ピンクの蓮華のライン


カルチャーショック
 話を私の学生生活に戻します。
 盲学校育ちの私が始めて飛び込んだ「普通」の世界。大学入学の日の私は、ついに自分の希望を実現させた喜びでいっぱいでした。
 ところが、入学してどれほども経たないうちに、私は大きな壁にぶつかってしまったんです。
 この新しい「普通」の世界では、私は常に注目の的でした。私にとってそれまでは当たり前だった「視覚障害を持っている」ということが、そこでは特別なことになってしまったのです。今思えば、私と初めて会ったときの周りの反応は、ごく当然のことだったのですが、その当時の私には、すごいショックだったんですね。そういう展開になるってことを、私はまったく予期していなかったのですから。
 教員も学生も、やたらと私の目のことばかり聞きたがり、私が本を速く読めるとか、学食でご飯をきれいに食べるとか、学内を道に迷わず移動できるとか、その類のことでいちいちものすごい驚きや感心を表すのです。かと思えば、授業中、先生が順番に指名して答えを言わせるので、次は私だと待ち構えていると、私の前の人から、私を跳び越して私の後の人に当てるというようなことがありました。これにはひどく失望しましたね。
 ただでさえ5月病とかって、学生が悶々としてしまう時期、私は本当に沈み込んでしまいました。幾人かの先生にも相談しましたが、結局は分かっていただけませんでした。それどころか、
 「あなたは私たち大学の宝みたいな存在なのですよ。あなたが本当に素晴らしいから皆感動してるんですよ。」
などと言われてしまいました。もう、何と言いますか、これってはっきり言ってカルチャーショックですね。視覚障害者の文化圏から、健常者文化圏へ飛び込んだために起きたカルチャーショック。そして、なんとその衝撃は、日本を離れてアメリカの文化圏へ飛び込んだときの衝撃よりも大きかったのです!
 なぜこんなことが起きるのでしょうか?私は、極端なまでに障害者と健常者を区別してしまう社会のシステムに原因があるんじゃないかと思っています。別なところにも書いたように、障害のある子供が地域の学校に通うのはかなり難しいです。今でこそ少しずつ変わってきていますが、それでも地域で学びたい障害児がいつでも希望通りの学校へ入れる状況にはなっていません。さらに、仕事だって、障害者ばかり集めている職場というのもけっこうあるんですね。大学入学以前の私の友達はほとんど自分と同じ視覚障害者ばかりでした。そういう世界で生きてきたからです。ということは、大学で出会った人たちが私を簡単には理解できないのも、まったく同じ理由なのです。つまり、健常者であることがあたりまえ、他の「珍しい」人のいない世界で生きてきたからです。
 このことに気づいた私は、ようやく悶々状態から脱出しました。これからはじゃんじゃん皆の中へ出ていこう。そして私の世界を皆に教えてあげよう。そして、理解されたいとばかり願うのではなくて、私も皆のことを理解するように努力しよう。そんな風に思いました。その後の私の大学生活はとても楽しいものになりました。すごく仲良しの友達もできました。そして、硬く決心したんです。私はもう決して障害者ばかりの集団の中に身を置くことはしないって。卒業したら、どちらの立場の人たちとも関わっていく仕事をしようって。

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