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イタリアン・スタイルで行こう
このコーナーは私の「イタリア体験」に関する個人的なお喋りが書き連ねられたエッセイであり、約2−4週間毎に更新されます。時には「日常的な何気ない事柄」、またあるときは短編的な「料理修業体験記」、さらには「食材」や「可笑しな人物との出逢いのエピソード」などであったりする、「楽しい話題」を中心に展開されていきます。
第五話 ”ポルチーニ茸は金”
さあ秋です。ポルチーニ茸の季節がやってきました。
世界有数の美しき伝統料理を誇るこのイタリアというにおいて、"ポルチーニ茸"というものはまさに"茸の中の茸"、つまり"王様"として君臨しております。そんな名誉に溢れるこの偉大な素材の魅力としてまず挙げられるものは、何と言ってもあの独特の"艶やかな香り"でしょう。この季節になると"ポルチーニ茸探し"をせずにはいられない田舎の人々は、この"香り"にあたかも誘導されるかのように、森の中へと姿を消しては、茂みが放つ棘や虫に刺されまくることも何ともせず、彷徨い探し続けるのです。面白いですよ、普段なら誰一人として車を停車させぬ何の変哲も無い"田舎道"が、この季節になると青山通りのように道端が埋め尽くされるのですから。ですが、"茸の香り"と聞くと"マツタケ"を思い出せずにはいられない日本人にとっておそらく馴染みの薄いだろう"味"のふくよかさにおいても、このポルチーニ茸は"王様"なのです。カサの部分が"ステーキ"のように調理されることからも分かるように、その気品高き味の存在感は、肉、魚などの主素材に全くヒケを取らずに、我々を魅惑の世界へと引きずりこんでゆきます。
さて、そんな曰くつきの稀素材"ポルチーニ茸"について、いつ思い出しても吹き出してしまいそうになる思い出がありますのでお話します。
時は4年ほど前、モンテプルチャーノ近郊のとある有名リストランテで働いていた時のことです。80年代後半にアメリカで沸き起こった"トスカーナ・ブーム"と共にその名を知られることとなったこの"郷土料理"が売りのこのお店。流行の"ヌーヴェル・キュイジーヌ"など気にもかけずに、20年来変わることの無いメニューを堂々と掲げていたりするのですが、そんなこのお店のシェフは、香水をぷんぷんと漂わせては、下着同然と衣装にハイヒールでお尻をクネクネさせて歩く素敵なご婦人で、ホールを仕切るのは、離婚したその旦那さん。
あまりにも個性に溢れるこの二人の存在に、未だに忘れることの出来ぬ体験となったこの店での経験ですが、ただ単に"面白かった"だけではなく、実はその内容も充実していました。厨房に入ってきては、血の滴るジビエなどの素材にキャーキャーわめいては逃げ出すこのご婦人シェフですが、古典的な料理を作らせれば誰一人として右手には置かせぬ"達人"。実際当時は不思議に思ったものです。"重たい"と言ってはフライパンを人に使わせ、包丁を握らせれば見ているこちらが心配で仕事が手につかぬほど危なっかしいご婦人がとんでもなく美味しい料理を作るなんて。その後を共にした僕の師匠たちも多かれ少なかれ似たようなもので、つくづく"料理というもの、テクニックだけではない"ことに気が付くきっかけになったこのご婦人ですが、とにかく、彼女の作る"リボッリータ"は世界一です。
さて、お次は旦那さんですが、それはそれはダンティーな趣に溢れた"世界最高の酔っ払い"でした。界隈ではちょっと知られた愉快犯で、地区を代表する偉大なリストランテを掲げることと、重ねに重ねた"珍道中"のあまりもの偉大さに(ここではお話出来ませんが)おいて、男性社会で"英雄"扱いされているこの男性。昼前に仕事場に現れるときは本当にカッコイイのです。ダーク・グレーの整えられた毛髪にアルマーニのスーツ、フラテッリ・ロゼッリの高級革靴をツカツカならすその姿は、多少不機嫌な面構えがマイナスであるとは言え、それはまさに素敵の一言。
