青い星のライン

再出発



透析を始めて1週間くらい経つと、ママはずいぶん元気になってきた。病室に入っていくと、たいていはベッドに起き上がっている。お見舞いにきた誰かとおしゃべりしてることもあったし、折り紙を折ってることもあった。ときにはベッドのオーバーテーブルにノートパソコンを置いて、何かせっせと書いていることも。
 「ママはね、ノエルちゃんの失敗や悪戯をいろいろ書いてるよ。きっと本にしてみんなに読んでもらうつもりだよ。どうするノエルちゃん?いたずらがばれちゃうよ。」
看護助手のお姉さんがひそひそ声で言った。
 「大丈夫だってば、いいことも書いておくからさ。それより、歩きに行こうよ。」
ママはパソコンをパタンと閉じてベッドから降りてきた。
 「ノエちゃん、だいぶ仕事の腕前が落ちてそうだから、退院までに思い出してもらわないとね。」
 なんて言いながら、ハーネスを握って廊下へ出た。
 「ゴー」
 ママが命令を言っても私は、辺りの空気をクンクンしたり、おばあちゃんはついてこないのかしらと振り返ったりした。歩き出すと、他所のお部屋の患者さんや、ナースステーションから見ている看護師さんたちと目が合っては近寄っていこうとして、ママに叱られた。
 「まいっちゃうな、もう」
 しかたなく、ママは誰もいない屋上へ私をつれていくと、そこでたんまり服従訓練をした。ダラダラモードだった私もさすがに気持ちが引き締まってきたわ。
 ようやくなんとかママの言うとおりにに動けるようになったので、私たちはもとの病棟に戻って廊下を歩き出した。いくつも並んだ病室の前を過ぎてエレベータのところにきたので、乗るのかなと思ってドアのほうへ行こうとしたら
 「だめだめ。今日は階段で1階まで行くんだから。」
 3階まで下りてきたところで、3月まで4階病棟にいた看護師さんが歩いてくるのに出会った。
 「わぁすごい。元気になってきたねぇ!ノエルちゃん良かったねぇ。
微笑んでいるその人にママはまじめな顔で言ったわ。
 「でもノエル仕事の仕方ほとんど忘れてるの。これじゃ安心して歩けないから、病院の中だけどリハビリしてるんだ。」
 1階へ下りて、売店で買い物をして、またまた階段で4階に戻ってきても、ママは少しも疲れていなかったわ。嬉しそうなママの顔。私もすごくすごく嬉しかった。

2

 5月になったその日、ママはついに退院した。入院したときはまだ冬の寒い風が残っていたのに、あれから春が過ぎて、そろそろ夏に近づこうとしていたわ。

 ママが病室で作っていた折り紙の花が、かごに飾られてナースステーションの前に置かれている。
 「この花を見てAmiちゃんのこと思い出すわね。ときどき遊びにきてよね。」
 同じ部屋でまだ退院のできないおばさんが、ちょっとさびしそうに言った。
 私はハーネスをママに握られて歩き出した。この前からのママの特訓のおかげで、ママの留守中のブランクなんて無かったみたいに上手に歩けたよ。一度はおばあちゃんの子にならなくちゃいけないんだって思い込んだ私だったけど、そんなことなんか忘れたみたいに、病院を出た瞬間から、ママの顔を見上げ、ママの言葉だけに集中した。
 それから仕事復帰までの約1ヶ月、ママはおばあちゃんの家で過ごすことになった。私にとっては昨日までと同じおばあちゃんちなんだけど、気分はまるで違ってたわ。帰りの車の中ではじっと気持ちを抑えていた私だったけど、家に着くととうとう我慢しきれなくなって、部屋中を走り回った。ママの膝に顔をつけて、身体をグネグネさせて甘えまくった。
 「ノエちゃんはずっと夜は一人で寝てたから、今日からもAmiと一緒の部屋では寝らんかもよ。」
おばあちゃんはそう言ったけど、そんなはずないわ。もちろんその夜から私はママのベッドの横で眠ったよ。
 (もう私を一人にしないでね。)
私の心の中には、いつもその思いがあった。ママが立ち上がる度に不安になる。隣の部屋へ行くのにも、ついていかずにいられない。「ステイ」と言われることは最大の苦痛になった。あれ以来ママは入院どころか、私に一人でお留守番をさせたことさえないわ。それでも私の不安は今も消えない。ステイをしながら、もうママが帰ってこないんじゃないかしらと、居ても立ってもいられなくなって、ひ〜ひ〜鳴いてしまう。あの2月の朝、おじいちゃんと二人家に取り残された出来事は、私にはものすごく辛い経験になってしまったんだ。


