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23. 霧の中


1


 ままが仕事に復帰して、しばらくは平和な日が続いた。久しぶりの勤務で、さすがに午後になるとママは疲れるようだったけど、生徒たちに囲まれて嬉しそうだ。私だって、毎日ママと歩けるし、今は学校の中も一緒だから楽しくてたまらない。
 「ノエルも良かったねぇ、ママが元気になって。」
周りの先生たちから声をかけられて、私の尻尾も揺れっぱなし。

 でも、そんな穏やかな日々は、1ヶ月とは続かなかったわ。
 だんだんママの体調が悪くなってきた。前のように病気のせいで弱り果ててしまうっていうのではないけれど、ときどき頭が痛いと言って仕事を休んだ。透析の後は特にひどくて、家に帰ってもさっぱり元気が出ないみたいだ。夜も眠れず、きついきついと連発している。
 そのうち目の調子までおかしくなりだした。ママの眼の病気は、眼圧(眼の球をちょうどいい硬さに保っている圧力)が上がり易いんだ。とはいうものの、ここ何年もの間症状は安定していた。それが透析を始めたのをきっかけに、また不安定になったみたいだった。眼圧が上がるととてもいやな頭痛がするらしい。それに眼の神経がどんどん傷んでくるから、少し残っている視力も、いつ無くなるか分からない。痛みと不安のため、ママはだんだん暗く落ち込んでいったわ。友達や周りの人が
 「元気出して」
とか
 「がんばって」
なんて言うと、たちまち大爆発を起こした。
 「簡単に元気出してとか言わないで!がんばって、がんばってって、私は充分がんばってきたでしょう?これ以上どうやってがんばるの!?」
って、すごい勢いでくってかかる。まったく、これじゃぁ誰もなんにも言えなくなっちゃうよね。冷静になるとママは、自分のとった行動に、またまた落ち込む。
 「ノエちゃん、なんでこうなっちゃうのかなぁ?何もかも最低だなぁ。でも私自身が一番最低だよね。」
そう言ってまた涙を流すママに、私はぴったりと体をくっつけて寄り添った。
 (ママには私がいるからね。つらいことは私が全部聞いてあげる。)
聞いてあげても、私にはどうすることもできないけど、私はいつもママから離れずにいようと思ったの。そしてママも、つらいときには私の体を抱き寄せて、長い時間じ〜っとしていたわ。

2

 ママの体調は優れないまま、1年が過ぎた。頭や眼の痛みの他にも、耳鳴り、痒み、口から出血などなど、困ったことが次々起きる。それでもママの眼から完全に光が無くならずにすんでいることだけが幸いだったわ。白くもやのかかったような空に見える日が多いようだけど。
 そんな中、ママと私は突然にお引越しをすることになった。私たちが3年暮らしたアパートはとても古くて、ママが暮らすには幾つか問題があったから。まず、3階の私たちの部屋へ上がる会談がものすごく急なんだ。体力を回復してきてはいたけど、やっぱり病院から帰ってきたときなんかだと、ママはかなりきつそうにしながら階段を上っていたわ。それから部屋の旧式のお風呂もちょっと衛生的に問題がありそうだった。透析の針を指す手は清潔にしておかないと、ばい菌が入ったりしたらたいへん。
 というわけで、2001年の6月に、新築のマンションへ移ることになったの。
そこは12階建てで、エレベータがついているし、もちろんお風呂も綺麗。  ママの体調は相変わらずあまり良くなかったけど、新しいお家のことで、気持ちが少し明るくなったみたいだ。
 透析のない日、ママは仕事から帰ると、せっせと引越しの荷物を作っている。本棚の本、キッチンの食器、押入れの洋服などなど、次々にダンボール箱に詰められて、部屋の隅に積み上げられていく。部屋に空間が増えるにつれて、私はだんだん落ち着かなくなってきた。前に、はるちゃんがこんな風に荷造りしてたときのことを思い出したんだ。しばらく荷造りが続いた後、はるちゃんは遠いところへ行ってしまった。ひょっとしたらママもそうなっちゃうんじゃないかしら…?私本気で心配だったのよ。だから昼も夜も、ママを見張っていなくちゃって思ったの。実際ママには前歴があるんだからね。入院するとき、私に黙って出ていったもの。二度とあんなことされたくないわ。ママが隣の部屋へ行っただけでも、私はあわてて後を追った。
 そして、ついにお引越しの日がやってきた。  男の人が二人、荷物をじゃんじゃん運び出していく。私の不安は頂点に達していたわ。心配のあまり、くんくん鳴いてしまった。私が何を考えているのか、ママは2・3日前から気がついてたみたい。笑いながら、ときどき私を撫でて
 「大丈夫だよ。一緒に新しいお家に行くからね。」
って言ってくれた。でも、本当かどうか、そのときまでは分からないものね。
 荷物が大部分運び出されると、ママと私、それに朝から来てくれていたおばあちゃんの3人は車に乗って新しいお家に向かった。どうやらママがうそをついてるのでないことが分かったので、ようやく私も安心して車に乗ったわ。
 お引越しとはいっても、新しい家は、元のアパートから、車でほんの5分くらいのところにあった。今までとは比べ物にならないくらいきれいな建物だったわ。部屋の鍵を開けたら、新しいお家の良い香りがした。ハーネスをはずすと、私は嬉しさのあまりリビングに駆け込んだ。荷物はまだ入れられていないので、リビングは広々としている。思わず部屋の中を全速力で走り回った。ママとおばあちゃんが笑っている。車で運んできた私のハウスを、リビングの隅に置いてくれた。新しい部屋のスペースに合わせて、おじいちゃんがこしらえててくれたみたい。私はそこに座って、ママの荷物が次々に運び込まれるのをじっと見ていた。
 