ランチ・タイムは常に厨房とホールを眺める特等席から、従業員の仕事振りにグチグチ独り言をこぼしていているのですが、営業の一段落着く午後3時ごろになると、段々とその容貌が"ピエロ"と化していきます。原因はそう、昼過ぎから飲み始めた数杯のワイン。よく漫画や喜劇の舞台で、頬を赤く染めてはトロンとした目の焦点が定まらない"酔っ払い"が登場してきますが、彼ほどその姿に"ハマッタ"人物には未だに出会ったことがなく、ほんの数時間前まであんなにカッコ良かったことを考えると、そのギャップは実に驚愕の世界、いったいどれだけあの頭にネクタイを巻きつけてみたかったか。ともかく、この世界最大のワイン生産国でありながら、"泥酔"する人が珍しいこと国において、彼はまさに"常に泥酔"している珍しい人で、そのまま深夜まで飲みっぱなしだからますます凄い。
話を元に戻しましょう。僕がこのお店に着いたとき、シェフであるご婦人が僕に幾つかの課題を出しました。確か、"野菜のリゾット"だとか、"パスタ・アリオ・エ・オリオ(ニンニクとオリーブ・オイルのパスタ)を作ってみて"みたいなことだと覚えていますが、それら全てに合格点を叩き出し、カメリエーレ達からも賄い食への好評を得ていた僕は、1ヶ月ほど後、今まで誰にも任したことがなかったと云われる彼女のポスト、つまりプリモ・ピアットの場を一任されることになります。
"この人に教える必要はない、一回見せれば充分"と考えたシェフは、ソースの仕込みなどもほとんど自由にやらせてくれるようになり、彼女自身はディナー・タイムのデシャップを優雅に決めて満足していましたが、ひとり不満であったのがその旦那さん。ちなみにこの旦那さん、料理はまるで出来ないのですが、何事においてもそうであるように、出来ない人ほど教えたがるもの。それまで常に僕に纏わりついては、その素材や料理法のウンチクを長々と語っては邪魔なだけであった彼ですが、一通りやり遂げる僕に不満が尽きません。
さて、そんなさなかに"ポルチーニ茸"のシーズンがやってきました。それまでになかった新しい素材の登場に、ここぞとばかりに張り切る彼の姿はまさに、転がるタマを見つけた子猫のよう。それにまつわる物語の数々や、品定めの方法掃除の仕方などなど、ありとあらゆることを無理やり教授され(大体は正しい)、一言語る度に引っ掛けるワインのおかげで、この日は夜の営業前にして既に全快な"泥酔"。シェフから"彼にまかせておきなさい!"ときつく叱りの言葉を投げ掛けられ、ひとまず退散し再び席に着いてはブツブツこぼしていたのを確認した僕は調理を開始しました。
フライパンに最上のオリーブ・オイルを適量注いでは、二片のニンニクを入れて弱火にかけます。オイルにニンニクの香りがつき始めたら、一塊のバターを加え、それを焦がさぬように、掃除され切り分けられたポルチーニ茸を適量投入します。塩、胡椒を加え、ネピテッラと呼ばれる野生のハーブで色付けをする・・・・極上の香りがあたりに漂いはじめます。
「ちょっと待った!!!」 旦那さんが突然叫びだしました。
「"魂"が感じられない」 すっかり呆れて"もう誰にも彼を止めることは出来ない"と判断したシェフは、僕に特大のウインクを贈り、ベルルッキのロゼ・スプマンテを片手に退散していまいました。さあ、後は待ちに待った彼の大舞台。 バッチリと決めたスーツ姿に花柄のエプロンを身にまとったかと思ったら、次の瞬間は既に厨房へ。
「ポルチーニ茸は"金"だ。"魂"を持って調理せねばならぬ」 すっかり可笑しくて開き直っていた僕は、この際だから愉しもうと"魂とは"なんでしょう?"と彼を立ててみます。
「ハッハッハッ」と、優雅に笑い声を立てたと思ったら、途端にその身を翻しては僕の耳を思いっきり引っ張り、
「秘密を教えてあげよう」と、小声で臭い息を吐きかけます。 フライパンを用意した彼は、ポルチーニを切り刻んだまな板ごとに、その全てをなみなみとそこへ投入します。首をカクカクさせながらもオイルの瓶をクルクルと回して、フライパンどころかガス台、調理台などなど、そこら中を油まみれにしています。塩、胡椒を踊りながら加え(動作に意義があるらしく、実際に加えられた量は皆無)、弱火にかけ始めました。ちなみに全てが生の状態で、これはこの場合間違いなのですが(こういう調理法が正しい時もある)、優雅に葉巻をくわえる余裕をみせた彼が再びニヤニヤし始めます。
「さあ、これからが本番だ」それは困った。これ以上は吹き出さずにいられる自信がありません。
