ピンクの蓮華のライン

不吉な兆候

 高校を休学してアメリカへ行く決意をしたとき、私は17歳。これから高3、本来なら受験勉強に気合入れなきゃいけない時期にそんな冒険をしてしまう変わり者のAMIなのでした。
 「そんなことは大学入ってからやればいいでしょ?」
 一部の人たちの忠告も聞かず旅立ってしまったんです。ですが、結果としてはそれで正解でした。というのも、帰国後間もなく発病してしまった私には、大学入学後外国で勉強するなどは不可能な事態となったからです。そして、もしもあのとき決意していなければ、きっと今でも私はそのことを後悔し続けたことでしょう。
 とにもかくにも、楽しい留学生活は、あっと言う間に終わり、私は東京へ戻ってきました。クラスメートたちは半年前に卒業してしまってましたので、残りの高校生活は、ほとんど私の印象には残っていません。おまけに、あたりまえな話ですが、受験も満足にできませんでした。頭の中がすっかりアメリカぼけ状態だったからです。
 結局高校卒業後改めて受験勉強して、翌年、福岡のS大学英文科に入りました。盲学校という狭い世界を飛び出して、新しい仲間と出会う希望に、心がはずみました。
 ところが、大学入学のための手続きで健康診断を受けにいった先で、とんでもないことを言われたのです。
 「あなた、腎臓が悪いって言われたことない?」
 なんでも、かなり顕著な蛋白尿が出ているというのです。でも私にはまったくそんな経歴はなかったので、検査をしてくれたドクターも
 「受験勉強で疲れたのかな。今日たまたま調子が悪いのかも知れないし。」
 とおっしゃるので、ほとんど気にもしませんでした。
 しかし、この症状は決してそのとき限りのものではありませんでした。それどころか、検査をする度にひどくなっていくようです。
 (この子には脳か内蔵に障害が出るかも知れない)  10数年も前の眼科医の言葉が蘇ってきました。恐怖で締め付けられそうな不安を胸に受診した私に、泌尿器かのドクターは、まるでなんでもないことみたいに言ったんです、しかも詳しい検査をする前から。
 「腎臓悪いかも知れないねぇ。でも腎臓悪くたって大丈夫だよ。今は透析だって発達してるんだから、勉強だって仕事だってできるよ。」
 ショックでした。高校時代に本で読んだ透析患者の手記が、私の透析というものに対する知識の全てでしたから。その患者さんは、日々命の危険と向き合わせで、これが人間の生活かと思えるほどの制限された生活をしているように書かれていました。いくら技術が発達してるとはいっても、2,3日に一度病院に拘束されることには違いないだろうし、今まで大好きだったスポーツもできなくなる!血液検査の結果が出るまでの1週間、食事もできないくらい落ち込みましたね。
 1週間後結果を聞きにいくと、意外にも、私の腎機能は正常とのことでした。今にして思えば、血液検査で機能の異常が認められるレベルというのは、既に相当重症なわけですから、あのとき血液が正常だったからといって、手放しで安心すべきではなかったのです。けれど、知識のない私は、正常という結果だけで、す〜っと気持ちが晴れて、楽しい学生生活へと戻っていったのでした。
 「今後も半年に一度くらい検査をしましょう。10人に2,3人くらいは悪くなることがありますからね。」
 自分がその2,3人に入ることなんてあるわけない!心のどこかで、私はそう思っていました。なんと都合のいい考えなんでしょう。私の性格の問題もあるでしょうが、一つには、医者の言葉というのも大きく影響すると思うんです。あのときたった一言
 「血液が正常と言っても、完全な健康状態ということではないのですよ。だから十分気をつけて生活しなさいね。」
と忠告してくださっていたなら、あるいは私ももう少しは透析導入を先へ延ばせたのではないかと…。やっぱこれって責任転嫁かな?とにかく安心した私は、大いに学生時代をエンジョイしたのです。チャペルで聖歌を歌うグループに入って、寒空の下キャロルを歌い歩いたり、様々なステージのために夜遅くまで食事するのも忘れて練習に没頭したり。おかげで楽しい思い出いっぱいできましたよ!

 
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