 お出かけするには最高の季節だった。私たちはいろんなところへ行ったわ。歩く距離も、少しずつ長くなった。病院にお見舞いにきてくれた人たちに退院の挨拶に行くと、皆自分のことみたいに喜んでくれた。幸せで、私の胸はいっぱいだったよ。

3

 ママと二人でいられる生活が戻ってきたとは言っても、まったく以前と同じってわけではなかったわ。ママは退院はしても、病気が治ってしまうということはないのだから。月・水・金曜日、夕方になると、ママは私に洋服を着せて病院へ向かった。入院してたところじゃなくて、前から見ていただいてた先生のところね。今度はそこへ通院して透析を受けるんだ。ママにはもう、ぜったいにこれが必要なんだもの。
 透析室にはたくさんのベッドが並んでいて、患者さんはいつも決まった自分のベッドに4時間くらい横になって治療を受ける。私はママのベッドの下にマットを敷いてもらって、そこでじっとママの治療が終わるのを待つ。透析室に出入りしている盲導犬は、たぶん日本中でも私を入れて数頭しかいないと思うわ。まず透析をしながら盲導犬と歩いている人ってのが少ないし、透析室というのは、ものすごく清潔にしておかなくてはいけないお部屋だから、どうしても盲導犬を入れてくれない病院も多いみたい。でもこれからは少しずつ変わってくると思うし、変わっていかなくちゃいけないと思うよ。私たちはきちんと健康管理も躾もされてるし、ママたちユーザーの努力次第で清潔な空間もキープできるはずなのだから。そのことを認めて、私たちを受け入れてくれる病院が一つでも増えてくれたら嬉しいな。
 初めてベッドの下にステイさせられたとき、私はまったくわけが分からなかった。私のリードをベッドの枠に繋いで、ママはベッドにヒョイと上がった。やがて先生がやってきて、注射針とビニールのチューブでママも機械に繋がれる。しばらくすると、機械の回転音しか聴こえなくなって、あたりがシーンとしてしまった。ママがベッドから降りた気配はないけど、上にちゃんと寝ているか心配になってきた。こんなところで一人にされたんじゃたまらないわ。キュンと声を出してみた。
 「ノエちゃん、ここにいるからねぇ」
 (良かった!ちゃんと上に寝てた!)
 ほっとして、いつの間にか眠ってしまった。
 ママがベッドから降りてきたとき、外はもう夜だった。
 (あ、臭いが変わってる!
 来たときには病気の臭いムンムンだったのに、今はもうだいぶ薄れている。入院中私を戸惑わせたママの臭いの変化の正体はこれだったんだと初めて分かった。


 6月になって、ついにママが仕事に戻る時がやってきた。バス停から学校までの懐かしい道を私たちは胸を張って歩いたよ。私たちの上には、梅雨の晴れ間のすばらしい青空が広がっている。お日様が
 「おめでとう。良かったね。」
って微笑んでいるみたい。
 学校では、みんなとっても優しかった。
 「Ami先生、無理しちゃだめだよ。」
そんな言葉が、あちらこちらからかけられる。そして、私が一番嬉しかったこと、何だと思う?いつもママと一緒に校内を歩いていいって許可が出たことよ!前に話したと思うけど、ママは左手を手術している。怪我なんかしたらたいへんだ。でもここは盲学校で、生徒もママも目が不自由だから、お互い気がつかなくてぶつかっちゃう危険性もあるわ。ぶつかる危険からママを守れるのは私しかいないんだ。そんなわけで、もう誰もママに
 「あなたは一人でも校内は歩けるでしょう?」
とは言わなかったわ。私の学校での完全受け入れは、こうして思わぬことから実現したというわけなの。


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