「ハッーーー!」という奇声と共にブザマな一回転をかました彼が手にしたものは、2メートル離れた机上に飾ってあった花瓶に輝く薔薇の花びら。火の付いた葉巻を机に置いては、そのまま2回転、フライパンに背を向けたその脇下から目標を見ることなくそれを投げ入れます。当然花びらは床を飾り付けるに終わります。再度同様の喜劇を繰り返してもそれにメゲない彼は、より大袈裟なジェスチャーと共に三度チャレンジ、今度はなんと花瓶ごと持ち出して、抜き出した薔薇の花束をフライパンの上で掻き毟り始めました。・・・・ローズマリーを紙飛行機を飛ばすように投げ入れては、中世の剣士にすっかり成りきって野生ウイキョウの葉で格闘、わし掴みにされたネピテッラは、まるで竹とんぼのようにクルクルと回転しながらガス台のあちらこちらに着地します・・・・火の通りと共に黄金色に変わりつつあるポルチーニ茸を飾る、赤、緑、ピンク、紫など各種の色の共演がもたらす様はまさに・・・・凡人には理解し得ぬ究極の美意識の世界・・・・
葉巻を口に戻し、エプロンを優雅に(紐を解けずに、指先だけは大慌てでしたが、首から上は優雅だったという意味)外すやいなや、
「見たか?これが"魂"だ。イタリアで学ばなければいけないものはこれなんだ。」 ちなみに、厨房から去る前に再び耳を引っ張っては囁いた彼の言葉は、さすがに"ハメ"を外したことを充分に承知しているがごとく、 「塩味は確認しとけよ」 でした。
「"ポルチーニ茸は金"。だから"魂"を持って調理しなければならない」
おそらく、例に漏れずマジメ過ぎな日本人コックの大方は、ここでお話したこと同様の体験の際に"馬鹿にされてる"、もしくは"料理を馬鹿にしてる"といって怒り、そして消えていくでしょう。決して、彼の調理方が正しいと言っているわけではありませんし、彼みたいにふざけて料理をすることが良いと説いている訳でもありません。ただ、ここで彼が言い表している"魂"というものは、地元の産物を大事に思う彼らにとって、ある季節にしか出会うことの出来ぬ自然生殖の天然稀薄素材を味わう、又は調理するということは大事な"喜び"であるということ。理想から言うと全ての料理素材に始まる食文化全般にいえることですが、食品流通システムの整い、ありとあらゆる食品が季節場所を問わずに軽がると手に入ってしまうこんな現代社会において、特にこの"ポルチーニ茸(ヨーロッパでは夏先に北東から始まり、地中海へ向けて秋口に南下して生殖します)"が民を騒がす威力はまさに絶大・・・・"ポルチーニ茸の季節が近いぞ"、"今年は雨が少ないから遅いかも"、"昨日一日中探したけど成果はゼロさ"、"誰が見つけたって?"、"どこでさ?"、"明日探しに行く?"、"見ろよ、こんなに大きいぞ!"・・・季節にはスーパーマーケットにも並べられるとは言え、"それらは地元産ではない"と決め付けて意地でも自分たちで探そうとこだわる田舎の人たち・・・・"金"にも値しかねないそんな彼らの宝物を・・・・新聞をめくるように掃除しない、蛇口を捻るように調味しない、ピラフを炒めるように荒々しくフライパンを振り回さない、そして炊飯器でおコメを炊くように放って置かない・・・・こうして、これだけの素材を扱えることを愉しんで調理をするということ。
直接彼の影響だけではありませんが、その後その他のリストランテにて調理だけしてれば良い立場に出世しても、何故か"ポルチーニ茸"だけは、いつも自分で掃除してから調理していました。皆無、もしくは最小限の水で掃除しながらも一粒の砂を残さないことに誇りを感じています。余計な水気を抜くためにひとつひとつ扱いながらも、デリケートなその食感を壊さないことも大事です。掃除の仕方、調理時の油の量、鍋の大きさ、扱う量などが全て理想的な時だけに、高貴な香りと共に"深い黒褐色"から"黄金色帯びた琥珀色"への美しき変化を遂げていく様はまさに"芸術"、絶対に他の人には譲れません。何故なら、それは"愉しい"ことであり、こうすることにより"魂"の存在を自ら感じ取れるからこそ。
幸い、花瓶だけは調理の際に目の届かないところに置くように心掛けています、念のためにね。
ところで、来年は一緒に"ポルチーニ茸探し"をして調理してみませんか?
2001年10月20日 土居 昇用
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