 その年(2001年)の夏もすごく暑かった。でも私たちの新しいお家は快適。ここで暮らすようになって初めて「エレベータ」という言葉を憶えた。もちろんそれまでにエレベータに乗ったことが無かったわけじゃないけど、いつも「ドア」ですませていたんだ。あの古いアパートの急な階段を、透析で疲れたママに寄り添って上っていたのが、もう大昔みたいだ。とにかくここは最高なんだ。
 でもママの体調はあまり良くならなかった。ときどき具合が悪くて起き上がれず、仕事を休むこともあった。
 そんな中、ママが一番頼りにしていたおばあちゃんまでが病気になってしまったの。おばあちゃんはママにとっては、本当に優しくて素晴らしいお母さんだったんだ。突然一人で放り出された格好になって、ママはいよいよ困ってしまった。体調の悪さと、寂しさや不安…まるで深い霧の中に閉じ込められたみたいに途方に暮れた。
 「どうして私ばっかり?神様は何考えてるんだろう?」
 家族に辛いことがあっても、自分が治らない病気と分かったときでも決して前向きな心を捨てなかったママが、ついにへたり込んでしまった。1日中ふさぎ込んで、ため息をついたり、涙を流したりしている。たえず私に笑いかけてくれていたママが、ぼーっとして、どこを見ているのか分からないような表情でじっとしている。何が起きているのか私には分からないけど、直感的にママが心まで病気になりかけている気がして、私は不安でいっぱいになった。

 霧に包まれたままの毎日が続いたある日、ママと私は旅行に出た。旅行と言っても、電車で3時間で行けるところだ。それでもママにとっては2年ぶりの旅だったから、とても楽しみにしていた。前の日までひどい頭痛で起き上がれなかったママだったけど、その日は調子良さそうだった。きっと神様が、ママをこの旅行に行かせるために元気にしてくれたんだわ。それが証拠に、この旅行の後からママの態度が変わってきたのよ。
 旅行先で参加した集まりで、ママはたくさんの人と久しぶりの再会をした。幾人もの人が、ママのところに近寄ってきて
   「あなたのことを心配していたけど、またこうして会えてほんとに良かった!」
 「健康が回復するようにいつも祈っていたのよ。」
って声をかけてくれたわ。
 集まっていた人たちの中に、末期のガン患者さんのお世話をされている先生がいらして、素晴らしい話を聞かせてくれた。病気が重くてやがて亡くなっていく人たちの話なのに、不思議なことに、ママはそこから喜びや希望を感じ取ったみたいなんだ。ママが信じている神様という方が、この先生を通してママの心に元気をくれたのかも知れないわ。
 先生はママの手を握って言われたの。
 「あなたに会えて良かった。どんな人生を与えられても、それには全て意味がある。神様しかご存知ない大きな計画があるんですよ。若くして亡くなるガンの患者さんにも。そしてあなたにもね。」
 私は人間のように難しいことは分からないから、生まれてきた意味だとか、生きている理由なんて考えたこともないわ。でも、ママを包んでた深い霧が晴れて、ママに笑顔が戻ってきたことが、最高に嬉しかった。




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