうしてくれるのなら遥々駅まで送ってくれるとも言っています。
「明日の方が都合が良いのですけどねー。」 彼の”都合”など問題ではないと思います。
結局、彼がどうなったかは知りませんし、正直知りたくもありません。”海外で働く”ということを甘く見ている人間は大嫌いだからです。彼の話は最悪の例であったことを認めますが、リストランテ関係者に知り合いも多い僕は、時たまの機会に彼らと会することがある度に、大体似たような日本人の笑い話を聞かされることも多いのが悲しい現実。
先日、我が「ガンベロ・ロッソ」にも遂に、好ましくない例が現れました。
僕と同じ31歳で、2年ほど前に脱サラしてコック志望になったとのこと。例によって立派な6,7本入りの包丁セットを抱えはいましたが、一度彼に仕事を与えれば、仕上がるのは翌日の午後になりそうな有様で、イタリア語、英語の能力もほぼゼロ。彼がいつ料理を始めたかは問題ではありません。この道、”期待の出来る人間”というものは一目で解かるものです。彼には明らかに、”やる気”、”意志”、”努力”、”忍耐”などの全ての要素が完璧に欠けていました。”逃げ出すタイプ”であることが一目瞭然であったので、出来る限り注意などをしないようにしていましたが、想像通りに”1週間”で、悪態までついて逃げ出していきました。間違いなく、日本でも同じことを繰り返し出来たのでしょう。
僕は、”人生を変えてみたい”と夢見て、方向転換を試みる勇気を持てる人が大好きです。人間、何事を始めるのにも”年齢”に問題があるとは思いたくありませんし、”どんな困難なことでも、本気にやる気のある人ならば必ず実現可能である、と信じている人間のひとりでもあります。でも、世の中はそう甘くありません。もし、通常の人よりも遅く物事を始めるならば、2,3倍もの困難や障害が待ち構えているのは当たり前のことで、それを乗り越えるために必要な努力や忍耐が並みならぬものであることは承知の事実であるはず。先に、”方向転換を試みる勇気を持てる人が大好き”と書きましたが、この文章の目的語は”方向転換を試みる人”ではなく、”勇気を持てる人”です。
ここで例に挙げた彼らは、一体何を期待してイタリアに来たのでしょうか?
イタリアの有名リストランテでは、出来ない人間を邪魔者扱いしないで、優しく手取り足取り指導してくれるとでも思っていたのでしょうか?もしそうならば、大金払って料理学校に行くことをお薦めします。
言葉の解からない国でならば、どんなに恥ずかしいミスを犯しても誰も笑わない、もしくは笑われても解からないで済むとでも?もしそうならば、一流リストランテには来ない方が良いでしょう。こちらには”遊び”ではありませんから。
もしくは、豪華ホテルの滞在や、少ない労働時間でしょうか?自分でお金を払って好きなだけ贅沢してください。
給料?まず、イタリア語を学んでください。そして、現地の人たちよりも優秀であるところを披露してください。
料理の世界に限られたことではありません。今、イタリアでは、本当に沢山の日本人がそれぞれの分野における技術習得などに励み、努力しています。技術習得後における日本での成功を夢見る者、イタリアで手に職をつけて永住を希望する者、みんなそれぞれ頑張っています。”夢”や”希望”をもって海外に人生を試しに行くことは大歓迎ですし、それを実現した時に、放たれた苦労や困難から得られるものと”尊さ”は、それこそ”カケガエのないもの”、他の何物に変えられるものではありません。
でも、日本から”逃げて”は来ないで下さい。
結果は100%同じです。
2002年1月29日 土居 昇用
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