さびしい小学生時代
 今でこそ、かなり重い障害のある子供が一般の小学校に通うケースも多くなってきていますが、私が小学校に入学した当時、そのようなことはほとんど考えられませんでした。それでも関東や近畿あたりでは、ちらほらとそんなケースが出てきて、マスコミをにぎわせたりしていました。でも宮崎みたいな田舎の県では、とてもとても考えられないこと。小学校の1日入学に行っても、面接に呼ばれ一言二言交わしただけで帰されるありさまです。おそらく、宮崎では未だに状況はあまり変わっていないと思います。
 盲学校の児童生徒数が少ないというのは、つまりは障害児が少ないということなのだから喜ばしいことかも知れませんが、実際在籍しているものにとっては、実にさびしいことです。先生と生徒1対1という授業も珍しくなく、学年を超えて友達を作ったとしても、その数はやはり知れています。
 私が入学した年は、その中でもとくに人数の少ない学年だったようでした。私の他に、弱視の男の子が一人、それから全盲で知的障害も持っている男の子が一人。それでも2年生まではけっこう楽しくやっていたんです。弱視の男の子と私はすごく仲良しだったから。でもその子が、3年生になるときに、一般の小学校に転校していってからは、私は本当に孤独になってしまいました。一つ下のクラスの女の子たちとわいわいやってみても、授業開始のベルが鳴れば私は一人自分の教室に入り、ほぼ教師と1対1の授業を延々と受け続けなければなりません。家の近所の子たちもいい友達で、目が悪い私を邪魔者にしたりする子はいなかったけど、学校が違うのでなかなか話題についていけなくてしょんぼりしてしまうことはよくありました。
 (友達がほしい!)
それが小学生時代の私の最大の願いでした。そして、私は小6にして早くも宮崎を脱出する決意をしたのです。

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